父と母を捨てた日についての詳細。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は、私の父と母を捨てた事についての詳細を書いていきます。

12月24日(金)に父と母を実家の鍵と共に捨てました。

詳細についてですが、私のブログ読者の方にもシェアしていきたいと思い、この記事にて記させて頂きます。

私は、実家の鍵を37歳になった今の今まで所持していました。

その理由は、私が親に依存していたからに他なりません。

妻としょっちゅう実家に行っては、大好きな母親の料理を食べていました。

母の料理はどこのレストランよりも美味しく、私にとっては最高の食事です。

父と母を捨てた日の当日も、母が焼いてくれたバタートーストを二つ食べ、更には母の食べていた「しらすマヨネーズのトースト」を半分手でちぎって、私に与えてくれました。

母の息子に対する「愛」を、私はその時にすごく感じました。

私は、その時に嬉しくて泣きそうになりました。

心の中では、実質的に泣いていました。

私の涙腺は、崩壊寸前の状況でした。

母は、嫌な顔を一切する事なく、私にパンを与えてくれました。

そんな母が、私は大好きです。

母は、幼少の頃から貧乏で満足に食事も摂る事が出来ず、苦労した過去があります。

その苦労した過去を私に隠す事も無く、面と向かって正直に話しをしてくれました。

私は、その話しを聞き、更に涙腺が崩壊しそうになりました。

母の苦労話は、今の今まで聞いた事が無く、初めて聞きました。

父も幼少の頃から貧乏で、満足に食事も出来ない程だったと、私に正直に話しをしてくれました。

父は泣き虫で心優しく、隣の家の人に車をぶつけられても特に怒る事も無く、笑って許すといった事もありました。

父は貧乏だった為か、車を買う時はいつも中古車を買っていました。

その為、車をぶつけられても怒る事なく、笑って許せたんだと思います。

隣の方も、車をぶつけてしまったのが私の父で良かったと仰っていたそうです。

私の父でなかったなら、車の修理費用についていちゃもんをつけられていたかもしれなかったからと、父に話しをされていたようです。

父は車にこだわりが無く、車は消耗品だからと私に話しをしてくれました。

私は、車が好きで借金をしては、自分の見栄を張る為に高級車を無理して買っていた事もありました。

私は、車に対するこだわりが強く、ちょっとした擦り傷の一つでも気にしていた程です。

ですから、私と父の考え方が合わず、一時期あまり会話をしなくなっていた時期もありました。

私は、父を見下しては、父に対してきつい言葉を口にしては、父の苦労した幼少の頃も知らず、父の心をズタズタに傷付けてしまっておりました。

その様な仕打ちをしていた私に対して、父は怒る事も無く、笑って許してくれては、私に苦労をかけてしまって申し訳ないと謝罪をしてくれた程、心優しい自慢の父です。

私が主の御心を成す為には、自慢の父と大好きな母を捨てなければなりませんので、心苦しい事ではありますが、主の為に私は自慢の父と大好きな母をクリスマスイブである12月24日(金)に、私は自慢の父と大好きな母を実家の鍵を世帯主である自慢の父に返却すると共に、自慢の父と大好きな母を捨てさせて頂いた次第です。

父と母は、突然の事で事態を呑み込めていないと思いますが、このブログを目にする事で事態を把握する事になるものと思います。

父と母には申し訳ない事ではありますが、主の御心を成す為に、苦渋の決断をせざるを得ませんでした。

私自身、父と母を完全に捨てる決断をするまでにはかなりの時間を要しました。

自慢の父と大好きな母を捨てる訳ですから、精神的に辛い事であるのは言うまでも無い事です。

精神的に辛い事ではありますが、主の御心を成す為には避けて通る事は出来ません。

主の御心を成す上においては、全てを捨てなければならない為、誰もが通らなければならない道です。

いざ捨てるという事態に直面した時に人間は、心の中にある利己心が表面に現われる事になります。

誰だって親を捨てるという事は精神的に辛い事です。

親を捨てる上において、精神的に辛くないという人はまずいないでしょう。

親を捨てる上において、精神的に辛くないという人は、それこそ精神異常者と言えるのではないでしょうか。

世の中では、世の常識から外れない様にと、子供の頃から学校教育を通じて叩き込まれます。

世の常識から外れない生き方が、人間にとって最も正しい生き方であると、学校教育を通じて子供の頃から叩き込まれる事で、世の中の常識が形成されているのが、今の世の中の実態です。

学校教育を人間にとって最も正しい生き方を学ぶ場に変えていかない限り、この先も子供の頃から間違った生き方を叩き込まれ続けていく事になります。

学校教育を人間にとって最も正しい生き方を学ぶ場にしていく事で、世の中の常識が少しずつ変わっていく事になります。

人間にとって最も正しい生き方とは、すなわちRAPTブログ有料記事に掲載されている主の御言葉にどこまでも従順に聞き従って生きる生き方こそが、人間にとって最も正しく生きられる生き方で、人間にとって最も幸福な人生を歩んでいく事が出来ます。

(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

RAPTブログ有料記事を学校教育の場で学ぶ事で、世の中の常識を人間が最も正しく生きられる常識へと変えていく事になり、誰もが幸福な人生を歩んでいく事が出来る様になります。

RAPTブログの存在を知らない方が多い状況にありますが、RAPTブログ有料記事が学校教育の場で学ぶ事になれば、日本人の殆どがRAPTブログの存在を知る事になります。

中心者であるRAPT氏の宣布する主の御言葉が、世の中の常識として広く認知される事になり、時代の転換を迎える事になります。

時代の転換を迎える事で、今までの常識が覆される事になる為、日本の各地で反動が顕著に表面化する事になります。

その反動によって、日本の多くの方が様々な事態に直面する事になり、誰もが主の御言葉に聞き従おうと、我先にとRAPTブログの有料記事を買い求める事になります。

時代の先を行く私たち「義人」は、既に主の御言葉を世の人々に先駆けて学んでは、御言葉を実践している為、世の人々から重宝される事になります。

既に、多くの義人が主からの練達を受けている為、主からの厳しい練達に耐え抜いた人物として、世の人々から重宝される事になります。

主の御言葉が世の中の常識と正反対である為、今現在の世の中において、私たち「義人」は肩身の狭い思いをしている状況に晒されています。

その為、信仰を今もなお保ち続けている「義人」は、世の人々から貴ばれる事になります。

世の人々に貴ばれるという事は、主からも貴ばれている事にもなります。

主から貴ばれている事は、人間にとって最も栄誉ある事です。

主から清いと認められた人物が、この先の時代を動かしていく人物となります。

主に祈り求め、主に願いを叶えてもらえる人物が、この先の歴史を動かしていく人物になります。

肩書や学歴が無くても、主から貴ばれ、願いを叶えてもらえる人物が、この先の時代を動かしていく人物です。

主から使われる人物が、この先の歴史を主と共に動かしていく事になります。

主は、この地上世界の全てを創造された創造主ですから、主に祈り求め、主に願いを叶えてもらう事で、全世界の歴史を動かしていく事になります。

主に祈り求めた通りに、全世界の歴史が動いていく事になります。

その為、今の世の中の常識として重宝されている学歴は、何の意味も成さなくなります。

どんなに高学歴だったとしても、主の御言葉に聞き従わず、主から貴ばれない人物は、世の人々からも貴ばれない人物になります。

主の御言葉にどこまでも従順に聞き従って生きる人物が、主から貴ばれ、世の人々からも貴ばれる時代になります。

心から感謝を込めて。

HAJIME