全てを捨てた後に残る「神様の愛」。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は、全てを捨てても残るものについて、書いていきたいと思います。

ここ最近は、信仰生活をしていく中で、神様から「捨てなさい」と仰られた内容について、私の人生を通して細かくお伝えしてきました。

細かく、そして具体的にお伝えする事で、後の兄弟姉妹の皆様方のお役に立てるのではないかと考え、記事にさせて頂いております。

そうする事で、一人でも多くの方が神様を信じ、神様を愛し、最後の最後まで信仰を守り通していけるのではないかと、私は信じています。

兄弟姉妹の皆様方のお役に立てる事もまた、私にとっては大変光栄な事ですし、喜びです。

昨日は22時過ぎに帰宅し、お風呂に入った後、22時半頃から昨日の記事で悟った事を中心に話をし、最終的には離婚の話を切り出しました。

案の定、妻は「嫌だ」と離婚を拒否します。

突然、離婚の話を切り出されて、すぐに承諾する方というのは、ほぼいないと思います。

出来る限りの説得を試みましたが、押し問答が続くばかりで、約一時間程の時間を使用してしまいました。

明け方を守らなければならない為、就寝させて欲しいと訴え、23時半頃に就寝しました。

就寝し始めてすぐに、頭の中で「プルルルル」と電話のコール音がしました。

その後、妻のLINEがジャンジャン鳴っていましたので、恐らく友人に離婚の話を切り出されたと、報告をしているんだと思います。

私は、頭の中で鳴った電話のコール音が、神様からの霊感である事にすぐに気付きましたが、その時はまだその意味がよく分かっていませんでした。

明け方の1時に起きようとするも、目覚ましを解除した後、すぐ気を失った様に二度寝してしまいます。

(二度寝は私の弱点、欠点ですので、直さなければなりません。)

二度寝後に起床したのが3時頃です。

そこからお祈りを始めて、妻に離婚を切り出した事をご報告しながら、今後どうすれば良いのか神様にお伺いしました。

すると、次の映像が頭の中に流れました。

私がいつも通勤で使用する大きな交差点で、トレーラーがUターンする映像です。

Uターンして、来た道を戻ろうとするにつれ、どんどん車幅が狭くなり、最終的には身動きが一つも取れなくなるという映像でした。

つまり、妻との離婚を諦めて、世の中の常識に戻るならば、あなたは身動き一つも取れなくなる厳しい状況に置かれるという事を、映像を通して教えて下さいました。

その後、引き続きお祈りしていると、更に次の映像が流れました。

私が過去にハマっていたリネージュ2というゲームで、対人戦闘中(PvP)に相手を魔法のクリティカルによって一撃で倒すシーンが映像で流れました。

魔法のクリティカルは通常の4倍の威力ですので、相手を一撃で仕留める事が出来ます。

つまり、妻に離婚を決意させる言葉で、一回で決着を着けなさいという事になります。

その時に、私は就寝時の電話のコール音を思い出し、直接会って話すのではなく、電話で話しなさいという意味だったんだと悟りました。

ですから、本日どこかのタイミングで妻に電話をし、妻に離婚を決断させる言葉を使って、妻を捨てたいと思います。

その為、言葉としてはかなりキツイ言葉になるかと思いますが、致し方ありません。

昨日話をした時に初めて知ったのですが、ちょうど来週から、妻は扶養の範囲内で新たにパートに行く予定だった様です。

まずは一週間お試しとの事ですが、その事実とタイミングから、私が離婚を切り出した事は、私の試験兼練達であり、妻への裁きも兼ねられているのだと分かりました。

昨日話をしていく中で、サタンは情を使ってきますので、途中で気付かぬ内に離婚しない様な方向へと誘導されかけました。

その誘導は、まるで氷が張った池に、池の柵を乗り越えて無防備に氷の上を歩いても大丈夫だと誘導している様なものであると、この記事を書いている今、神様が映像を通して教えて下さいました。

そして、誘導に引っかかる事なく、池の柵を乗り越えずにいる事が安全であるという事も教えて下さいました。

もしかすると、アダムとエヴァも似た様な状況だったのかもしれません。

サタンに騙されたエヴァの執拗な誘惑(誘導)に、アダムは耐え切れずに池の柵を乗り越え、池という大きな穴に落ちてしまった。

つまり、柵を乗り越え=一線を越えて、エヴァと異性の罪という落とし穴に落ちてしまったという事ではないでしょうか。

異性の罪についてはこちらの記事をご覧ください。

その結果、全人類が不幸のどん底へと陥る事になりました。

ですから、絶対にこの誘導に引っ掛かってはいけないという事になります。

そして、その誘導をされかけた時に、頭痛がし始めましたのですぐに気付きました。

そこで、「妻を捨てなさい」という神様が与えて下さった霊感の通りに考えを改め、もう一度はっきりと伝えました。

しかし、優しい言葉での説得にはなかなか応じてくれません。

明け方の中で神様が与えて下さった霊感の通りに、一撃で相手を仕留める程の厳しい言葉を伝えなければならない訳ですが、どの様に伝えるべきかという事も、神様にお伺いしました。

今日は土曜日ですが出勤の為、出勤中の車内で御言葉と賛美をしている時に、伝える内容についての構想が浮かんできました。

昨日は、妻に対して、私とあなたは結婚する事が元々決まっており、今回の様に離婚する事も決まっていたと、様々な悟りを通してお伝えしました。

そこで、今回は、私たちは神様が創造して下さったものであり、私もあなたも神様の創造物であり、神様の所有物でもある事を伝え、私とあなたが結婚する事が決まっていたのも、それはお互いにとっての成長に必要な事であったから、神様が結婚させて下さったという事。

そして、お互いが成長していく中で、互いに次のステップへ行く為に、お互いが一緒にいる必要性が無くなったから離婚するんだと話をし、だからこそお互いを捨てなければならないという事。

これ以上、お互いが一緒にいても、私も妻も成長しない旨を説明し、更に成長する為に、離婚をするんだとして、考える余地は無いとも伝えるつもりで考えています。

そして、それでも聞かない場合は、妻に対する裁きである事も伝え、私が妻を必要としなくなったから捨てるんだとも、話をするつもりでいます。

この事は、ゴルフを通して、神様が既に答えを与えて下さっていました。

私がまだ本気でゴルフを練習していた頃、幼馴染とのゴルフでは信仰を保つ上で支障が出ると感じた為、私が信仰を持っている事情を知っている妻と二人でラウンドすれば、その支障もだいぶ軽減されると考え、妻にゴルフクラブを購入した事があります。

その時に、妻は私から必要とされた事に対してかなり喜んでいましたので、その逆を行う事で、妻は私に愛想を尽かし、私から離れていく事になると思います。

また、妻にゴルフクラブを購入したのは良いものの、購入後しばらくして、私はゴルフを捨てる事になりましたので、実際には一緒にラウンドへ行く事もなく、自宅に放置されている様な状況です。

本来であればあまり言いたくない言葉ではありますが、サタンに完全勝利し、神様の御心の道を行く為には通らなければならない道です。

ですから、腹をくくるしかありません。

人は、誰かから必要とされる事で、その存在価値を感じます。

これは、誰しもが言える事です。

一撃で仕留める言葉としては、この言葉が妻には最も心に突き刺さる言葉になります。

この様に伝えると、「捨てられた」という印象が強くなる為、私を恨み、憎んでくるかもしれません。

最終的にはそこまで覚悟して、伝えなければなりません。

また、その様になった場合には慰謝料を請求される事も予想されます。

慰謝料を請求されても、私にはお金が100万ちょっとしかありませんので、その程度の額しか支払えません。

仮に貯金の全額を失っても、私は神様の御心の道である離婚の道を選択します。

これは揺らぐ事がありません。

会社(仕事)、妻、お金も全て失う形になるかもしれませんが、残るものもあります。

それは、神様への愛です。

世の中の物を全て失っても神様を愛する道を行くのが、真の義人であると、時代の中心者RAPTさんが御言葉を通して事細かに教えて下さいました。

RAPTさんがいらっしゃらなければ、今の私は無く、また、この道を歩み続けて行く事すら不可能でした。

そして、全てを失った時に初めて、人は真に「愛」になれるのだとも教えて下さいました。

「愛」について、聖書には以下の様に書かれています。

ーーーーーーーーーーーーーーーコリントの信徒への手紙一 13章1節~13節

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

ーーーーーーーーーーーーーーー

私は、この愛についての聖句をRAPTさんが教えて下さった時に、よく読んでいました。

でも、何度読んでも表面的にしか分からず、知識的に知るという様な状況でした。

しかし、今の自分の状況からこの聖句を見返しますと、パウロが全てを捨てた上で、この手紙を書いていた事がはっきりと良く分かります。

手紙の中に、「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。」と書かれています。

この幼子というのは、御言葉を学んでいなかった時の事を表していると考えられます。

そして、成人というのは、御言葉を学び、信仰が強く、神様と繋がった状態を表しています。

つまり、「御言葉を学んでおらず、信仰を持っていなかった時は、世の常識で物事を話し、世の常識の中で思い煩い、世の常識の考えが真に幸せな考え方だと思って生きていた。しかし、御言葉を学び、神様の考えを持つ事で、神様の考え方の素晴らしを知り、信仰が強くなった今、私は世の常識の全てを棄てた。」と、現代の言葉ではこの様に訳せるのではないでしょうか。

そして、世の常識の全てを捨てた後に残るものが、「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」と、パウロは手紙の中で書いています。

神様の愛で、全世界中の人々を救う為には、私も全てを捨てなければなりません。

ですから、捨てる事に迷いはありません。

神様が救おうとされていらっしゃる方を救いたいですし、神様の願っていらっしゃる御国を、この地上世界で神様の身体となって手足となって、どこまでも大きく壮大に建国していきたいと、私はそう願っています。

神様のこれまでの歴史において、6000年間もの長きに亘って、人類は神様に反逆の限りを尽くしてきました。

その為、この反逆の歴史に終止符を打ち、後の1000年間を神様と人間が愛を成す世界、地上天国・千年王国をどこまでも大きく壮大に建国し、その基礎、礎をどこまでも大きく壮大に築いていきたいとも、私は願っています。

また、妻は私と結婚するまでは、薬漬けの毎日を過ごしていました。

身体に悪い健康食品などを毎日の様に食べては、片頭痛に悩み、鼻炎の症状が出ては、頭痛薬や鼻炎薬を常に常備し、事ある毎に薬を服用していました。

しかし、私がRAPT理論を学び、薬は身体に良くないからと、口を酸っぱくして言い続けた結果、薬に頼らない様に努力する様にもなりました。

今は、どうにも我慢出来ない時だけ、薬を服用する様にしています。

また、健康的な生活をする為に、化学調味料などの食品添加物の事をも口やかましく言った結果、最初は覚える気も全く無かったにも関わらず、陰で密かに努力し、今となっては私よりもその知識を持っている程です。

味噌などの調味料も自分で調べては、より身体に良い物を見つけてきてくれたりもしていました。

また、結婚した当初は料理があまり得意ではなく、味付けも微妙でしたが、インスタグラムで料理の勉強をしては努力し、その結果、料理の腕も上達し、いつも美味しいご飯を作ってくれる程にもなりました。

ですから、夜ご飯を食べる時は、いつも楽しみにしていましたし、心の底から美味しいと言っては、喜んで妻の料理を食べていました。

私の健康の為にと、肉、魚、野菜などのバランスを考えて料理をしてくれていた事も知っています。

ですから、本当に嬉しかったですし、本当にありがたかったです。

また、二人で山登りも始め、当初は二人とも全く登れる様なレベルでは無かったですが、妻も投げ出す事なく一緒に努力していった結果、ある程度余裕に登れる様にもなりました。

妻と一緒に登った回数は、約2年半で確か49回だったと思います。

山に登り始める前は、二人とも太っていましたが、山に登り続けていった結果、二人とも徐々に痩せては健康的になっていきました。

また、妻が太った原因については、私が「美味しいお店にたくさん連れて行ったからだ」とも言われた事もありました。

クリスマスディナーで行った愛知県岡崎市のフレンチレストラン「シェトモ」。

妻の誕生日祝いで行った愛知県岡崎市の寿司屋「すし人三篤」、エクシブ有馬離宮「鉄板焼き」。

ランチに二人してハマっていた愛知県新城市の無添加中華料理「玖老勢 蘭華」など、数多くのお店に足を運んでいました。

また、妻はいちごが好きでしたので、いちご狩りにも毎年足を運んでいました。

その位に、妻とは日本の各地方へと旅行に行きました。

北海道は札幌、小樽、新潟県五泉市、石川県、富山県氷見市、福井県、長野県、岐阜県高山市、神奈川県湯河原市、箱根、静岡県伊豆市、御前崎市、山梨県、三重県、大阪府、滋賀県、京都府、兵庫県神戸市、姫路市、沖縄県など、細かく挙げだしたらキリがありません。

その他にも、妻が好きだった安室奈美恵の引退ライブのチケットに二人で申し込み、私は落選したものの、妻は当選し、私は人生の初ライブを妻と共に安室奈美恵の引退ライブに行った事もありました。

また、妻は鼻炎の症状(いわゆる花粉症)がひどく、ティッシュが欠かせません。

ティッシュも普通のティッシュではなく、エリエールの+Waterでないと、鼻がすぐに痛くなってしまいますので、私は常に車の中にBOXティッシュとポケットティッシュを欠かさずに準備していました。

また、私が山登り用に購入した帽子や、ゴルフで使う帽子をただ置いていただけだったのを見かねて、クローゼットにつっかえ棒を取り付けては、帽子を掛けられる様にもしてくれていました。

更に、妻は裁縫が上手で、私が仕事で使っているスラックスのボタンが取れたりした時は、ものの2~3分程度ですぐに直してくれたりもしました。

また、妻は結婚当初、仏教の厄除けの札の様な物を持っていましたが、仏教は悪魔教だから捨てなさいと私が伝えた所、素直に捨ててくれ、いつも友人と行っていたにも関わらず、私を優先してその友人と行く事も止めてくれたりもしてくれました。

更には、お盆などの行事(かがり火など)にも、妻の実家へと顔を出さなくても良い様に配慮すらもしてくれました。

また、妻は物持ちがとても良く、家電なども壊れるまで使う等、物を大事に扱う人でした。

私は良く注意されていましたので、妻を見習って物を大事にしていきたいと思います。

また、マナー違反にも厳しく、ちょっとした事でも厳しく指摘された事もありました。

その時は、私が怒っている時が多く、その度に悔い改めてきました。

また、結婚後に私が欲しかった腕時計を購入する際には、指輪のお返しとしてお金を出してもくれました。

元美容師だった妻は、私の服のセンスを正してくれたり、髪の毛をセットしなければならない時には、髪の毛のセットをもしてくれました。

まだ結婚をする前の頃ですが、私が電車通勤の帰りに妻のアパートへ寄った後、往復で約一時間かかる道のりにも関わらず、私を実家に送り届けてくれた事が何度もありました。

その頃に、私が妻のアパートのトイレを詰まらせてしまい、対応を誤った私は、トイレの水を溢れさせてしまった事がありました。

その際にも、妻は一切怒る事も無く、詰まりを解消して掃除するだけで許してくれました。

また、結婚する前の事ですが、妻の知り合いから紹介された石屋さんで、パワーストーンも作りに行った事もありました。(信仰を持つ前の話でもあります。)

私が仕事での愚痴をこぼした時などは、嫌な顔一つする事なく聞いてくれたりもしました。

コロナワクチンの接種が開始されてからは、ワクチンの危険性を私が妻に常々教えていた為か、妻も自分で調べる様になり、妻の親族の皆に一緒になってワクチンの危険性を伝えてくれたりもしてくれました。

その他にも、コロナに関する情報やワクチンに関する情報で調べた事を、私に教えてくれる程にもなりました。

結婚した当初は、その様な情報には無頓着であったにも関わらず、今現在は私が情報拡散している話を聞いているからか、一般の方よりも世の中の事を知っているレベルになっています。

更に、サラリーマン生活の中で、明け方の時間に起きれていない私に気付いては、その度に起こしてくれたりもしました。

また、妻は私の両親に対しても、とても大事に接してくれました。

私の母が交通事故で寝たきりになった時には、私の母の為にと実家の家事を手伝ってもくれました。

当時は正社員でフルで働いていた為に、体力的にもしんどかったと思いますが、文句を一つも口にする事なく、手伝ってくれました。

また、母が回復してからは、エクシブ湯河原離宮(温泉)へも母と一緒に行ってくれたりもしました。

この様に、どこまでも本当に良くしてくれた最愛の妻でした。

私たち義人は、神様を第一に愛さなければなりません。

最愛の妻であるが故に、私は妻を捨てなければならないのです。

かつて、アブラハムは晩年になってようやく授かった息子のイサクを、神様の仰る通りに生贄へと捧げました。

ーーーーーーーーーーーーーーー創世記22章1節~18節

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、
神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、
アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。
御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。
地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。

ーーーーーーーーーーーーーーー

晩年に授かった独り子であったイサクを、アブラハムは惜しまず神様に捧げたのです。

晩年で授かった独り子ですから、常識で考えたら生贄にする事は出来ません。

ですが、アブラハムは神様の仰る通りに捧げたのです。

この事を神様はとても喜ばれ、アブラハムを祝福しています。

ですから、私もアブラハムを見習って、神様の仰る通りに行動しなければなりません。

「妻を捨てる」と、キーボードで文字を打つ事は簡単です。

しかし、実際に本人を目の前にして言うのは、とても気が引けました。

それでも言わなければなりません。

昨日、離婚の話を切り出した際には、「私もコロナワクチンを打って死ねば良かった。」とさえ言われてしまいました。

その言葉を聞いた時はショックでしたが、妻が自暴自棄になって間違いを起こす事が無いように、神様に祈り求めた後に、この記事に書いた通りの内容で、離婚の事を妻に伝えていきたいと思います。

私にとって一番大事な人を捨てる訳ですから、そう簡単に捨てる決断が出来るものではありません。

ですが、私は御言葉の通りに従って、神様に恩返しすると決めていますので、神様の仰る通りに行動するしかありません。

神様を第一に愛するが故に、最愛の妻を捨てます。

離婚の話を聞いた時は怒り狂い、嘆き悲しむ事になるかと思いますが、然るべき時に、この記事に最愛の妻「祥枝」が出会えます事を心から願っています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HAJIME