【仏教は悪魔教】偶像(仏像)を拝む「偶像崇拝」は神様への反逆行為に該当します。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は、偶像崇拝について書いていきたいと思います。

まず初めに、偶像崇拝は聖書にて明確に禁じられている行為の一つです。

聖書で禁じられているという事は、神様に対する反逆行為へと直結する行いになります。

にも関わらず、ここ日本では仏閣がそこかしこに建てられては、日常的に仏像という偶像を拝んでいる状況にあります。

仏像を拝む事が聖書で禁じられている行為だと知っている日本人は、そこまで多くないと思われます。

何故なら、偶像崇拝が禁じられている行為である事は、聖書を読まなければ分かりません。

そして、ここ日本で生活していく中で、聖書に触れる機会というのがほぼありません。

その代わりに、小学校の修学旅行では仏閣へと連れていかれる傾向にあります。

愛知県の小学校の修学旅行では、奈良県は東大寺の大仏、京都府の金閣寺、三十三間堂などに連れて行かれます。

義務教育の中で仏閣について教え、修学旅行にて授業で教えた仏閣の現場に連れて行っては、偶像崇拝という「罪」を小学生の段階から意図的に犯させているのです。

仏閣で仏像を拝む行為が「偶像崇拝」という「罪」に該当し、神様への反逆行為である事は、引率の先生方もその事実を知りません。

何故なら、子供たちに教えている先生方ですらも、イルミナティ(悪魔崇拝者)によって洗脳されているからです。

既に洗脳された先生方から義務教育という教育を受ける訳ですから、必然的に子供たちも洗脳されていく事になります。

義務教育で仏閣について教え、修学旅行で仏閣の現場に連れて行くという一連の流れは、私たち庶民に偶像崇拝という「罪」を犯させる為に、意図的に仕組まれている事なのです。

では、誰がこの様な一連の流れを意図的に仕組んでいるのかと言えば、学校関連のトップである「文部科学省」です。

そして、文部科学省のトップは「文部科学大臣」で、更にそのトップは「内閣総理大臣」です。

つまり、私たち庶民に意図的に偶像崇拝という罪を犯させる様に仕向けているのは、「政府」という事になります。

昨日の記事で、政府=イルミナティ(悪魔崇拝者)だとお話させて頂きました。(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

イルミナティというのは、サタン(悪魔)を拝む悪魔崇拝者の集まりの事を言います。(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

日本の政府そのものがイルミナティ(悪魔崇拝者)ですから、日本のあらゆる分野にて、イルミナティによるサタン(悪魔)の思想が盛り込まれている事になります。

サタン(悪魔)及びイルミナティ(悪魔崇拝者)は、神様への反逆行為ばかりを徹底的に行って来ている連中です。

イルミナティ(悪魔崇拝者)だけが神様への反逆行為を行うだけならいざ知らず、私たち庶民に真実を隠しては、私たち庶民を騙し、知らぬ間に神様への反逆行為という「罪」を犯させているのです。

ですから、日本人の多くの方が、仏像を拝む事が偶像崇拝という罪に直結する事を知り得ない現状にあります。

そして、子供たちを教える立場にある先生方も、既にイルミナティによって洗脳されている以上、自分達の身は自分達で守らなければなりません。

つまり、義務教育を始めとする学校教育においては、イルミナティ(悪魔崇拝者)にとって都合の良い内容しか教えていない事になります。

イルミナティ(悪魔崇拝者)にとって都合の良い内容というのは、先程も申し上げました通り、神様への反逆行為を行わせては、私たち庶民に「罪」を犯させる事です。

私たち庶民に「罪」を犯させる為に、真実を教えるのではなく、反対に真実を隠しては、嘘を教えているのです。

仏像を拝む事が、神様への反逆行為となる偶像崇拝の「罪」と教えるのではなく、むしろ仏像を拝む事でご利益があるという「嘘」を教えているのです。

仏像を拝む事が、偶像崇拝という神様への反逆行為に繋がると、きちんと義務教育で教えているならば、恐らく多くの方がその教えを守るのではないでしょうか。

そして、この地上世界に存在している全ての偶像を取り除く事で、偶像崇拝が蔓延る事も無くなるものと思います。

洗脳が深い方は、偶像を拝む事を止められず、自宅などで小さな仏像などを拝むかもしれません。

しかし、いくら偶像を拝んだ所で、何のご利益もありませんし、むしろ神様から裁かれるだけです。

ですから、偶像崇拝には何のメリットも無く、むしろ、ただ神様から厳しく裁かれるというデメリットでしかありません。

そして、そもそも仏像というのは、その材質が木であったり銅であったりと、この地上世界にあるものから造られた「ただの物」でしかありません。

聖書には、以下の様に書かれています。

ーーーーーーーーーーーーーーー詩編115編4節~8節

国々の偶像は金銀にすぎず/人間の手が造ったもの。
口があっても話せず/目があっても見えない。
耳があっても聞こえず/鼻があってもかぐことができない。
手があってもつかめず/足があっても歩けず/喉があっても声を出せない。
偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じようになる。

ーーーーーーーーーーーーーーー

偶像は人間の手が造ったものに過ぎず、何の力もありません。

実際に、偶像は口があっても話せず、目が合っても見えず、耳があっても聞こえず、鼻があっても嗅ぐことは出来ず、手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声が出せません。

正に、聖書に書かれている通りです。

偶像はただの物ですから、自分から動いたりする事はありません

自分自身すらも動かす事が出来ない偶像に、ましてや人間の願いを叶える事など出来はしません。

更に、偶像は人間が造った物ですから、人間の造った物にその様な力があるはずもありません。

東大寺の大仏や、鎌倉の大仏の様に大きく見えた所で、所詮は人間の手によって造られた物に過ぎません。

東大寺が火事になったとしても「大仏」は逃げる事が出来ません。

ただ燃えるのを待つだけです。

もし、仏像に人間の願いを叶える力があるのだとしたら、東大寺が火事になる事も防げますし、大仏そのものも燃えるのを免れる事が出来るはずです。

実際に、東大寺は落雷や焼失等によって修理を繰り返している様です。

ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら

天平13年(741年) – 聖武天皇による国分寺建立の詔
天平15年 – 聖武天皇による大仏造立の詔
天平16年 – 甲賀寺において、大仏造立開始
天平17年 – 恭仁京から平城京へ遷都
天平勝宝4年(752年) – 大仏開眼供養
天平勝宝7年 – 戒壇院建立
承和3年(836年) – 空海、真言院を創建。
斉衡2年(855年) – 大仏の頭部落つ、同年修理。
承平4年(934年) – 西塔が落雷焼失。
応和2年(962年) – 南大門が倒壊。
長保2年(1000年) – 再建中の西塔が再び焼失。

長元4年(1031年) – 深覚、西院創建
保安元年(1120年) – 大宰府の観世音寺、東大寺の末寺となる。
治承4年(1180年) – 平重衡による南都焼討。東大寺、興福寺は大被害。
文治元年(1185年) – 大仏落慶供養。
建久6年(1195年) – 東大寺総供養。
元弘元年(1331年) – 後醍醐天皇、東南院、続いて末寺笠置寺へ潜幸。
康安2年(1362年) – 東塔が落雷焼失。
永禄10年(1567年) – 東大寺大仏殿の戦い、大仏殿や大仏など東大寺大被害。
永禄11年(1568年) – 山田道安による大仏頭などの修復、清玉による勧進はじまる。
天正11年(1583年) – 西大門が倒壊。
慶長11年(1606年) – 中御門が焼失。
寛文7年(1667年) – 二月堂焼失。

元禄元年(1688年) – 公慶による大勧進、復興始まる。
元禄5年(1692年) – 大仏開眼供養。
明治元年(1868年) – 神仏分離令
明治5年 – 浄土宗に組込まれる。
明治12年 – 大仏殿修造開始。
明治16年 – 華厳宗として独立。
大正4年(1915年) – 大仏殿修理落慶供養。
昭和48年(1973年) – 昭和大修理開始。
昭和55年(1980年) – 昭和大修理。

ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで

855年には、大仏の頭が落ちて修理していると書かれています。

まず、大仏の頭が落ちている時点で、大仏自身に何の力も無いという事が分かります。

そして、落ちた大仏の頭を修理している事からも、大仏自身で修理が出来ない事が分かります。

この様に、自分の頭を落ちる事も防げず、まして、自分自身の頭を元に戻す修理も出来ないのが大仏です。

ですから、この様な大仏(偶像)をいくら熱心に拝んだ所で、何も得るものはありません。

むしろ、偶像崇拝という「罪」を犯す事になり、神様から裁かれてしまいます。

また、神様を信じてないから偶像崇拝をしても問題無いと考える方が中にはいらっしゃるかもしれません。

しかし、その考えは間違っています。

何故なら、この地上世界を創造されたのは神様です。

つまり、神様がこの地上世界の創造主です。

創造主である神様が「罪」であると定めている訳ですから、この地上世界で生きている全ての人間が対象になります。

神様の存在を信じていようと信じていまいと、創造主である神様は、私たち人間の日常生活を24時間365日ご覧になられています。

つまり、神様の存在を信じていない人でも、日頃の全ての行いが神様にチェックされているのです。

それこそ、母の胎にいる時から今現在に至るまでの全ての行いを、全人類の誰一人見逃す事なく、ご覧になられています。

そして、神様は世の終わりの時には裁きが下されると、予め警告して下さっています。(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

この警告をご覧になり、自身の行いを悔い改め、行動に移される方は幸いです。

しかし、心頑なにして悔い改めない場合には、神様の容赦ない裁きが下される事になります。

今回の偶像崇拝に関する記事をご覧になられた事で、偶像には何の意味も無ければ、何のご利益も無く、むしろ神様の目に「悪」とされる行いであるという事がご理解頂けるかと思います。

偶像崇拝という行為が何の意味も無く、むしろ神様の裁きに該当する行為であると分かった訳ですから、今後はもう偶像を拝まなければ良いのです。

偶像を拝まない様にする事は、誰でもすぐに正す事の出来る行いです。

ですから、何も難しい話ではありません。

拝んでも何の意味も無いものを、ただ拝まなくなるだけですから、誰でもすぐに出来ます。

そして、偶像を拝む事を止めた後は何を拝めば良いのかと、思う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、その答えはもう既に出ています。

創造主である「神様」を拝めば良いのです。

ただし、神様は「霊」ですから、目には見えません。

じゃあ、目に見えない神様をどう拝めば良いのかと言えば、RAPTブログ有料記事の御言葉を学び、御言葉にどこまでも従順に従って生きていく事、ただそれだけです。

厳密には、神様を「拝む」と言うのは語弊があります。

今回は、偶像崇拝からの説明という事で、便宜上その様な文言を使用させて頂きました。

厳密には、神様の御言葉にどこまでも従順に従う事で、神様を愛する事になります。

神様は愛の御方でいらっしゃいます。

ですから、神様は私たち人間の事をどこまでも愛して下さっています。

しかし、日本人の多くが特にそうですが、目に見えない神様の存在に気付いて下さる方がとても少なく、ほとんどの方が目に見えない神様の事を信じようとはせず、信じて下さいません。

その為、神様の愛は一方通行の様な状況になっています。

その様な状況にある為、これまで神様の存在を信じられなかった方が神様の存在を確信した時に、神様はとても喜ばれます。

目に見えない神様の存在を確信し、神様を信じて下さる方が新たに現れる事は、ある意味「奇跡」に近い事なのです。

ですから、その「奇跡」を神様はとても喜んで下さるのです。

イルミナティ(悪魔崇拝者)は、神様が目に見えない存在である事を利用して、私たち庶民に目に見える物を使って誘導しては、真実を隠し続けてきました。

その一つの例が、今回の記事である偶像崇拝に繋がる「仏像」を作っては、この仏像が「神」だとして、仏像を拝ませて来たのです。

しかし、その仏像はただの物に過ぎず、仏像自身では何も出来ない代物です。

その様な代物が「神」であるはずがありません。

神様は、御言葉にどこまでも従順に従おうと努力している私たち義人一人ひとりの行いに応じて祝福して下さいます。

何の力も無い仏像とは違って、神様は行った分に応じて、「祝福」というご褒美を豊かに与えて下さいます。

聖書には以下の様に書かれています。

ーーーーーーーーーーーーーーーエレミヤ書32章37節~42節

「かつてわたしが大いに怒り、憤り、激怒して、追い払った国々から彼らを集め、この場所に帰らせ、安らかに住まわせる。
彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。
わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。
わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いを込めて確かに彼らをこの土地に植える。
まことに、主はこう言われる。かつて、この民にこの大きな災いをくだしたが、今や、彼らに約束したとおり、あらゆる恵みを与える。

ーーーーーーーーーーーーーーー

上記の聖句からも分かる通り、神様は恵みを与えることを喜びとされている御方でいらっしゃいます。

与える事を喜びとされていらっしゃる訳ですから、神様を信じ、神様の御言葉にどこまでも従順に従おうと努力していくならば、行った分に応じて必ず祝福して下さいます。

行った分に応じて祝福される訳ですから、神様を少ししか愛さなかった人は少しの祝福が与えられ、神様を大きく愛した場合には大きな祝福を時に応じて与えて下さいます。

この様に行った分に応じて祝福されます。

つまり、熱心に神様を愛すれば愛する程、それだけ大きく祝福される事になります。

ですから、御言葉にどこまでも従順に従って神様を愛する事で、神様から豊かに祝福され、どこまでも幸福な人生を生きていく事が出来ます。

神様を信じ、神様を愛し、神様の御心を成していく生き方こそが、人間が真に幸福な人生を生きられる唯一の方法なのです。

その全ての方法を事細かに教えて下さっているのが、RAPTブログ有料記事の御言葉です。

RAPTブログ有料記事の御言葉の存在を知っていながら、有料記事の購読をためらっている方は本当に勿体ない事をしています。

有料記事の購読をためらう気持ちは、私も痛い程に分かります。

私もRAPTブログに出会っていながらも、有料記事の購読に中々踏み込めなかった者の一人です。(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

私は、神様の存在をはっきりと確信した事で、有料記事を購読する決断をする事が出来ました。

もし、有料記事の購読をためらい、中々踏ん切りが付かない方については、私と同様に神様の存在を確信する何かが起こる可能性があります。

その時にこそ、私と同様に神様の存在を確信し、有料記事の購読を決断する事になるものと思われます。

神様が確実に存在していらっしゃると確信した上で御言葉を学んでいくと、信じるというレベルの話ではなく、神様の存在そのものを感じる様になっていきます。

神様はあらゆる方法を通して、神様の存在がより確信出来る様にと、自分の身に起きる事や、身の回りで起きる事など、本当に多種多様なあらゆる手法で教えて下さいます。

その様に神様からのメッセージを感じられる様になってきますと、最早信じるというレベルの話ではなくなり、神様の存在を確信せざるを得なくなります。

そして、どんなに辛く苦しい問題にぶつかったとしても、神様に祈り求める事で、神様と共にその問題を解決していく事が出来ます。

神様は、この世のあらゆる全ての分野を司っていらっしゃる全知全能の神様です。

創造主であり、全知全能の神様に祈り求め、共に問題を解決していくならば、解決出来ない問題はありません。

神様の御言葉にどこまでも従順に従う人生を生きる事で、人生を生きる上で起こる様々な諸問題を共に解決して下さいます。

ですから、仮に問題が起きたとしても自力で全てを解決する必要が無く、全知全能の神様と共に解決していく事が出来るのです。

全知全能の神様を味方に付ける事以上に心強い事は、この地上世界にはありません。

自分の頭が落ちる事すら守れない東大寺の大仏を拝んで味方にするのと、全知全能の神様を味方にするのとどちらが良いかは、あえて言うまでもありません。

私たち人間がこの地上世界を幸せに生きていく為には、創造主であり全知全能の神様を味方に付けない限り、幸福な人生を生きていく事が出来ません。

ですから、神様が悪なる行いだと明確に仰られている偶数崇拝から離れ、RAPTブログ有料記事の御言葉にどこまでも従順に従って生きていく事で、私たち人間が最も幸福な人生を生きられるのです。

政府(イルミナティ)は、この事を私たち庶民に知って欲しくありません。

だからこそ、仏教を古くからこの日本で広めては、目に見える仏像を拝ませて来たのです。

そして、この事を今まで誰も解明出来ず、明確に教えて下さる方がいませんでした。

その為、私たち庶民は政府(イルミナティ)の都合の良い様に洗脳されては操られて来ました。

しかし、時代の中心者RAPTさんがこの地に降臨され、神様と共に解明された「RAPT理論」がこの地上に登場した結果、サタン(悪魔)を拝むイルミナティの秘密がことごとく暴かれました。

そして、この地上世界をサタン(悪魔)が支配していたからこそ、サタン(悪魔)を拝むイルミナティが全世界を牛耳る事が出来ていた事も、明らかにされました。

時代の中心者RAPTさんの登場によって、少しずつ神様の存在を確信し、神様を愛する義人が増えていった結果、遂にこの地上世界の支配権を神様がサタン(悪魔)から奪い取る事になりました。(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

そして、政府(イルミナティ)に力を与えていたサタン(悪魔)の支配権が無くなった今、政府(イルミナティ)は、いつ滅んでもおかしくない程にガタガタになり、正に風前の灯火といった状態になっています。

サタン(悪魔)が支配権を失い、神様がこの地上世界を支配する様になった為、政府(イルミナティ)の嘘や悪事が次々と暴かれています。

今回の偶像崇拝もその内の一つです。

ですから、政府(イルミナティ)が私たち庶民に推奨してくるあらゆる全ての事に裏があると考え、警戒していかなければなりません。

まずは、今回の偶像崇拝から離れる事がその第一歩とも言えます。

神様への反逆行為が盛り込まれている宗教は全て「悪魔教」です。

仏像を拝む仏教は、偶像崇拝だけが神様への反逆行為という事ではありません。

実は、仏教で唱える「お経」や「真言」というのは、サタン(悪魔)を召喚する呪文なのです。(詳細は下記リンクの記事をご覧ください。)

葬式を仏式でされる方が日本では多いかと思いますが、葬式で唱えるお経というのは、サタン(悪魔)を召喚する為の呪文なのです。

この事実を知ってしまったならば、仏式で葬式を挙げたいと思う方が必然的に減っていき、むしろ仏式で葬式を挙げたく無くなるものと思われます。

この様に、私たち庶民に植え付けられている「常識」というのは、サタン(悪魔)を拝む政府(イルミナティ)が神様への反逆行為という真実を隠し、私たち庶民を騙してはサタン(悪魔)を拝ませる様にしているものばかりなのです。

つまり、私たち庶民が神様の存在に気付かない様にする為に洗脳工作された情報が、今の世の中に広まっている「常識」なのです。

サタン(悪魔)によって汚染された嘘の「常識」を打ち破り、神様の御言葉を基にした新しい「常識」へと作り変えていかなければなりません。

全世界中の多くの人々が神様の存在を確信し、神様を愛する世界へと「常識」レベルから変えていく事で、全世界中の多くの方が救われる事に繋がります。

今回の記事を通して、一人でも多くの方がこの世の真実を知って頂き、神様の存在を確信するきっかけとなりましたら幸いです。

一人でも多くの方が、救われます事を心からお祈り致します。

心から感謝を込めて。

HAJIME