こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、地上世界の支配について、書いていきたいと思います。
まず始めに、私たち義人は、神様を信じ、神様を愛し、神様の為に生きています。
私たち義人は、神様の為に生きている訳ですが、具体的に何をしているのかと言えば、お祈りしたり、賛美をしたり、御言葉を学んだり、伝道したりというのが、主な活動になります。
どれも全て、神様が喜ばれる事に繋がります。
それぞれの活動内容について、具体的に書いていきたいと思います。
お祈りは、一言で言えば「願い」です。
〇〇したい、〇〇の様になりたい等、人それぞれ心の中に、大なり小なりの願いがあるかと思いますが、その願いを全て叶える事は、人間の力だけでは不可能です。
一部は叶っても、一部は叶わなかったりと、全てが叶うという事はないと思います。
何故かと言えば、神様に依り頼んでいないからです。
この地上世界を創造されたのは、神様です。
創造主である神様の御力が無ければ、人間は心の中にある「願い」を全て叶える事が出来ません。
その「願い」を叶える為の条件が、お祈りです。
お祈りの中で、心の中にある「願い」を全て打ち明け、神様にお祈りする事で、神様はお祈りが叶う様に導いて下さいます。
ただし、ただ金持ちになりたい、有名になりたい、芸能人になりたい、と言った自分自身が欲している様な欲にまみれた願いについては叶えられません。
では、どういう祈りが叶うのかと言えば、神様が喜んで下さる祈りが、強力に叶えられます。
神様が喜んで下さるお祈りは何かと言えば、義人の救いと悪の滅び、この地上世界を神様の御国へと建国する事です。
これまで、この地上世界は約6000年間に亘ってサタンが支配していました。
神様が創造されたこの地上世界を、サタンが牛耳っていたのです。
なぜサタンが牛耳っていたのかと言えば、アダムとエヴァが性的に堕落し、人類は6000年に亘る刑罰の期間に入ったからです。
6000年間に亘って、サタンが地上世界を支配する事で、神様の裁きが敢行されていました。
しかし、6000年に亘る刑罰の期間にあっても、神様は使命者を次々と地上に送っては、一人でも多くの方を救おうとされて来られました。
しかし、かつて神様を信じていたユダヤ人が、神様の律法に聞き従う道を捨て、神様に反逆し始めました。
聖書を読むと分かりますが、聖書には人類が神様に反逆してきた歴史がたくさん書かれています。
人間は、神様の律法に聞き従えば祝福されると言う契約を神様と交わしていたにも関わらず、その契約を反故にしてきたのは人間の方なのです。
神様は、私たち人間を誰よりも愛していらっしゃいます。
だからこそ、律法に聞き従う事で祝福するという契約を人間と交わし、その契約は今現在でも続いています。
神様は、今日においても人間との契約を守っていらっしゃるのです。
律法は約4000年前のモーセの時代ですが、実はそれ以前にも、神様は約束を守り続けていらっしゃる事があります。
それは、アブラハムに対する祝福の言葉です。
聖書には以下の様に書かれています。
ーーーーーーーーーーーーーーー創世記12章1節~4節
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
アブラムは、後にアブラハムと名を改名します。
アブラハムの時代は、およそ6000年程前の事と言われています。
そして、時代の中心者RAPTさんが御言葉の中で、今現代において、神様を信じている私たち義人は、アブラハムの子孫ではないかと仰られ、神様は今もアブラハムとの約束を守っていらっしゃると仰られた時に、私はとても感動し、涙が止まりませんでした。
6000年前にアブラハムと交わした約束を、神様は守っていらっしゃると考えた時、このとてつもなく偉大で壮大な愛は人間には無いと思い、もの凄く感動しました。
神様のとてつもなく偉大で壮大な愛に、とても感動し、心から感謝しました。
ユダヤ人は神様に反逆していますが、神様に聞き従い続けたユダヤ人もいます。
先生もRAPTさんも、神様に聞き従い続けたユダヤ人の血を引いているのではないかと、仰られていました。
この事を聞いた時、私も不思議とそう思いました。
また、アブラハムの血が流れているという事も、不思議とそう思いました。
その証拠と言えるかは分かりかねますが、母を伝道した際に、一緒に聖書を渡しているのですが、母はある聖句を読んだ途端に涙が溢れて止まらなくなったそうです。
その聖句が、以下の聖句です。
ーーーーーーーーーーーーーーーマタイによる福音書6章9節~13節
だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』
ーーーーーーーーーーーーーーー
イエス様が祈りについて仰られている聖句になりますが、こちらの聖句を読んだ途端に涙が溢れて止まらなかったそうです。
その説明を私にしている時でも、母は泣きそうになっていました。
恐らく、母の霊が神様の御言葉に感動したからだと、私は当時母に話しました。
この事から考えますと、父の家系ではなく、母の家系にユダヤ人の血が流れていると考えられます。
母は、青森県は鯵ヶ沢市の生まれです。
そして、母の家系は皆背が高く、母の兄は180cm以上あり、母の祖父の白黒写真を見た時には、一人だけ背が抜きんでて高かったのを覚えています。
現に私は186cmありますので、その血を引いているものと思われます。
そして、青森県はユダヤ人が重要視している土地でもありますので、母の家系にユダヤ人の血が入っている可能性は非常に高いと言えます。
背がそこまで高くない日本人において、母の祖父の時代から背が高いのは、ユダヤ人の血が入っているからなのかもしれません。
また、父の家系においても、もしかしたらユダヤ人の血が流れているのかもしれません。
幼少の頃に父から聞いた話ですが、父の家系図を遡ると、現在の秋田県辺りで戦国大名をしていたそうです。(後日、父に会った際に改めて確認した所、山形県の辺りと言っていました。2021年11月7日追記。)
しかし、下剋上に遭い、南下した結果、上杉謙信の側近になっていたと父が話をしてくれた事があります。
戦国大名はユダヤ人である事も判明していますので、父の家系もまたユダヤ人の血が流れている可能性が高いと言えます。
つまり、私は父と母双方で、ユダヤ人の血が濃く流れているのかもしれません。
しかし、母は伝道出来ているものの、父はまだ伝道出来ていません。
母は伝道出来たと言っても聖書を読んで、少しお祈りしている程度で、御言葉を常に学ぶというレベルではありません。
もし、父に伝道出来たとしても、恐らく母と同様の状況になるものと思われます。
このブログを書き始めてからというもの、過去に犯した罪の悔い改めの内容から、私は幼少の頃から神様がお導き下さっていたのではないかと思います。
私が最初に犯した明確に覚えている罪が「盗み」の罪です。
私は、地元の市営団地に幼少の頃住んでいたのですが、その団地の駐輪場にて、当時流行っていたファミコンの連射機コントローラーが落ちていたのを見て、私はおもむろに拾っては、まるで自分の物の様にして持ち帰るという盗みの罪を犯していました。
幼稚園の頃だったのは覚えていますので、年齢で言えば4歳~5歳の頃だと思います。
また、中学生の頃には、学校まで歩くのを面倒くさがっては、途中の公園の様な場所まで自転車で行っていた事もありました。
しかし、その帰りにバランスを崩してこけては、膝がずる向けになった事もありました。
今になって思い返しますと、ズルをしていた事を咎められた、神様の裁きだったと思います。
そして、高校生になると、自分自身の行動故に不幸が連続します。
私が入学した高校は、隣の市の高校で、周りに知っている人物はほぼいない様な環境になります。
その為、ゼロからのスタートになる訳ですが、まず友達作りに失敗します。
その理由は、私のプライドの高さ故に自らの発言を非を認める事をしなかった為、高校時代の私は周りから浮いていたと思います。
また、それだけでなく、高校からの帰宅時には巨大なトレーラーから大量の水を跳ねられては右半身がズブ濡れとなり、その日一日中怒りと憎しみ、恨みの気持ちを抱いて過ごすという罪を犯していました。
また、高校からの帰りに、一緒に帰っていた子がタバコの自販機でタバコを買おうとした所、ピンポイントでパトカーが来た事もありました。
タバコを買おうとしていた子は一目散に逃げる訳ですが、私は逃げるのは良くないな思い、警察に尋問される訳ですが、私は当時タバコを持っていませんでしたが、一緒にいた子を呼び出す様に言われました。
まだそこまで親しかった訳では無かった訳ですが、一緒にいた子を警察に引き渡した様な結果になりました。
当然、その子からは警察に売られた様な形に見られる為、良い風には見られません。
警察の対応が終わると、「ああいう時は逃げなきゃ駄目だよ」とも言われました。
逃げるのは悪い事をしているからであって、悪い事をしていない私は逃げる必要が無かっただけの事です。
ですから、無条件で逃げる様に言われるのは意味が分かりませんでした。
当時は、悪を行うのが格好いいという様なサタン的な風潮でしたから、その様な考え方が普通だったのかもしれません。
また、高校生の頃は情欲にまみれていた訳ですが、同じ高校生の女子で、スカートをサドルに敷かずに自転車に乗っている女子がいました。
ですから、自転車に乗って走るだけでスカートがめくり上がり、下着が見える事になります。
私が通学していると、たまたまその子が前を走る時があり、その時に私はその光景を目の当たりにしてしまった為、情欲の罪を犯していた事は言うまでも有りません。
また、高校生では最初水泳部に入るものの、体育の授業で私を見たバスケ部の顧問の先生が、私をバスケ部に勧誘しました。
当時はスラムダンクが流行っており、思い上がった私は自分もスラムダンクの桜木花道の様な事が出来るんじゃないかと思った訳ですが、当然の事ながら、現実はそんなに甘く有りません。
私はど素人で、ドリブルもまともに出来ず、また長距離を走るのも苦手でした。
ですから、毎日の練習すらも付いていけていない状況にありました。
にも関わらず、顧問の先生からバッシュも買って貰う等の特別扱いも受けてしまっていました。
その為、一部の部員からは、あまりよく思われていなかったとしても不思議ではありません。
部員の皆はバスケが好きで、皆熱心にバスケをやっていました。
そんな中、ただ背が高いだけの人物に、顧問の先生が引っ張ってきては、バッシュまで買って貰うという特別扱いを受けたら、あまり良い顔をしないのは、ある意味当然の事です。
しかも私は、少しの時間ではありますが、練習試合で試合に出たりした事もあったので、試合に出たくても出れない部員が不満を持ってしまうのも無理はありません。
だからと言って、イジメがあったとか、嫌がらせをされたとかは有りません。
そして、バスケ部に所属して以降、犯した罪が3つあります。
二つが盗みの罪で、一つが女性の肌着を着用するという罪です。
盗みは、当時のバスケ部メンバーが、自販機の下からジュースを抜き取る方法を知っており、その盗んだジュースを私も受け取っては飲んでしまっておりました。
ですから、盗みの罪を犯していたも同然です。
もう一つは、ある焼肉店にバスケ部メンバーで行った際に、大人数の為、テーブルが離れ離れになり、伝票も別になっていました。
同じテーブルメンバーの一人が、伝票を隠せば気付かないだろうという事で、私もそれに賛成してしまい、結果的に盗み食いの罪を犯してしまっておりました。
なお、今現在その焼肉店は閉店しており、今は別のお店になっています。
女性の肌着着用の罪は、バスケ部の練習が終わった後、部室付近に女性の肌着が落ちており、バスケ部のメンバーが、ネタとして拾っては着ていました。
そして、当時一番身体が大きかった私が来たらどうなるのかという事で、私もネタで着用してしまっておりました。
その時に、女性の衣服を着用するという罪を犯しました。
また、高校からの帰宅時には、車と電柱の間を無理に通ろうとしては、車のミラーを破損させてしまった事や、自転車で坂を上るのに必死で立ちこぎしていたら、他校の男子高生と正面衝突し、相手方に怪我を負わせてしまった事もありました。
どちらも私の不注意と、驕り高ぶった傲慢・高慢の罪によるものです。
また、高校2年生の頃には、クラスのメンバーとカラオケに行っては、お酒を購入して持ち込んでは、酒・タバコの罪を犯してしまっていた事がありました。
その行為を繰り返していた訳ですが、ある日いつもの様にカラオケに行く話があったものの、不思議と頭が痛くなったので、その日は断って帰宅しました。
明くる日通学すると、皆の顔が暗く、元気がありませんでした。
話を聞くと、お酒を飲んで通路で誰かが倒れて(寝て)いた為、お店の方が警察に通報したとの事で、その結果、補導されたと言っていました。
当時の私は偶然だと思っていたのですが、今振り返りますと、神様が行かない様にお導き下さっていたのではないかと思います。
その後、クラスの大半のメンバーが停学処分となり、極少数で授業を受けた事もありました。
また、実家で雑種の犬を一匹飼っていたのですが、何故か理由が定かではありませんが、延々と吠え続けていた為、私は犬を何度も叩いては虐待に近い行為を犯してしまっていた事もありました。
余りに吠え続ける事にイライラしてしまった私は、家の中から犬の見える窓ガラスを蹴ってしまい、その拍子にガラスが割れ、足の裏を縫う事態にまで陥りました。
当時はまだバスケ部に所属しており、上記の理由を伝える訳ですが、この理由で怪我をするのはまともではありませんので、ただでさえ不満に思われている中にあるにも関わらず、この様な理由を真顔で言う訳ですから、更に不信感を抱かれていたものと思われます。
また、あるバスケ部員と帰宅時に、女子に告白する話の時には、付き合える女子が当たるまで告白する当たり屋的な話をネタ的にした所、相手からは「最低」との返事があったりと、発言が裏目に出る事もありました。
付き合いたいなと思ったクラスの女子とメールしていた事が、翌日か翌々日辺りに、クラスの男子にすぐに露呈したりした事もありました。
また、クラスの男子とファミレスに行っていた時には、何故か隣のテーブルの高校生に対して、一緒にいたメンバーが挑発し、喧嘩に発展しました。
私は仲裁に入り、喧嘩を止めましたが、お店の方が警察に通報され、警察が来る前にお互いに仲直りして、事なきを得た事もありました。
そして、バスケの練習で身体の使い方が分かっておらず無理した結果、腰を痛めてしまい、立っているのも辛い状況に陥ってしまった為、高校2年生の頃にバスケ部を退部しました。
この様に、高校生になると、偶然とは思えない事や、補導を免れたり、発言が裏目に出たりなど、様々な事が立て続けに起きた為、高校生の頃は私の中での黒歴史の様で、高校生の頃の事を意図的に考えない様にしていた為か、同級生の方のほとんどの名前が記憶から抜け落ちてしまっておりました。
ある時、地元の居酒屋で高校の同級生から声を掛けられるものの、記憶が抜け落ちており、名前を思い出せないといった事もありました。
当時は信仰を持つ前の事でしたので、高校時代の事から向き合わずに逃げていた訳ですが、信仰を持ってからは罪を悔い改めなければなりませんので、必然的に向き合わざるを得ません。
信仰を持って悔い改め続けている内に、この様な現象が偶然に起こるのかと考える様になり、良い事も悪い事も全部、神様が私の弱点と欠点を克服する為に、お導き下さって頂いていたものと、思う様になりました。
現実的に、これらの罪を悔い改め続けてきた結果、自分自身が少しずつ変わって来ている事を実感しています。
過去の辛い経験を悔い改め続けていく事で、自分自身の成長へと直結する事になりますので、自身の黒歴史を向き合って、罪を悔い改める事が肝要であると、経験上から言える事でもあります。
自身の弱点・欠点に向き合う事でより成長出来る訳ですが、自分一人では弱点・欠点に向き合えない、または向き合いたくないと思う方もいらっしゃるかと思います。
私もそうでしたので、気持ちは良く分かります。
私は自分自身の振り返りたくない過去を、自分で黒歴史として固く閉ざしていました。
しかし、信仰を持ってからは、自ら閉じた黒歴史を自ら開封して、黒歴史の中身を全て悔い改めていかなければなりません。
私が、自ら閉じた黒歴史を開封する事が出来たのは、信仰を持ったからです。
自分一人では出来なかった事も、神様を愛する為にと、神様の為に自らの黒歴史を開封しました。
神様は、私たち義人を神様の恋人にしようと練達して下さいます。
そして、神様の恋人になる為には、全ての罪を悔い改め続けていかなければなりません。
何故なら、神様はどこまでも完全な御方であり、私たち人間はどこまでも不完全だからです。
ですから、罪の悔い改めを怠る事は、神様の恋人になる事を自ら放棄したも同然です。
真に神様を愛しているならば、神様の為に自らの黒歴史も開封して、向き合いたくない現実とも向き合って、悔い改めていかなければなりません。
罪を悔い改める事で、自身が気にしていた黒歴史も、段々と気にならなくなっていきますので、どんどん心が軽くなっては、楽になって行くのを感じています。
罪の悔い改めもお祈りをする上で重要ですし、お祈りの一部です。
ですから、毎日明け方の祈りで、罪をきちんと悔い改める事がとても重要です。
罪を悔い改めなければ、お祈りも深く入りません。
ご参考程度に、私が実践しているお祈りを箇条書きにしてご紹介させて頂きます。
①神様へ感謝のお祈り。
②イエス様、先生、時代の中心者RAPTさんへの感謝のお祈り。
③本日あった事のご報告と、罪の悔い改めのお祈り。
④過去の全ての罪の悔い改めのお祈り。
(経験上、サタンが傍に来ると、罪の悔い改めのお祈りを阻害され、悔い改める内容が思い浮かばなくなります。その時はサタンが滅ぶ様にお祈りしたり、祈りの場をサタンからお守り下さる様にお祈りしています。)
⑤自分自身が神様の御心を成す為のお祈り。
⑥時代の中心者RAPTさんへのお祈り。
⑦十二弟子の皆様方へのお祈り。
⑧全ての兄弟姉妹の皆様方へのお祈り。
⑨世の人々が救いを受けられる様に願うお祈り。
⑩イルミナティ、創価学会、群馬人脈を始めとした、悪を行う者達に対する裁きと滅びのお祈り。
以降は、⑥と⑩のお祈りをメインに繰り返す事が多いですが、霊感構想を受ける為に⑤も繰り返します。
⑪私事の簡単な報告事項や、神様にお伺いしたい事、御心を成す為に必要と思う物を願ったり、今日(または先)のスケジュールで〇〇しても良いかをお伺いする祈り、その他気になる事などのお祈り。(心の中にある願いを祈らない事は罪です。かと言って、御心ではない祈りはしない事が知恵です。)
⑫最後に神様への感謝のお祈りと、時代の中心者RAPTさん、十二弟子の皆様方、全ての兄弟姉妹の皆様方へ神様からの祝福があります様に、今日も一日神様の為に生きられます様にと、お祈りして終えています。
今現在は、この様な形で明け方のお祈りをさせて頂いております。
一通りお祈りするのに、2時間~2時間半ほどもあればお祈り出来るかと思いますので、後は時間の許す限り、⑥と⑩をメインに繰り返します。
また、御言葉で指示があったお祈りの項目は、通常のお祈りに組み込むなど、その都度臨機応変に対応しています。
忘れそうな時は、項目をメモにする事で、忘れる事を防止出来るかと思います。
私は、室内で自転車を漕ぎながら、目を瞑って集中してお祈りする様にしています。
座って目を瞑ると寝てしまいますので、集中してお祈り出来る環境を整える事もまた大事な事だと思います。
人それぞれで集中しやすい方法は異なりますので、ご自身にあったお祈りの方法を見つけてみると良いかと思います。
例:歩きながら祈る、車の運転をしながら祈る、バランスディスクに乗りながら祈る等。
また、時に⑤は後の方で祈り、⑥を優先する事が多々あります。
これは、日々の御言葉で配信されるRAPTさんの身の回りの状況や、その日の明け方の感覚から臨機応変に変えています。
⑥は特に集中してお祈りする様にしています。
神様の歴史を成す事を考えた場合には、自分の事よりも時代の中心者RAPTさんが優先されます。
ですから、御言葉の状況に合わせて、臨機応変にお祈りしています。
そして、特に⑥と⑩を繰り返し集中してお祈りしていく事で、お祈りの後半は深くお祈りが入る傾向にあります。
余計な事は考えず、⑥と⑩に集中する事で、雑念が消えて、神霊になっていく感じがあります。
⑥と⑩を集中して繰り返しお祈りしていく事で、世界の動きが変わっていく事をも実感しています。
明け方のお祈り後は、いつもTwitterを通じてRAPT理論+αの記事に目を通す事で、神様の裁きが進行している事を実感していますし、十二弟子の皆様方の証や悟りも、私にとっては大変恵み深く、更なる悟りを与えて下さっています。
毎日欠かさずお祈りするからこそ、この様な恵みを受けられているのだと、この記事を書く事で実感しております。
ですから、明け方のお祈りを毎日欠かさず、コツコツ行う事がとても重要です。
集中してお祈り出来る方法を確立してしまえば、お祈りする事は苦ではありません。
むしろ、お祈り後は頭がスッキリして、心が軽くなり、意欲的に行動する事が出来る様になります。
ですから、お祈りをしないのは本当に勿体ない事だと、今この記事を書きながら思う次第です。
最初の内は、なかなかお祈りしにくい状況かと思いますが、諦めずに続けていく事で、お祈りも深く入る様になります。
続けていく事で、罪も悔い改めていけますので、必然的に雑念も無くなっていきます。
このブログを書き始めてからは、ブログの記事を書かないと落ち着かない様な状況になってしまいました。
明け方に霊感構想が来ないなと思ったら、日中や仕事中に突然来たり、就寝した瞬間に来たりと、実に様々です。
ですから、常に神様を意識していないと、神様が与えて下さる霊感構想を地に落とす事になってしまいますので、忘れそうな時はすぐにメモを取る様にしています。
また、私は御言葉を通勤中の車内で聞いていましたが、昨日の出勤中に何度も眠気に襲われて事故に遭いそうになり、その理由に気付かない私に「もう車の中で御言葉を聞くのはやめなさい」と、神様の怒りの波長を感じましたので、昨日の帰宅時から、車内で御言葉を聞く事は止めました。
冷静に考えると、運転中は運転もしなければならない為、神様の御言葉に集中していない訳ですから、神様の心情を傷付けてしまう事になります。
その事に気付きましたので、すぐに悔い改めました。
また、法定速度の遵守、ハンドルから手を離したり、一般道でのアイサイトの使用、運転中にスマホを操作する事も、併せて厳しくご指摘を受けましたので、これからは法令遵守で対応していきます。
その為、今は車内でずっと賛美しています。
片道40~45分程ですので、その間はずっと賛美しています。
以前の記事にも書かさせて頂きましたが、私は音痴で、歌がNANAさんの様に上手ではありません。
ですが、神様への感謝を込めて精一杯賛美しています。
賛美している時にも、色々な構想が頭に浮かんできたりもします。
これは、聖書を読んでいる時でもそうですが、自分で考えている様な感覚になりますので、自分自身の雑念かと思ってしまう時もあります。
また、最近は聖書を読むスピードを調節されている感覚があります。
記事の内容や、自身の周りの状況に合わせて、聖書通読のペースを神様が調節して下さっているのを感じます。
私は昼休憩の一時間で、いつも聖書を読んでいますが、今日は半分以上寝ていましたし、全く寝ずに読める時もあったりとマチマチです。
ですから、聖書を読む事も神様の御心であると、実感しています。
霊感を受け始めて思うのですが、聖書を読んでいないと、神様の霊感を正しく言葉に出来ない事を実感しています。
その為、最初から聖書を積極的に読む事がとても重要です。
一昨日の記事の後半になるにつれ、感じる霊感がどんどん強力になり、頭に浮かんで来る霊感が言葉としてはっきりと浮かび、手がものすごく早く動き、まるで自分ではない感覚に陥りました。
とても不思議な感覚で、記事をUPした後に就寝するも、心臓がドキドキして、常に興奮している様な状況で、体も熱くなり、なかなか寝られませんでした。
神様が与えて下さる霊感の通りに記事を書いていく中で、悟った事などを記事に組み込んでいますので、このブログが伝道に繋がるのではないかと、私は考えています。
信仰の四本の柱を万遍なく立てる事で、より信仰が強固になっていきます。
妻も明け方のお祈りをする様になりましたが、妻にサタンが寄って来るのを感じますので、一緒にいる私もそのサタンの影響を受けてしまいます。
そんな中、昨日の明け方のお祈り中に、突然お腹が痛くなりました。
トイレでお祈りすると祈りやすかったので、「離れて祈りなさい」と、神様がお導き下さったのではないかと感じました。
それ以降は、それぞれ別々の部屋でお祈りする様にしました。
また、妻と一緒にお祈りした事で、サタンの波長を実感する事も出来ました。
サタンの波長を感じて、サタンの滅びをお祈りすると、身体が熱くなり、天使天軍が来て下さっているのも実感しました。
サタンの滅びばかりでお祈りが進まないと思い、「サタンはまぁいいや」と思い、サタンの滅びの祈り止めた途端、空気が一瞬にして凍り付いた経験もさせて頂きました。
その時に、天使天軍の皆様方の心情を傷付けてしまった事をも悟り、悔い改め、再度お祈りし始めました。
これらの経験から、霊の世界はとても敏感な世界である事を、身をもって実感致しました。
また、お互いの信仰のレベルや罪の悔い改めがある程度一緒でない限りは、同じ部屋でお祈りするのは控えた方が良いと思います。
部屋を離れる事で、お互いの波長による影響はかなり軽減されます。
お互いの信仰に差があっても、やけになる事なく、希望を持って前向きに信仰生活をしていく事が重要です。
妻と二人で信仰生活を始めてまだ三日目ですが、妻の考えがすぐに世の常識的な考えに囚われてしまう為、サタンによる洗脳の深さを目の前で実感しています。
また、昨日帰宅した時に聖書を読んでいる妻の姿を見て、私はとても嬉しく思いました。
最初は、明け方のお祈りと罪の悔い改め、賛美、御言葉、聖書を欠かさずにやる事が重要かと思います。
これらを全て習慣化する事で、サタンの洗脳が少しずつ薄れていく事と思います。
しかし、世の中の常識的な考えに戻った妻を見た時は、思わず心の中で「サタンだ。」と思いました。
これは、私たち人間全員が神様からご覧になられた時に、サタンだと感じられている事だと思いますので、根深い罪を完全に悔い改めていかなければなりません。
自分は出来ていると思った時は、傲慢、高慢な考えに陥っている時と思っていますので、常にもっと上を目指す意識を持って、取り組んでいかなければなりません。
私はまだ信仰を持って三年経過していませんので、この先も神様の試験に全て通過していく事が出来ます様に、引き続き神様に祈り求めながら、練達を耐え忍び、常に完全を目指して努力し続けていきたいと思います。
最後になりますが、私たち人間が信仰の四本の柱をしっかりと立てる事で、この地上世界に神様の偉大な御力が強力に臨み、この地上世界をサタンの支配から神様と天使天軍が奪い取る事になりました。
正に、天と地が一体となってサタンを挟み撃ちにした結果、この地上世界の支配権をサタンから奪い取る事になったのです。
その為、これまではサタンの支配下であった為、悪を行う事がカッコいいという悪が蔓延る時代は終わりを告げ、善の法則が強力に働く様になりました。
ですから、これまで悪を行って栄えて来た者達は、この先行って来た悪事が次々と暴かれては滅んでいく事になります。
サタンが支配していた時代に通用していたやり方は、もう通用しません。
神様の御言葉の通りに全人類が羊と山羊とに振り分けられ、羊には祝福を、山羊には裁きが下される事になります。
今回の記事を通して、一人でも多くの方が救われ、羊へと振り分けられます事を心からお祈り致します。
悪を行って栄える時代は終わりました。
これからは、神様を信じ、神様を愛する「義」を行う義人が栄え、祝福と繁栄の道へと歩んでいく事になります。
悪を行っていた者達が罪を悔い改め、一人でも多くの方が「義」へと立ち返り、神様を愛する義人となって栄え、祝福と繁栄の道へと歩んで行って下さいます事を心からお祈り致します。
罪を悔い改めない者には、神様の裁きが下されます。
罪を悔い改めない限り、神様の裁きは終わりません。
この事を深く悟って、悪を行っていた者は罪を悔い改め、義に立ち返って下さいます事を心からお祈り致します。
心から感謝を込めて。
HAJIME