オペラもまた悪魔崇拝へと通じます。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は、オペラについて書いていきたいと思います。

その様に思ったのも、ハリウッド映画の「グレイテスト・ショーマン」が切っ掛けです。

グレイテスト・ショーマンと言えば、「サーカス」がメインの話になっています。

サーカスを前面に押し出しているのも、古代ローマ帝国の愚民化政策である「パンとサーカス」からきているものと思われます。

パンとサーカスについては下記引用をご覧ください。

パンとサーカス: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス西暦60年 – 130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう[1]

愚民政策の例えとしてしばしば用いられる名言であり警句である。

出典:パンとサーカス – Wikipedia

現代においても、イルミナティによる愚民化政策が行われている事は、「女王の教室」で「天海祐希」が教えてくれています。

下記ツイートの動画をご覧ください。

TV、漫画、アニメ、映画、スポーツなどがサーカス(娯楽)と言えます。

一昔前に、TVでプロ野球ばかりが放映されていたのも愚民化政策のサーカス(娯楽)だったという訳です。

現在では、インターネットが普及している為、ネット上でもサーカス(娯楽)行為が行われています。

その筆頭が、「YouTube」と言えるのではないでしょうか。

その証拠として、人気YouTuberのほとんどが上級国民です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

つまり、人気YouTuberで上級国民という事は、イルミナティの愚民化政策の一環として派遣されている工作員という事になります。

ですから、人気YouTuberから発せられる情報や思想には、イルミナティの思想を植え付ける為の洗脳を意図している可能性がありますので、十分にご注意下さい。

さて、映画「グレイテスト・ショーマン」に話を戻しますが、私はこの映画を見て印象に残っている物の一つとして、オペラ歌手による歌唱シーンが印象に残っています。

グレイテスト・ショーマンで演じられているオペラ歌手は実在していた人物で「ジェニー・リンド」という人物になります。

ヨハンナ・マリア・リンド(Johanna Maria Lind, 1820年10月6日 – 1887年11月2日)は、スウェーデンオペラ歌手ジェニー・リンドとしてよく知られており、しばしば「スウェーデンのナイチンゲール」と称された。19世紀において最も注目を集めた歌手の一人であり、スウェーデンやヨーロッパ中でソプラノの役を演じていた。1840年からはスウェーデン王立音楽アカデミーの会員であった。彼女の極めて大きな人気を博したアメリカツアー(en)は1850年に始まった。

リンドは1838年の「魔弾の射手」のスウェーデン公演後に有名になった。数年のうちに声の障害に苦しむようになるが、歌唱の指導者だったマヌエル・ガルシア[注 1]が彼女の声を救った。彼女は1840年代にはスウェーデンと北ヨーロッパ中で非常に多くのオペラの役を演じ、メンデルスゾーンの弟子になっている。ロンドンでの熱狂を巻き起こした2回のシーズンを最後に、29歳の彼女はオペラからの引退を表明する。

(中略)

1843年に彼女はデンマークへと演奏旅行に出たが、そこで彼女を目にしたアンデルセンは恋に落ちる。2人はよき友人となったものの、アンデルセンの恋は片想いに終わっている。彼女は彼の3つの童話に霊感を与えたと考えられている。「柱の下 Beneath the Pillar」、「天使 The Angel」と「小夜啼鳥 The Nightingale」である[4]彼はこう記している。「詩人としての私にいかなる本、人物よりも高貴な影響を与えてくれる人、それがジェニー・リンドだ。彼女は私を芸術の聖域にいざなってくれるのだ[4]。」伝記作家のカロル・ローゼン(Carol Rosen)は、アンデルセンはリンドに求婚を断られたことで、「雪の女王」に氷の心を持つ人物として彼女を描写したのだと信じている[1]

出典:ジェニー・リンド – Wikipedia

ジェニー・リンドは、「魔弾の射手」を演じた事で一躍有名になった様です。

「魔弾の射手」は、悪魔ザミエルと契約する事で、7発中6発は狙い通りに命中させる事が出来る代わりに、1発は悪魔の望む所へ命中するという話です。

原題は、ドイツの民間伝説に登場する、意のままに命中する弾Freikugel)を所持する射撃手(Schütz)[注 1]の意である。この伝説では7発中6発は射手の望むところに必ず命中するが、残りの1発は悪魔の望む箇所へ命中するとされる。

出典:魔弾の射手 – Wikipedia

つまり、魔弾は悪魔の弾と言えます。

この様に、オペラは普通に「悪魔」が出てきますので、イルミナティ(=悪魔崇拝者)が広めてきた文化と言えます。

この「魔弾の射手」を演じた事で有名になったジェニー・リンドですが、「メンデルスゾーン」という人物に弟子入りしています。

1821年に、ツェルターは同時代の友人で書簡をやり取りする間柄だった文豪ゲーテにメンデルスゾーンを紹介した。

(中略)

メンデルスゾーンはその後何度かゲーテに招かれて会っており、ゲーテの詩の多くに曲をつけている。ゲーテに霊感を受けて作曲された作品には他に序曲「静かな海と楽しい航海 Op.27」とカンタータ最初のワルプルギスの夜 Op.60」がある。また、メンデルスゾーンは1825年に作曲した「ピアノ四重奏曲第3番ロ短調 Op.3」をゲーテに献呈している。

出典:フェリックス・メンデルスゾーン – Wikipedia

メンデルスゾーンは「ゲーテ」とも繋がっており、ゲーテから霊感を受けて作曲をしていた様です。

そのゲーテですが、彼はフリーメイソンでした。

1780年の31歳の時、フランクフルトのロッジにてフリーメイソンに入会。4年後に書かれた「秘密」という叙事詩にはフリーメイソンをモデルとした秘密結社を登場させている。

(中略)

政治家としてのゲーテはヴァイマル公国の産業の振興を図るとともに、イェーナ大学の人事を担当してシラーフィヒテシェリングら当時の知識人を多数招聘し、ヴァイマル劇場の総監督としてシェイクスピアカルデロンらの戯曲を上演し、文教政策に力を注いだ。

出典:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ – Wikipedia

ゲーテは、1780年にフリーメイソンへ入会していると書かれています。

フリーメイソンは悪魔崇拝者の集まりですから、メンデルスゾーンがゲーテから受けた霊感というのは「サタン(=悪魔)」という事になります。

という事は、サタン(=悪魔)から霊感を受けたメンデルスゾーンも悪魔崇拝者と言えます。

そして、メンデルスゾーンの弟子になったジェニー・リンドも少なからず悪魔崇拝と関っていた事になります。

メンデルスゾーンの死に際して、リンドはこう記している。「(彼は)私の精神を満たしてくれる唯一の人でした。彼を見つけたと思った途端、また失ってしまったのです」1869年、リンドはメンデルスゾーン生誕の地であるハンブルクに彼を記念する飾り板を掲げた。

出典:フェリックス・メンデルスゾーン – Wikipedia

ジェニー・リンドは、メンデルスゾーンの事を「私の精神を満たしてくれる唯一の人でした。」と発言していますが、この発言は恐らくサタン(=悪魔)から霊的な力を受けていたからこその発言とも取れます。

そして、ジェニー・リンドを称賛している人物に「マイアベーア」という人物がいます。

マイアベーアも1825年に『エジプトの十字軍』のパリ公演で名声を博し、1826年からパリに定住し、悪魔のロベール』(1831年)や『ユグノー教徒』(1836年、『預言者』(1849年)などの歌劇を発表し、国際的名声を確立し、グランド・オペラの黄金時代を築き上げた。

出典:ジャコモ・マイアベーア – Wikipedia

マイアベーアの作品にも悪魔に関する作品が見受けられます。

「悪魔のロベール」は、現代バレエの先駆けとなった作品の様です。

ロマンティック・バレエの最初の舞踏は『悪魔のロベール』の第3幕第15曲に挿入された「死んだ尼僧たちの踊り」である。このバレエ・シーンは修道院長エレナ役のマリー・タリオーニのために父フィリッポ・タリオーニが振付けたもので、不吉に舞台を照らすガス照明による月の光、修道女たちの白い衣装とヴェールという非現実的な効果の中で、“シュル・レ・ポワント“ (爪先で立ち)とアラベスクが使われた[7]。また、バレエ・ブランと言われる女性ダンサーたちが白いコスチュームを着用して踊るバレエの先駆けにもなった。バレエ・ブランの有名な例としては、1832年の『ラ・シルフィード』(ジャン・シュナイツホーファ作曲、フィリッポ・タリオーニ振付)を始め、1841年の『ジゼル』(アドルフ・アダン作曲)、1877年の『白鳥の湖』(ピョートル・チャイコフスキー作曲)などがある。

出典:悪魔のロベール – Wikipedia

有名な「白鳥の湖」も、マイアベーアの「悪魔のロベール」から影響を受けている様です。

そして、「悪魔のロベール」だけでなく「ユグノー教徒」も、後のオペラ文化に大きく影響を与えている様です。

『ユグノー教徒』はマイアベーアの前例のないほどの成功をした傑作と考えられ、フランス風のグランド・オペラのプロトタイプとなったことで、ワーグナー(第4幕のラウルとヴァランティーヌのデュエットが『トリスタンとイゾルデ』の中に想起される)や後にパリ・オペラ座向けにフランス語のグランド・オペラを作曲することになるヴェルディベルリオーズビゼーグノーチャイコフスキームソルグスキーなどへも影響を与えた。『ユグノー教徒』は1906年5月16日に1,000回目の上演を記録し、パリ・オペラ座で1,000回以上上演された初めてのオペラとなった。

出典:ユグノー教徒 (オペラ) – Wikipedia

「ユグノー教徒」は、「サンバルテルミの大虐殺」を描いた作品になっています。

サンバルテルミの大虐殺については下記引用をご覧ください。

宗教改革ジャン・カルヴァンの思想がフランスでも勢力を持ち、プロテスタントはカトリック側から「ユグノー」と呼ばれた。1562年以降、フランスはカトリックとユグノーとの内乱状態(ユグノー戦争)となっていた。

国王シャルル9世の母后カトリーヌ・ド・メディシスの提案により、ユグノーとカトリックとの融和を図るため、ユグノーの指導者であるナバラアンリ(有力な王位継承権を持つブルボン家当主)と王妹マルグリット(国王シャルル9世の妹)が結婚することになった。1572年8月17日に結婚式が行われ、ユグノーの中心人物であるコリニー提督はじめ多くのユグノー貴族が結婚を祝うためパリに集まっていた。8月22日にコリニーが狙撃されて負傷する事件が起こると、ユグノーは憤り、国王に真相究明を求めた[1]

2日後、サン・バルテルミの祝日である8月24日、カトリック強硬派のギーズ公の兵がコリニー提督を暗殺し、シャルル9世の命令により宮廷のユグノー貴族多数が殺害された。だが、事態は宮廷の統制を超えて暴発し[2]、市内でもプロテスタント市民が襲撃され、虐殺は地方にも広まり、犠牲者の数は約1万~3万人とされる。

出典:サン・バルテルミの虐殺 – Wikipedia

「ユグノー教徒」は、フランスのパリで講演されていたオペラです。

ですから、プロテスタントである「ユグノー」を弾圧し、虐殺した事を称賛したオペラという事になります。

カトリックとプロテスタントの争いを描いたものになりますが、カトリックもプロテスタントもどちらもイルミナティ(=悪魔崇拝者)によって乗っ取られています。

虐殺した事を称賛するという行為自体、非常に悪魔的であると言わざるを得ません。

そして、そんな「マイアベーア」が影響を与えた人物に「ワーグナー」という人物がいます。

ワーグナーの菜食主義は、ヒトラーの菜食主義にも影響を与えた[53]。また、ワーグナーは動物実験の禁止を主張した[50]

(中略)

1882年夏、ワーグナーの崇拝者であったユダヤ人指揮者ヘルマン・レーヴィはルートヴィヒ2世の命によって、『パルジファル』のバイロイト祝祭劇場初演を指揮した[36][54]パルジファル』でワーグナーはインドの仏教やラーマーヤナをモチーフにしたが、「キリスト教世界の外部」の中世スペインとして設定された[47]宗教と芸術の一致を目標としていたワーグナーは、ユダヤ人のレーヴィをキリスト教に改宗せずに指揮してはならないと言ったが、レーヴィは拒否した[54]

出典:リヒャルト・ワーグナー – Wikipedia

ワーグナーは菜食主義だった様で、「アドルフ・ヒトラー」にも影響を与えていた様です。

菜食主義と言えば、生長の家へと繋がりますので、ワーグナーも悪魔崇拝者と言えます。

そして、ワーグナーは「宗教と芸術の一致を目標にしていた」と書かれていますが、これはつまりオペラ等の文化芸術を通して、悪魔崇拝宗教の思想を植え付ける洗脳を意味している事になります。

実際に、「パルジファル」という作品は、インド仏教やラーマーヤナをモチーフにした作品になっています。

仏教は悪魔崇拝宗教です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

上記リンクより、仏教の実態が淫乱極まりない事をご理解頂けたかと思いますが、ワーグナーの作品にも不貞行為を描いた作品があります。

それが「トリスタンとイゾルデ」というオペラです。

イゾルデを勝ち得たトリスタンは、叔父マルク王のため、またコーンウォールとアイルランドの友好のため、イゾルデがマルク王の妃となることをアイルランド王に求め、王はこれを了承した。

トリスタンとイゾルデは、アイルランドからコーンウォールに向かう船の中、「初夜にマルク王とともに飲むように」と王妃から託された媚薬[2]を誤って飲んでしまい、激しい情愛に囚われることになってしまう

典型的なアーサー王物語の人物はこのようなことを恥じるにもかかわらず、 媚薬はトリスタンとイゾルデを道から外れさせた。王の相談役は何度も二人が姦通しているのではないかと疑ったが、トリスタンとイゾルデは無実であるように見せかけ続けたベルールによる作品では媚薬の効果が切れ、二人には不貞をやめるか続けるかの選択肢が与えられたという。

出典:トリスタンとイゾルデ – Wikipedia

王の妃とする女性に媚薬を飲んでしまったからと不貞行為に及んだという内容です。

この様に、人間を堕落させていく思想や言動を描いた作品になっています。

この「トリスタンとイゾルデ」の起源になっているのがケルトの様です。

物語は、ケルトに起源を持つと考えられている古代トリスタン伝説(トリスタンとイゾルデを参照)によっており、直接的にはゴットフリート・フォン・シュトラスブルク(? – 1210年)の叙事詩を土台として用いている。

出典:トリスタンとイゾルデ (楽劇) – Wikipedia

ケルトと言えばドルイド教ですから、悪魔崇拝へと繋がります。

そして、ワーグナーが「アドルフ・ヒトラー」に影響を与えた作品に「ローエングリン」というオペラがあります。

アドルフ・ヒトラーもまた『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だった。ヒトラー率いるナチス・ドイツは、ワーグナーの音楽を最大限に利用したが、とくに『ローエングリン』の第3幕でハインリヒ王による「ドイツの国土のためにドイツの剣をとれ!」の演説が、ドイツとゲルマン民族の国威発揚のためにあらゆる機会に利用された。このことがあってか、チャップリンによる映画作品、『独裁者』において主人公が地球儀をもて遊ぶ場面とラストシーンで第1幕への前奏曲が使われている。

出典:ローエングリン – Wikipedia

ナチス・ドイツにおいて、ローエングリンで使用されていたワーグナーの音楽を最大限に利用していた様です。

ワーグナーの事を調べていく中で、ワーグナーのオペラ作品や、ワーグナーに縁のある人物等の名前がアニメ「機動戦士ガンダムSEED」や、その他のゲーム等に良く使われている事に気付きました。

「タンホイザー」、「ローエングリン」、「ゴッドフリート」、「トリスタン」、「イゾルデ」、「パルジファル」、「ニーベルング」、「ジークフリート」、「ヴァルキューレ(ワルキューレ)」などの名称が良く使われています。

ガンダム等のアニメやゲームにこぞって使用されている理由として、悪魔崇拝へと繋がっているのもあるかと思いますが、「アドルフ・ヒトラー」が愛好し、ナチス・ドイツにおいての民衆煽動にワーグナーを利用していたというのが一番の理由なのかもしれません。

ここで、ジェニー・リンドに話を戻しますが、彼女が霊感を与えた人物に「アンデルセン」という人物がいます。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン: Hans Christian Andersen、デンマーク語発音: [ˈhanˀs ˈkʁæsd̥jan ˈɑnɐsn̩]ハンス・クレステャン・アナスン[1]1805年4月2日 – 1875年8月4日)は、デンマークの代表的な童話作家詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略したH. C. Andersen(デンマーク語読みで “ホー・セー・アナスン” [hɔse ˈɑnɐsn̩]、英語読みで”ハンズ・クリスチャン・アンダーソン[注釈 1]“)と呼ばれる。 アンデルセンの童話は子供から大人まで人気が高く、現在も国際的に愛されている。

代表作は人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王など。約170の作品を遺している。

出典:ハンス・クリスチャン・アンデルセン – Wikipedia

「人魚姫」、「みにくいアヒルの子」、「マッチ売りの少女」、「雪の女王」、「裸の王様」などの有名な作品を遺しています。

誰もが少なからず耳にした事のある作品ばかりですが、今の今までこれらの作品の作者については考えた事もありませんでした。

これらの童話作家である「アンデルセン」は「ジェニー・リンド」から霊感を受けていると書かれています。

ジェニー・リンドは悪魔崇拝者と繋がっていましたから、そのジェニー・リンドから霊感を受けたアンデルセンもまた悪魔崇拝者と言えます。

つまり、アンデルセンの作品の中には、サタン(=悪魔)の思想が入り込んでいる作品と言えます。

童話作家ですから、サタン(=悪魔)の思想が子供の頃から植え付けられる事になります。

最後に、チャイコフスキーやフランツ・リストなどに影響を与えていたのが「ダンテ」の「神曲」です。

ダンテ・アリギエーリイタリア語:Dante Alighieri1265年 – 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人哲学者政治家

ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄Inferno)、煉獄Purgatorio)、天国Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩神曲La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生La Vita Nuova)』がある。イタリア文学最大の詩人で[1][2]、大きな影響を与えたとされるルネサンス文化の先駆者と位置付けられている[1]

出典:ダンテ・アリギエーリ – Wikipedia

ダンテの「神曲」に影響を受けた人物が以下の通りです。

ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら

  • 数々の芸術作品に『神曲』のイメージが多用された。ミケランジェロは、『神曲』地獄篇に霊感を得て、ヴァティカンシスティーナ礼拝堂に、大作「最後の審判」の地獄風景を描いている。オーギュスト・ロダンの有名な彫刻「考える人」も、そもそもは地獄篇第三歌より着想された「地獄の門」を構成する群像の一人(恐らくはダンテ自身)として作られたものである。
  • ボッティチェッリウィリアム・ブレイクサルバドール・ダリギュスターヴ・ドレら高名な芸術家が、『神曲』の挿絵を描いている。
  • チャイコフスキーは、『神曲』中の絶唱とされる地獄篇第五歌に歌われた、フランチェスカとパオロの悲恋を題材として、幻想曲フランチェスカ・ダ・リミニ』を作曲した。
  • フランツ・リストは、『神曲』の構想をもとに『ダンテ交響曲』を作曲した。ただし、天国を描写するのは不可能ではないか、とのリヒャルト・ワーグナーの意見に従い、煉獄を描いた第2楽章の終結部で天国を象徴する「讃歌」を置くに留めている。ピアノ曲としては『神曲』の地獄篇におけるすさまじい情景を描写した『ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」』(『巡礼の年 第2年』)を作曲している。
  • ジャコモ・プッチーニの3つの一幕物のオペラ三部作より第3部「ジャンニ・スキッキ」は、『神曲』の地獄篇でほんの数行程度で語られるに過ぎないが、その一節に登場する同名の人物を題材にしている。
  • 1911年、イタリアで Giuseppe de Liguoro 監督によって地獄篇が『L’Inferono』として映画化(無声映画)されている。同映画は2004年にドイツの音楽グループ・タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream) の制作した音楽をのせる企画でDVD『L’Inferono』として発売されている。
  • ポルトガルの映画監督マノエル・デ・オリヴェイラの映画作品に、精神病院を舞台にした『神曲』 (1991年) がある。聖書ドストエフスキー作品の作中人物になりきった人々が各々の妄想の中に生き、西洋における「罪の意識」を明らかにする。
  • ボッカッチョはダンテに傾倒し、『神曲』の注釈書やダンテの評伝を残している。のちにはフィレンツェで『神曲』の講義を開いたこともある。彼がもともと『喜劇』と題された作品に『神聖なる』の形容を冠したことから、『神曲』の書名が始まった。また、代表作『デカメロン』は人間模様を赤裸々に描写したことから、『神曲』ならぬ『人曲』とも呼ばれる。
  • T・S・エリオットホルヘ・ルイス・ボルヘスジェイムズ・ジョイスヘンリー・W・ロングフェローら世界中の文学者にも影響を及ぼし、ロングフェローのように自ら翻訳を発表した者もいる。
  • ドイツの古典主義作家ゲーテの代表作『ファウスト』の世界観も『神曲』の影響を色濃く受けているといわれている。また、『ファウスト第2部』第1幕における主人公ファウストの独白部分は『神曲』と同じTerzineの韻律であり、ゲーテが『神曲』を意識して書いたことが見てとれる。しかしゲーテ自身は1826年にダンテについての小論を書いているが、「ダンテの地獄に生える青カビを諸君の世界から遠くに追い払い、澄み切った泉に恵まれたる天性と勤勉を招け」と批判しており、偉大さは理解しつつも限定的な評価を下している。[16]
  • アレクサンドル・デュマは『モンテ・クリスト伯』の主人公の名字をダンテスにしたが、これはダンテに由来するとされる。また、当時『神曲』の特に地獄篇がフランスで流行っていた (Wordsworth Classics 版モンテ・クリスト伯より)。
  • 夏目漱石は、短編『倫敦塔』で、貴人が幽閉され消えていった倫敦塔と重ねて、地獄の門に刻まれた銘を引用している。
  • 中原中也は『神曲』を愛読しており、彼の詩に『神曲』の影響を見て取る者もいる。
  • 大西巨人の代表作『神聖喜劇』の題は『神曲』の原題を意識した命名。また、オノレ・ド・バルザックは、自らの作品集を『人間喜劇』(La Comédie humaine)と名づけたが、これもダンテの“神聖喜劇”に対するもの。
  • BBC Radio4が実施した世界の名著ランキングでシェイクスピアトルストイをおさえて1位を獲得。[要出典]
  • ジャン=リュック・ゴダールの映画作品「アワーミュージック」の構成は、『神曲』に倣い地獄煉獄天国の3部構成をとっている。
  • アメリカの作曲家R.W.スミスが作曲した吹奏楽曲『神曲』 (The Divine Comedy) は、地獄編煉獄編昇天天国編の4楽章にて構成されている。概ね原典の構成に沿って作曲されており、現代的な作曲手法を取り入れながら聴き手にも伝わりやすい内容となっている。
  • アレクサンドル・ソルジェニーツィンの『煉獄の中で』(原題は『第一圏の中で』)は、舞台となった合同国家政治局 (OGPU) 管轄の特殊研究収容所をリンボになぞらえて名付けられた。
  • イタリアの音楽グループ・メタモルフォシは『神曲』に想を得た『Inferno』と『Paradiso』という組曲を発表している。

ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで

数多くの著名人に影響を与えていますが、フリーメイソンに加入している人物の名が見受けられますので、「神曲」もイルミナティ(=悪魔崇拝者)にとって重要視されている様です。

そして、そんなイルミナティが重要視している「神曲」を作る切っ掛けとなった人物がいます。

その人物が、「ベアトリーチェ」という人物です。

ダンテを代表する最初の詩文作品、『新生』によれば、1274年5月1日に催された春の祭りカレンディマッジョ(Calendimaggio)の中で、ダンテは同い年の少女ベアトリーチェ・ポルティナーリイタリア語版)に出会い、魂を奪われるかのような感動を覚えたと言う。この時、ダンテは9歳であった。

それから9年の時を経て、共に18歳になったダンテとベアトリーチェは、聖トリニタ橋のたもとで再会した。その時ベアトリーチェは会釈してすれ違ったのみで、一言の会話も交さなかったが、以来ダンテはベアトリーチェに熱病に冒されたように恋焦がれた。しかしこの恋心を他人に悟られないように、別の二人の女性に宛てて「とりとめのない詩数篇」を作る。その結果、ダンテの周囲には色々な風説が流れ、感情を害したベアトリーチェは挨拶すら拒むようになった。こうしてダンテは、深い失望のうちに時を過ごした。1285年頃に、ダンテは許婚ジェンマ・ドナーティイタリア語版)と結婚した[6]

二人の間にさしたる交流もないまま、ベアトリーチェもある銀行家に嫁ぎ、数人の子供をもうけて1290年に24歳で病死した。彼女の死を知ったダンテは狂乱状態に陥り、キケロやボエティウスなどの古典を読み耽って心の痛手を癒そうとした。そして生涯をかけてベアトリーチェを詩の中に永遠の存在として賛美していくことを誓い、生前の彼女のことをうたった詩をまとめて『新生』を著した。その後、生涯をかけて『神曲』三篇を執筆し、この中でベアトリーチェを天国に坐して主人公ダンテを助ける永遠の淑女として描いた。

出典:ダンテ・アリギエーリ – Wikipedia

神曲を作ったのは、ベアトリーチェを永遠の存在として賛美する為だった様です。

その神曲の概要が以下の通りです。

地獄篇煉獄篇天国篇の3部から成る[1]、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史上でも極めて重きをなしている。

出典:神曲 – Wikipedia

神曲は「3」を基調している事から、「3」を重要視しているとも取れます。

「3」という数字を重要視するのもイルミナティの特徴です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そして、「神曲」に登場する「ベアトリーチェ」について、下記引用をご覧ください。

『神曲』に登場するベアトリーチェに関しては、実在した女性ベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立している。実在のモデルを取る説では、フィレンツェの名門フォルコ・ポルティナーリの娘として生れ、のちに銀行家シモーネ・デ・バルティの妻となったベアトリーチェ(ビーチェ)を核として、ダンテがその詩の中で「永遠の淑女」として象徴化していったと見る。非実在の立場を取る神学の象徴説では、ダンテとベアトリーチェが出会ったのは、ともに9歳の時で、そして再会したのは9年の時を経て、2人が18歳になった時であるというように、三位一体を象徴する聖なる数「3」の倍数が何度も現われていることから、ベアトリーチェもまた神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという説を取る。

いずれにせよ、ベアトリーチェは、を象徴する存在として神聖化され、神学の象徴ともあると考えられている。地獄と煉獄を案内するウェルギリウスも実在した古代ローマの詩人であり、神曲の中では「理性と哲学」の象徴とされている。

出典:神曲 – Wikipedia

ベアトリーチェが実在していたとする実在論と、実在していなかったとする非実在論がある様ですが、どちらもベアトリーチェを象徴して描いている点に変わりはありません。

人物を象徴し、神聖化する行為もまた悪魔崇拝へと繋がります。

また、非実在論の、ダンテとベアトリーチェが共に「9歳」で「9年後」の「18歳」で再会という設定は実に悪魔的ですから、サタンの考えそうな設定と言えます。

9=3+3+3。18=9+9=666。

そして、この様な神話じみた話の設定を創作する事を得意としているのが秦氏です。

ダンテの肖像画が「赤」で描かれていますから、ダンテは秦氏と言えます。

また、ダンテの「神曲」を題材にしたアニメがあります。

それが「神曲奏界ポリフォニカ」というアニメです。

精霊が力を持つ世界があった。

 彼らは音楽を糧とし、ありとあらゆる場面でその力を発揮していた。

 精霊たちと契約し、彼らを操る者は神曲楽士ダンティストと呼ばれ、人々の尊敬を集めていた。            

 そんな神曲楽士を育成するトルバス神曲学院を舞台に、新たなる物語が始まる!

出典:神曲奏界ポリフォニカ 作品紹介 (product.co.jp)

精霊と契約し、その精霊を操る者を神曲楽士「ダンティスト」と呼称する設定のアニメです。

そして、主人公と契約を交わす精霊が「赤」です。

ですから、ダンテは秦氏に間違いないものと思われます。

因みに、精霊というのはサタン及び悪霊の事を指します。

聖書の「聖霊」を「精霊」へと置き換えたものになります。

ですから、精霊は神様への反逆を表します。

こういったアニメなどで親しみやすくキャラクター化しているのも、精霊(=サタン、悪霊)を身近なものにしようという洗脳に他なりません。

ですから、アニメ、ゲーム、漫画、映画などのファンタジー物で使われる精霊というのは、全てサタン(=悪魔)、悪霊を我々庶民に植え付ける為の洗脳であると同時に、神様への反逆を表している事になります。

以上より、オペラ、童話、アニメ、ゲームなど、どこもかしこもイルミナティ(=悪魔崇拝者)による悪魔という洗脳が隠されていますので、十分にご注意下さい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HAJIME