こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、お笑い芸人「パックン」について書いていきたいと思います。
パックンは、本名を「パトリック・ハーラン」と言い、「パックンマックン」というコンビを組んでいます。
相方は、マックンこと「吉田眞(よしだまこと)」です。
吉田眞は、嘘のコロナ感染に無症状で加担していました。
コロナと言えば、大本教が計画し、創価学会が実行しているただの茶番です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、パックンは東京五輪の聖火ランナーに参加しています。
東京五輪も創価学会と中国共産党の記念行事です。
更に、コンビで創価大学のセミナーも行っていました。
この様に、コンビ揃って創価とズブズブのパックンマックンですが、パックンは世界でも有名な「ハーバード大学」を卒業しています。
そのハーバード大学ですが、創価学会の「池田大作」が講演しています。
ですから、ハーバード大学も創価学会と繋がる事になります。
ハーバード大学の校風はリベラル(自由主義)と言われています。
そして、ハーバード大学の運営方法が「リベラルアーツ」学部によって運営されている様です。
Faculty of Arts and Sciences(ファカルティ・オブ・アーツ・アンド・サイエンシーズ)というリベラルアーツ学部によって運営されている。
出典:ハーバード大学 – Wikipedia
パックンは、「東京工業大学」でリベラルアーツセンターの非常勤講師をしていた様です。
2012年10月には池上彰の推薦で東京工業大学のリベラルアーツセンターの非常勤講師に就任し「コミュニケーションと国際関係」について教鞭を取っている(尚、池上は同校の教授)[4]。
出典:パトリック・ハーラン – Wikipedia
パックンを講師に推薦した人物が、東京工業大学の教授である「池上彰」の様です。
池上彰は「岩倉具視」の子孫で、祖母が創価学会員だった様です。
つまり、池上彰は創価へと繋がります。
下記ツイートをご覧ください。
ですから、池上彰がパックンを推薦したのも、創価繋がりであると考えられます。
また、上記ツイートに中田敦彦の記述があるかと思いますが、中田敦彦は「板垣退助」の子孫で上級国民です。
そして、中田敦彦は慶應卒ですから、同じく創価と言えます。
さて、そんな中田敦彦も「リベラルアーツ」を宣伝していました。
下記ツイートをご覧ください。
更に、中田敦彦だけでなく、池上彰もリベラルアーツを宣伝しています。
パックン、池上彰、中田敦彦と創価学会に関連している人物が揃いも揃って「リベラルアーツ」に関わっており、池上彰と中田敦彦の上級国民に至っては、庶民へ広めようと宣伝もしています。
池上彰が講演した内容を書籍化している様ですが、カルト宗教創価学会に関わっている時点で、その講演内容には創価の思想が反映されているのは明白です。
実際に、池上彰はテレビにて嘘もついています。
下記ツイートの動画をご覧ください。
この様に、平気で嘘をついている池上彰が宣伝するリベラルアーツは、創価の思想と庶民を真理へとたどり着けない様にする為の洗脳工作であると思われます。
また、創価学会は悪魔を拝むカルト宗教です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、リベラルアーツについて、Wikipediaには以下の様に書かれています。
リベラル・アーツという表現の原義や定義としては起源は古代ギリシアにまでさかのぼる。
自由民と非自由民(奴隷)に分けられていた古代ギリシアでの「自由民として教養を高める教育」、それを学ぶことで一般よりも高度な教養が身につくものを目的としていたのがリベラル・アーツである。
欧米、とくにアメリカ合衆国では、おもに専門職大学院に進学するための基礎教育としての性格も帯びているともされている。
なお日本語の「藝術」という言葉はもともと、明治時代に啓蒙家の西周によってリベラル・アートの訳語として造語されたものである。
リベラルアーツは古代ギリシャを起源とした教養及び教育を表している様です。
日本のリベラル・アートの訳語として造語したのが、「西周」と書かれています。
西周は、日本で最初のフリーメイソンになったとされている人物の一人です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
フリーメイソン=イルミナティ(=悪魔崇拝者)ですから、リベラルアーツはイルミナティへと繋がっている事が分かります。
アメリカにおけるリベラルアーツ最古の大学は「ハーバード大学」の様です。
アメリカ合衆国のリベラル・アーツ・カレッジの歴史は、合衆国の歴史と同じくらい古い。米国最古の高等教育機関は、まだイギリスの統治下で設立されたハーバード大学(1636年)であるが、設立当時はリベラルアーツ教育を行なう小規模な大学であった。[4]
出典:リベラル・アーツ・カレッジ – Wikipedia
そして、リベラル・アーツ・カレッジを行った著名人が以下の通りです。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
- バラク・オバマ (第44代 アメリカ合衆国大統領) (オクシデンタル大学、3年次よりコロンビア大学)
- ヒラリー・クリントン(元上院議員・国務長官) (ウェルズリー大学)
- マデレーン・オルブライト(初の女性アメリカ合衆国国務長官) (ウェルズリー大学)
- コフィー・アナン(元国際連合事務総長) (マカレスター大学)
- フランクリン・ピアース(第14代アメリカ合衆国大統領)(ボーディン大学)
- ジェイムズ・ガーフィールド(第20代アメリカ合衆国大統領)(ウィリアムズ大学)
- カルビン・クーリッジ(第30代アメリカ合衆国大統領)(アマースト大学)
- ウイリアム・スミス・クラーク(北海道大学 初代教頭) (アマースト大学)
- ゴー・チョク・トン(シンガポール第2代首相) (ウィリアムズ大学 ※修士課程)
- ロバート・ゼーリック(世界銀行総裁、アメリカ合衆国副国務長官)(スワースモア大学)
- スティーブ・ジョブズ(Apple 創業者) (リード大学・中退)
- ロバート・ノイス (インテル 創業者) (グリネル大学)
- ハーバート・ケレハー (サウスウエスト航空 創業者)(ウェズリアン大学)
- ジョージ・スタインブレナー(NYヤンキース オーナー)(ウィリアムズ大学)
- ジェニファー・ダウドナ (化学者、生物学者、ゲノム編集の第一人者)(ポモナ大学)
- ラズロ・ボック (グーグル人事担当上級副社長 Humu社 CEO)(ポモナ大学)
- マイケル・アリントン(TechCrunch 創業者)(クレアモント・マッケナ大学)
- ヘンリー・クラビス(金融運用会社 KKR 共同創業者)(クレアモント・マッケナ大学)
- ジョージ・ロバーツ( KKR 共同創業者)(クレアモント・マッケナ大学)
- ナンシー・ローマン(天文学者 NASA最初の女性幹部)(スワースモア大学)
- ダン・ブラウン(小説家「ダ・ヴィンチ・コード」)(アマースト大学)
- チャールズ・E・メリル(メリルリンチ証券 創業者)(アマースト大学)
- スティーブ・ケース(アメリカ・オンライン共同創業者)(ウィリアムズ大学)
- ジョージ・ネルソン(NASA宇宙飛行士)(ハーヴィー・マッド大学)
- トム・プレストン・ワーナー(Git Hub 共同開発・創業者) (ハーヴィー・マッド大学)
- ベン・アフレック(俳優)(オクシデンタル大学)
- ロビン・ウィリアムズ(俳優)(クレアモント・マッケナ大学)
- 新島襄(同志社大学創立者) (アマースト大学)
- 内村鑑三(キリスト教思想家、文学者) (アマースト大学)
- 津田梅子(津田塾大学創立者)(ブリンマー大学)
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
「バラク・オバマ」、「ヒラリー・クリントン」、「スティーブ・ジョブズ」、NASAの宇宙飛行士など、イルミナティに関わっている人物が多数見受けられます。
また、日本人も名を連ねています。
「内村鑑三」は、人工言語「エスペラント語」を使用していました。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、内村鑑三もイルミナティ(=悪魔崇拝者)と言えます。
同じく日本人の「津田梅子」は、2024年に発行される新紙幣の顔となっています。
下記ツイートをご覧ください。
新紙幣の顔になれるのも創価で上級国民という事になりますし、李家の家紋である「梅」の文字が名前に使用されている事から、津田梅子は李家である可能性が高いと言えます。
また、津田梅子はホリエモンにもそっくりです。
下記ツイートをご覧ください。
ホリエモンは李家だけでなく青山家とも繋がっています。
そして、もう一人日本人で、「新島襄」という人物が名を連ねています。
新島襄は「同志社大学」の創立者です。
同志社大学は、ハーバード大学とも交流がある様です。
ハーバードの授業(夏期集中講義)を、同志社大学のキャンパス・施設において実施している。アメリカから大学の教員・大学生が来日し、講義はすべて英語で行われる。同志社大学の学生もスタディーパートナーとして、講義とフィールドトリップに参加することができるが、交流目的の参加であり、単位は付与されない。
出典:ハーバード大学 – Wikipedia
そして、ハーバード大学は池田大作が講演していましたから、ハーバード大学と交流のある同志社大学も創価と繋がる事になります。
また、新島襄を通して、明治維新に関わった人物に繋がります。
元治元年(1864年)、アメリカ合衆国への渡航を画策し、「快風丸」に乗って開港地の箱館へと向かう。箱館に潜伏中、当時ロシア領事館付の司祭だったニコライ・カサートキンと会う。ニコライは新島から日本語と日本の書物(古事記)などの手ほどきを受け、また聖書に興味を持つ彼に自分の弟子になるよう勧めたが新島のアメリカ行きの意思は変わらずニコライはそれに折れ、坂本龍馬の従兄弟である沢辺琢磨や福士卯之吉と共に新島の密航に協力した。
出典:新島襄 – Wikipedia
まず、当時鎖国をしていた日本から渡米するにあたって「坂本龍馬」の従兄弟と関係があった様です。
そして、坂本龍馬を支援していたのがイギリスの武器商人である「トーマス・グラバー」です。
トーマス・グラバー(ロスチャイルド)はフリーメイソンです。
トーマス・グラバーから支援を受けていた坂本龍馬と繋がる新島襄もフリーメイソンへと繋がる事になります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、新島襄は渡米後に、「ウィリアム・スミス・クラーク」、「森有礼」、「岩倉使節団」、「木戸孝允」とも繋がっていました。
慶応2年(1866年)12月、アンドーヴァー神学校付属教会で洗礼を受ける。慶応3年(1867年)にフィリップス・アカデミーを卒業。 明治3年(1870年)にアイビーリーグと同等レベルのリベラルアーツカレッジのトップ3の一つで、リトルアイビーと呼ばれる名門校アマースト大学を卒業(理学士)。これは日本人初の学士の学位取得であった。アマースト大学では、後に札幌農学校教頭となるウィリアム・スミス・クラークから化学の授業を受けていた。クラークにとっては最初の日本人学生であり、この縁でクラークは来日することとなった。当初、密航者として渡米した襄であったが、初代の駐米公使となった森有礼によって正式な留学生として認可された。
明治5年(1872年)、アメリカ訪問中の岩倉使節団と会う。襄の語学力に目をつけた木戸孝允は、4月16日から翌年1月にかけて自分付けの通訳として使節団に参加させた。襄は使節団に参加する形でニューヨークからヨーロッパへ渡り、フランス、スイス、ドイツ、ロシアを訪ねた。
出典:新島襄 – Wikipedia
そして、ウィリアム・スミス・クラーク、森有礼、木戸孝允もフリーメイソンです。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、有田哲平にそっくりの森有礼は、フリーメイソン団体「明六社」の会長でもありました。
そして、岩倉使節団と言えば「岩倉具視」ですから、池上彰とここで繋がります。
また、木戸孝允は「ヒロミ」にそっくりです。
下記ツイートをご覧ください。
ですから、ヒロミも中田敦彦や池上彰と同様に上級国民と言えます。
そして、新島襄は日本へ帰国後、群馬県安中市に「安中教会」を設立します。
明治11年(1878年)に30人が新島より洗礼を受け、安中教会(現、日本基督教団安中教会)を設立した。
出典:新島襄 – Wikipedia
現在は、「日本基督教団」の安中教会の様ですが、日本基督教団も創価と繋がっています。
下記ツイートをご覧ください。
そして、新島襄は同志社大学設立時に寄付を複数人から受けています。
明治21年(1888年)、徳富蘇峰の協力により井上馨・大隈重信・土倉庄三郎・大倉喜八郎・岩崎弥之助・渋沢栄一・原六郎・益田孝等から寄付金の約束を取付ける。特に土倉は新島のよき理解者、協力者であり、新島も土倉を頼りとした。板垣退助と新島を取り結んだのも自由民権運動のパトロンでもあった土倉であろうと推測される[10]。
出典:新島襄 – Wikipedia
まず、井上馨は、清和源氏の末裔で毛利家の家臣と書かれています。
本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏の出身で、先祖は毛利元就の宿老である井上就在。
出典:井上馨 – Wikipedia
そして、早稲田大学創立者である大隈重信も創価へと繋がります。
下記ツイートをご覧ください。
岩崎弥之助は、三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟です。
岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、1851年2月8日(嘉永4年1月8日) – 1908年(明治41年)3月25日)は、日本の実業家で、三菱財閥の2代目総帥。男爵。三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟にあたる。
出典:岩崎弥之助 – Wikipedia
実は、岩崎弥太郎も李家の可能性があります。
そして、渋沢栄一は竹中平蔵(=李家=創価)へと繋がります。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、新島襄は中曾根康弘の孫・中曾根康孝に似ています。
下記ツイートをご覧ください。
そして、新島襄は板垣退助ともここで繋がります。
中田敦彦がリベラルアーツを宣伝しているのも、先祖の板垣退助が新島襄と繋がっていたからかもしれません。
そして、新島襄は「土倉庄三郎」という人物からも寄付を受けています。
この土倉庄三郎を通じて、板垣退助とも繋がっていた様です。
と言いますのも、土倉庄三郎は板垣退助らが主導の自由民権運動(=現在の自由民主党の起源)のパトロンをしていました。
そして、土倉庄三郎は、明治維新に関わっている人物がこぞって「土倉詣で」をする程の人物の様です。
下記引用をご覧ください。
明治10年(1877年)頃から自由民権家らと交流し、明治13年(1880年)には、中島信行の遊説の際に資金を提供して以降、自由民権運動のパトロンと目されるようになる。明治14年(1881年)に大阪で立憲政党(近畿自由党)が結成されると、これに加わり日本立憲政党新聞(明治15年・1882年創刊、大阪毎日新聞の源流の一つ)の出資者となる(6万円を寄付[8])。また自由民権運動の主導者として知られる板垣退助とも親交があり、彼の西欧視察の洋行費を出している[9][10]。さらに大隈重信とも昵懇であった[11]。
この他、景山英子、金玉均、新島襄らとも交流があった[12]。「土倉詣で」をした賓客として、中島・板垣・新島の他に伊藤博文・井上馨・山縣有朋・後藤象二郎・品川弥二郎・古沢滋・成瀬仁蔵等が知られている[13][14]。
出典:土倉庄三郎 – Wikipedia
まず、中島信之は坂本龍馬へと繋がります。
土佐国高岡郡塚地村(現・高知県土佐市塚地)の郷士・中島猪三の長男。少年期に耕余塾へ通う。武市半平太の土佐勤王党に加盟、のちに脱藩して長州藩の遊撃隊に加わり、その後坂本龍馬の海援隊で活躍した。龍馬の死後は陸援隊に参加する。
出典:中島信行 – Wikipedia
その他にも板垣退助、伊藤博文、井上馨、山縣有朋、後藤象二郎、品川弥二郎など、土佐藩、長州藩の明治維新に関わっている人物らが名を連ねています。
ですから、土倉庄三郎は、明治維新に関わっていた人物にとって、それ程に重要な人物であると言えます。
その様に重要人物とされている土倉庄三郎ですが、「吉野山の桜を守った」というエピソードがあります。
吉野山の桜は約1300年前、修験道の開祖、役行者が桜に蔵王権現を刻んだという故事から、人々が桜を献木して数を増やしてきた。幾度も盛衰を繰り返してきたが、最大の危機は明治維新後に訪れた。吉野山保勝会の前理事長でもある竹林院院主の福井良盟さんによると、きっかけは政府が1872年に出した修験道廃止令だ。
「お上のおとがめを恐れた住民らが桜を伐採して版木用に大阪の商人に売り払おうとした。相談を受けた山林王の土倉庄三郎が『これから外国に日本の文化を伝えていくときに、吉野の桜がなくなってどうする』と一喝。自ら多額の寄付をして桜を守った」。これを機に地元で保全運動が盛り上がり、1916年には桜の管理のための吉野山保勝会が発足。戦時中は燃料代わりに桜の乱伐もあったものの、戦後はますます桜の植林が盛んになった。
出典:「一目千本」の吉野山の桜、どうやって守られてきたか: 日本経済新聞 (nikkei.com)
この話を見た時に、これだけフリーメイソンの人物と深く関りのある人物が、ただの桜の木を守る為に多額の寄付をするのかと、疑問に思いましたので調べてみた所、どうやらこの話も宗教が関係している様に思います。
下記引用をご覧ください。
吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現の神木であるとされたことによる。
修験道の開祖とされる役小角は、金峰山(現在の大峰山系)で修行を積み、その結果、金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)が出現して、これを感得し蔵王権現像を彫ったとされる。その時に用いられた木材が桜樹であった。以降、行者達は桜材を使い権現を彫刻し、これを祀る習わしとなった。これより桜は神木となり、桜の枯れ木といえども薪にさえせず、一枝を折る者は指一本を切るといったような厳しい信仰が厳守されたという。そのため蔵王権現に祈願する際には、神木とされる桜の苗を寄進するのが最善の供養となる風習が起こり、平安時代の頃から多くの桜が植えられるようになった。
また大海人皇子(のちの天武天皇)が、吉野の寒中で、庭の桜が満開の夢を見て、これが動機となって天下を定めたので、桜は霊木であり神木であるとされ、桜の愛護が始まったとも伝えられる。
出典:吉野山 – Wikipedia
まず、桜が蔵王権現の神木とされている様です。
蔵王権現像を掘ったのが桜の木であった事から神聖視されていた様です。
更に、天武天皇も桜を神聖視していた様です。
天武天皇が天下を定めたと言うのは「壬申の乱」の事を指しているものと思われます。
そして、天武天皇は秦氏です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
つまり、土倉庄三郎は天武天皇が神聖視していた桜を守ったという事になります。
明治維新は、秦氏によるクーデターでしたから、土倉詣でをしていた人物に明治維新関係者が多いのも秦氏繋がりと言えます。
そして、新島襄は生長の家の信者が絶賛し、「八重の桜」について語っているのも、秦氏の天武天皇が「桜」を重要視していたからではないでしょうか。
下記ツイートをご覧ください。
また、修験道の開祖とされている「役小角」という人物ですが、出自が三輪系氏族とあります。
役氏(えんうじ)、役君(えん の きみ)は三輪系氏族に属する地祇系氏族で、葛城流賀茂氏から出た氏族であることから、加茂役君、賀茂役君(かも の えん の きみ)とも呼ばれている[4]。役民[注 1]を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたという[5]。また、この氏族は大和国・河内国に多く分布していたとされる[4]。
(中略)
20代の頃に藤原鎌足の病気を治癒させたという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。
出典:役小角 – Wikipedia
三輪系氏族の家紋が「三本杉」ですから、神代文字の「も」を表しています。
下記ツイートをご覧ください。
そして、出雲族の「も」の勢力は秦氏を表します。
下記ツイートをご覧ください。
そして、新島襄が創立した同志社大学の徽章が以下の画像です。
北条氏の家紋「三つ鱗」に似ています。
同志社大学の徽章も神代文字の「も」を表しているのかもしれません。
そして色が、赤と青を足した「紫」と「白」ですから、秦氏を含めた出雲族全てが関わっているのかもしれません。
更に、 役小角は20代の頃に「藤原鎌足」の病気も治したとも書かれています。
藤原鎌足は、「百済王子・扶余豊璋」と言われています。
そして、藤原鎌足の末裔が麻生太郎(=秦氏)です。
また、役小角の弟子に「韓国広足」なる人物がいます。
韓国広足(からくに の ひろたり、生没年不詳)は、7世紀末から8世紀の日本の呪術師である。姓(カバネ)は連。氏は物部韓国(もののべのからくに)ともいう。役小角を師としたが、699年に小角を告発した。呪禁の名人として朝廷に仕え、732年に典薬頭になった。外従五位下。
韓国氏は古代の有力氏族である物部氏の分かれで、先祖が遣わされた国にちなんで改姓したと伝えられる[1]。在来の氏族ではあるが、その系譜から外来の知識・技能を学ぶに適した伝統があったと思われる[2]。
出典:韓国広足 – Wikipedia
韓国氏は物部氏の分かれと書かれています。
物部氏が氏神としてる「石上神宮」なる神社があります。
なお『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。
出典:石上神宮 – Wikipedia
神宮と名が付くのは、日本書紀において石上神宮と伊勢神宮のみの様です。
そして、石上神宮の主祭神が「布都御魂大神」です。
布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。
(中略)
建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。
(中略)
神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。
出典:布都御魂 – Wikipedia
布都御魂は霊剣の様です。
この霊剣を使っていたのが「建御雷神」です。
建御雷神は「天津神(秦氏の神)」で、「国津神(出雲族の神)」の「建御名方神」との試合が相撲の起源されている様です。
「出雲の国譲り」の段においては伊都之尾羽張(イツノオハバリ)の子と記述されるが[7]、前述どおり伊都之尾羽張は天之尾羽張の別名である。天照大御神は、建御雷神かその父伊都之尾羽張を下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷神が天鳥船(アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる[7]。出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立った建御雷神は、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主神(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。大国主神は、国を天津神に譲るか否かを子らに託した。子のひとり事代主神は、すんなり服従した。もう一人、建御名方神(タケミナカタ)(諏訪の[3]諏訪大社上社の祭神[7])は、建御雷神に力比べをもちかけるも、手づかみの試合で手をつららや剣に変身させ、怯んだ建御名方神はその隙に一捻りにされたため、恐懼して遁走し、科野国の洲羽の湖で降伏した。これによって国譲りがなった[2]。このときの建御名方神との戦いは相撲の起源とされている[8]。
出典:タケミカヅチ – Wikipedia
つまり、相撲の起源は、秦氏と出雲族の試合が起源という事になります。
相撲協会の色が紫色なのも、秦氏(赤)+出雲(青)だからなのかもしれません。
下記ツイートの画像をご覧ください。
また、天津神と国津神の詳細については、下記引用をご覧ください。
日本神話において、国津神がニニギを筆頭とする天津神に対して国土(葦原中国)の移譲を受け入れたことを国譲りとして描かれている[1]。これはヤマト王権によって平定された地域の人々(蝦夷、隼人など)が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる[1]。
(中略)
なお高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている[2]。
出典:天津神・国津神 – Wikipedia
ヤマト王権によって平定された人々が信仰していたのが「国津神」で、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していたのが「天津神」と書かれています。
このヤマト王権は「三輪王朝」である可能性が高そうです。
三輪王朝は出雲族の「も」の勢力である可能性が考えられます。
下記ツイートをご覧ください。
何故かリベラルアーツを辿っていく事で、最終的に三輪王朝へとたどり着いてしまいました。
リベラルアーツから少し話がずれてしまいましたが、リベラルアーツを辿っていく事で、創価学会や李家(ユダヤ人)と繋がっている事が明白ですから、リベラルアーツは悪魔崇拝の思想が組み込まれている事になります。
リベラルアーツは、人間が身に付けるべき実践的な知識や学問として、自由に自主的にといった風潮が少なからず見受けられます。
ですから、リベラルアーツは「自己啓発」に似ている様にも感じます。
自己啓発も悪魔崇拝へと通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
リベラルアーツも自己啓発も、仮にどちらを実践したとしても幸せになる事はありません。
本当に幸せになる為には、RAPTブログにてRAPT理論と有料記事の「御言葉」を学ぶ事が必要不可欠です。
この世の中は、長年に渡ってイルミナティ(=悪魔崇拝者)によって支配されてきました。
その為、この世の様々な分野において、悪魔の思想が散りばめられています。
そして、悪魔の思想というのは、表面上は耳障りが良く聞こえる事がほとんどです。
しかしながら、その裏には悪魔崇拝宗教が絡んでいるという事になります。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
世に蔓延っている悪魔の罠に引っ掛かる事が無い様にする為にも、RAPTブログにてRAPT理論と有料記事の「御言葉」を学ぶ事がとても重要です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME