ゴルフ、ネックレス、ブレスレット、指輪、ピアスの起源が古代ケルトである可能性大。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は、ゴルフについて書いていきたいと思います。

私自身、個性才能としてゴルフを練習してきましたが、3週間程前に原因不明の首痛を発症し、起床時に激痛が走ったり、うがいも出来ない程の激痛に見舞われました。

1週間~10日程で治りましたが、首の痛みがある期間はゴルフの練習も出来ませんでした。

首の痛みがピークだった頃、ちょうど連休中だったのですが、友人から練習のお誘いがあった瞬間に頭痛がしました。

その頭痛がした時に、私はゴルフを止めるべきなんじゃないかと思い、以降はゴルフの練習を完全に行っていません。

きっと私には、もっと他に伸ばすべき個性才能があるという事だと思いますので、新たに努力すべき個性才能を模索している段階です。

前置きはこの辺で、かつて行っていたゴルフについて書いていきたいと思います。

まず、ゴルフの起源は諸説ありますが、近代ゴルフの起源は15世紀頃のスコットランドからというのが一般的に起源とされている様です。

起源に限ればいろいろな説があるものの、現在のゴルフというスポーツが発展し完成して近代スポーツとなったのがスコットランドであることは間違いない。15世紀頃に、スコットランドで現代行われているゴルフ相当の競技形式が整備され、流行した。1457年には時のスコットランド王国国王ジェームズ2世によって、ゴルフにふけって弓術の鍛錬を怠る貴族たちへのゴルフ禁止令が出され、これがスコットランド史におけるゴルフの初出であるとされる。ゴルフはスコットランドの東海岸から広まっていき、宗教改革時のスコットランド長老教会の否定的な態度にもかかわらず民衆の娯楽として広まっていった。1750年ごろ(1754年エジンバラセント・アンドルーズにゴルフクラブができ[1]1834年にはウィリアム4世がこれをロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ・オブ・セント・アンドリュースと命名し、同クラブが成文化された公式ルールを定めた。またイギリス帝国の拡大に伴って世界各地に移住したスコットランド人によってゴルフも各地で行われるようになった。1860年には世界初のゴルフの選手権大会である全英オープンもはじまった。しかし、ここまではゴルフはスコットランド人独自のスポーツに過ぎなかった。

出典:7ゴルフ – Wikipedia

スコットランドがゴルフの起源とされていますが、古代のスコットランドではケルト系のピクト人が到来したと書かれています。

紀元前10世紀頃、大陸よりケルト系ピクト人が到来。その後紀元前43年よりローマ帝国が侵入し、現在のスターリングに前線司令部を設置。ハドリアヌスの長城アントニヌスの長城およびヴィンドランダ要塞英語版)などの拠点が築かれた。ローマ軍は、各地の要塞を拠点としながらブリテン島支配を図り、たびたびピクト人との戦いにも勝利したが(グラウピウス山の戦い)、全域を支配するまでには至らなかった。

出典:スコットランド – Wikipedia

そして、ケルトと言えば「ドルイド教」です。

当初の宗教自然崇拝多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。 ドルイドの予言の儀式では人身供犠が行われていることを、多くの古典古代の著述家たちが記述している[3]

出典:ケルト人 – Wikipedia

自然崇拝の多神教という時点で、悪魔崇拝になります。

そして、人身御供というのは、人の命を悪魔に捧げる「生贄」の事を言います。

その悪魔崇拝儀式の一環である生贄をお祭りとして日本に広まっているのが「ハロウィン」になります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そのハロウィンを広めたのが、ウォルト・ディズニーです。

ドルイド教の生贄儀式の一つに「ウィッカーマン」があります。
(下記画像をご覧ください。)

ウィッカーマン(wicker man)とは、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供犠人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀の英語名称である。

出典:ウィッカーマン – Wikipedia

不気味な人形のような形をした檻になっており、そこに人間を閉じ込めて焼き尽くすという生贄儀式です。

想像しただけでもおぞましい行為な訳ですが、ドルイド教徒(=悪魔崇拝者)にとっては、悪魔から力を受ける為の儀式ですから、むしろ喜んでやっているでしょうし、これは当たり前かの様な普通の感覚なのでしょう。

その証拠に、東京五輪でもウィッカーマンが作られていました。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

更に、ウィッカーマンをMVに使っている歌手もいます。

それが「米津玄師」です。

下記ツイートをご覧ください。

この様に、ケルト人が信仰しているドルイド教は、完全な悪魔教です。

そして、ケルト人が好んで付けていたとされている「トルク」という装身具があります。

ほとんどのトルクはまれにを撚り合わせ固めて作られ、全面に装飾が施されているものが多い。スペルのひとつtorqueラテン語ではtorquesと表記され、その外見から導かれた「捻じれ」を意味するtorqueoを語源とする。なお、回転軸にかかる力のモーメントを指すトルクも同じ語を源としている[1]。ただし、スペルtorcが、ガリア語torcosと同様に古代アイルランド語イノシシを意味することから、ケルト神話に見られる聖なる獣との関連づけも考えられる。すなわち、トルクが黄金のイノシシと同じく復活象徴するという説である。

紀元前1000年~300年頃の青銅器時代、トルクはアナトリア半島域までのケルト人・多くのゲルマン人部族・スキタイペルシア人など非常に広範囲に渡って用いられたと考えられる。最も精巧に作られた種類は黒海北部のステップに属するクラスノダール地方などで発掘されているが、トルクを多く用いたのはケルト人、特にブリトンガリアイベリアに住む種族だった。

(中略)

ケルト神話では、トルクを身につけた女神の描写が散見される。例として、狩猟の神ケルヌンノスが首につけ、かつ左手にトルクを握った紀元前1~2世紀頃製作の図版が残されている。

(中略)

1960年代から70年代にかけて、ヒッピーたちはトルクを復活させ、自分たちのファッションに取り入れた。それはネックレスやブレスレットに留まらず、指輪、そしてピアスとして用いる者までいた。

出典:トルク (装身具) – Wikipedia

トルクは、エンジンなどの回転軸を表す語源とも言われている様です。

更に、現在でいう所のネックレスやブレスレット、指輪、ピアスなどの装飾品は、ケルト人のトルクが起源なのかもしれません。

そして、ケルト神話に出てくる狩猟の神「ケルヌンノス」もトルクを身に付けていた様です。
(下記画像の真ん中がケルヌンノスです。)

ケルヌンノスはほとんど常に動物、特に牡鹿と共に描かれる。しばしばこの神特有の動物であり第一の眷属と考えられる牡羊の角をもった蛇と共に描かれるが、蛇自体も神であったかもしれない。

出典:ケルヌンノス – Wikipedia

上記ツイートにもありますが、「鹿」はケルトのシンボルとされていますし、蛇は悪魔(=サタン)を表している事になります。

そして、ケルヌンノスはハロウィンにも関係がある様です。

ウイッカに代表される現代の復興異教主義運動(Neopaganism)では、角のある神に対する崇拝が復活した。信奉者はケルヌンノス一般的に生命と豊穣と死のサイクルを追っている。この神の死は現在、通常サウィン、すなわち10月31日に行われるケルトの新年の祭の日に設定されている。

出典:ケルヌンノス – Wikipedia

ケルヌンノスが死んだ日が、10月31日でハロウィンの日に設定されています。

思えば、10月31日は歴史的な事件や死亡事故が相次いで発生しています。

少し長いですが、下記転載をご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)

ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで

つまり、これらは全てドルイド教のサウィン祭(ハロウィン)の日に、願掛けとして意図的に起こされている事になります。

この様な願掛けやジンクスを大事にするのもイルミナティ(=悪魔崇拝者)の特徴です。

それだけ、悪魔(=サタン)の力を得たいという事の裏返しとも言えます。

ここで、ゴルフに話を戻しますが、1750年頃にゴルフの聖地されている「セント・アンドリューズ」が作られています。

その後、1834年にウィリアム4世が、ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ・オブ・セント・アンドリューズと命名し、成文化された公式ルールを定めたとされています。

このウィリアム4世は、フリーメイソンでした。

ウィリアム4世: William IV, ウィリアム・ヘンリー(William Henry)、1765年8月21日 – 1837年6月20日)は、イギリスハノーヴァー朝の国王およびハノーファー王国の国王(ドイツ名:ヴィルヘルム Wilhelm, 在位:1830年6月26日 – 1837年6月20日)である。ジョージ3世と王妃シャーロットの第3子で、先王ジョージ4世の弟である。

(中略)

1786年フリーメイソンに加入。1828年には「プリンス・オブ・ウェールズ・ロッジ」のマスターとなる。1830年の即位後にはグランドロッジの保護者に就任した[20]

出典:ウィリアム4世 (イギリス王) – Wikipedia

つまり、ゴルフの聖地とされ、現代ゴルフの基礎となるルールを成文化したセント・アンドリューズは、フリーメイソンによって作られたという事になります。

フリーメイソンは悪魔崇拝者組織ですから、ゴルフも悪魔崇拝の一環という事になります。

1ラウンドのホール数18(=666)が悪魔の数字になります。

更に、大本教の開祖・出口なおにそっくりのビートたけしが、週刊文春にて「ゴルフの悪魔」なる連載を過去にしていた様です。

そして、セント・アンドリューズは、ケルト系ピクト人の本拠地とされています。

ピクト人の本拠地がおそらくセント・アンドリューズの場所にあったという。

出典:セント・アンドルーズ – Wikipedia

もしかすると、セント・アンドリューズがゴルフの聖地とされているのは、ピクト人の本拠地というのが理由なのかもしれません。

ピクト人はケルト系ですから、悪魔崇拝の一環であるゴルフとも繋がります。

そして、ピクト人はケルト語を用いており、体に刺青をしていた様です。

古くからスコットランドのハイランド地方を支配していた強大な部族だったが、実態はよくわかっておらず、ケルト語を話していたことや何人かの王の名前は判明しているものの記録や遺跡が少なく、「謎のピクト人」と言われている[1]。1世紀にローマ軍と戦ったことで歴史に現れ、8世紀にスコットランドに併合され歴史から姿を消した[1]

彼らは古代ローマ人が命名したピクト (Pictiはラテン語で、体を彩色していた人々か刺青をしていた人々を指していた) 部族と推測される。印をつけるか描くと言う意味のウェールズ語、Pryd が関連している可能性がある。『ガリア戦記』の中でユリウス・カエサルケルト人が刺青をしている事に触れ、「ブリトン人は体に青で模様を描き、戦場で相手を威嚇する」と語っている。ピクト人はピクト語を喋っていたが、詳細はほとんど知られていない。

刺青と言えば、日本のヤクザも刺青をしています。

刺青も悪魔崇拝の一環です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そして、刺青の起源とされているのが、アルプスの氷河から発見された5300年前の「アイスマン」です。

古代人の皮膚から入れ墨が確認された例としては、アルプスの氷河から発見された5300年前のアイスマンが有名であり、その体には入れ墨のような文様が見つかっている[1]

(中略)

これまでアイスマンに関わった7人の法医学者、第一発見者であるジモン夫婦の夫ヘルムートの他、ジャーナリストら関係各者が相次いで死亡した。

出典:入れ墨 – Wikipedia

更に、このアイスマンに関わっていた人物が相次いで死亡している様です。

つまり、このアイスマンはイルミナティにとって知られて欲しくない秘密があるという事になります。

イルミナティが隠し通したい真実が気になる所ですが、このアイスマンは、ケルト人である可能性が高いです。

アルプス山脈に居住した人々の中で、最初に記録に残っている人々はケルト人である。紀元前8世紀ごろにはすでにケルト人の祖先がアルプス全域に居住していた。

出典:アルプス山脈 – Wikipedia

紀元前8世紀頃には、アルプス全域にケルト人の祖先が居住していたと書かれていますから、アイスマンはケルトである可能性が考えられます。

イルミナティは古代に関わる情報をとにかく隠蔽しようとしますから、アイスマンは古代史に繋がる要素があったから隠蔽工作したものと思われます。

ここで再度ゴルフに話を戻しますが、日本で最初に作られたゴルフ場が「神戸ゴルフ俱楽部」です。

神戸ゴルフ倶楽部(こうべゴルフくらぶ)は、1903年5月24日にイギリス人貿易商A.H.グルームによって神戸市六甲山上に造られた、日本最古のゴルフ場である。

出典神戸ゴルフ倶楽部 – Wikipedia

イギリス人貿易商「アーサー・ヘスケス・グルーム」は、坂本龍馬を支援した武器商人・トーマス・グラバーと繋がります。

1846年9月22日イングランドブライトン郊外のベルノン・テラスで生まれ、ウィルトシャーマルボロ・カレッジで学んだ[1]トーマス・ブレーク・グラバーとともにグラバー商会を設立した兄のフランシス・グルーム(Francis Arthur Groom)の勧めで同商会に勤務することになり、訪日。

出典:アーサー・ヘスケス・グルーム – Wikipedia

トーマス・グラバーはロスチャイルドですから、アーサー・ヘスケス・グルームもロスチャイルドと言えます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

また、アーサー・ヘスケス・グルームの葬儀は、遺言により仏式(日蓮宗)で営まれた様です。

遺言により葬儀は仏式(日蓮宗)の家族葬で営まれ、遺体は火葬されて春日野墓地にあった妻の実家・宮崎家の墓に葬られた。戒名は英知院具理日夢居士。

出典:アーサー・ヘスケス・グルーム – Wikipedia

遺言という事は、生前に日蓮宗だったという事になります。

仏教は悪魔教ですから、アーサー・ヘスケス・グルームも紛れもなく悪魔崇拝者と言えます。

そして、日本人によって日本人の為に最初に作られたゴルフ場が「東京ゴルフ倶楽部」です。

日本人による日本人のためのゴルフ場は、1913年井上準之助らによって東京駒沢に作られた東京ゴルフ倶楽部が最初である[3][4]

出典:ゴルフ – Wikipedia

東京ゴルフ俱楽部のロゴを見ますと、Cが3つ入っている様に見えます。

つまり、CCC=666ですから、悪魔の数字となります。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そんな東京ゴルフ倶楽部の創立者の一人が「井上準助」です。

井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ、明治2年3月25日1869年5月6日) – 1932年昭和7年)2月9日)は、日本の政治家財政家日本銀行第9、11代総裁。山本濱口第2次若槻内閣大蔵大臣に就任。貴族院議員。

帝大卒業後に山本達雄の勧めで日本銀行に入行。日銀では高橋是清の知遇を受け営業局長にまで昇進。ニューヨークへの転勤を経て横浜正金銀行に招かれ、のちに高橋の計らいで古巣の日銀の総裁に任命される。日銀総裁時代に起きた昭和金融恐慌の際には高橋と共に混乱の収拾にあたった。

(中略)

蔵相時代の経済の悪化などを理由に血盟団の暗殺の標的となっており、昭和7年(1932年2月9日、選挙への応援演説に向かう途中の道で小沼正により暗殺された(血盟団事件。墓は青山霊園にある。

日本経済聯盟会(日本経済団体連合会の前身)の結成や東洋文庫の創設に尽力。また、日本へのゴルフ普及の功労者でもあり、東京で最初のゴルフ場である『東京ゴルフ倶楽部』の設立呼びかけ人となっている

出典:井上準之助 – Wikipedia

井上準之助は「高橋是清」と繋がっています。

高橋是清は「ジェイコブ・シフ」という人物と懇意にしていた様です。

下記ツイートをご覧ください。

ジェイコブ・シフは、「グリューネシルト(緑の盾)」と呼ばれる建物にロスチャイルドと一緒に住んでいた様ですから、麻生太郎へと繋がります。

また、井上準之助は「小沼正」に暗殺されていますが、小沼正の所属していた血盟団のリーダーが「井上日召」です。

井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年4月12日 – 1967年3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト。

日蓮宗僧侶としていわゆる近代日蓮主義運動の思想的系譜に連なり、戦前の右翼テロリスト集団「血盟団」、戦後の右翼団体護国団」の指導者を務めた。本名は井上昭。昭の字を分けて日召とす。

(中略)

1909年 南満州鉄道入社。諜報活動等を行う。

出典:井上日召 – Wikipedia

井上日召は、群馬県利根郡川場村出身です。

そして、「南満州鉄道」に入社し、諜報活動をも行っていた様です。

満州と言えば、「出口王仁三郎」の「河豚計画」です。

ですから、井上日召は日蓮宗(法華経)の僧侶ですが、大本教とも繋がる事になります。

井上 二三雄(いのうえ ふみお[1])、1883年(明治16年)12月25日 – 1919年(大正8年)3月5日)は、日本海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐血盟団指導者の井上日召は弟[2]

(中略)

後に血盟団事件の首謀者として知られることとなる日召は、二三雄の弟であり、二三雄は日召の学費を援助していた[10]

出典:井上二三雄 – Wikipedia

そして、井上日召の兄「井上二三雄」は海軍の中佐でした。

海軍と言えば出雲族になります。

ですから、井上日召と井上二三雄は出雲族と言えます。

井上準之助に話を戻しますが、井上準之助は「岩崎久弥」と「東洋文庫」を設立しています。

東洋文庫の基礎は、1917年三菱財閥の第3代総帥岩崎久弥が、当時中華民国の総統府顧問を務めていたジョージ・アーネスト・モリソンの所蔵する、中国に関する欧文文献の膨大なコレクションモリソン文庫)を購入したことに始まる[3]。岩崎久弥はモリソン文庫に加えて和書漢籍をはじめとする東洋諸言語文献を収集し、日本を含めた東洋全域を網羅するコレクションを構築したうえで、1924年東京本駒込の地に民間の図書館兼研究所である財団法人東洋文庫を設立した。初代理事長には、同年まで大蔵大臣だった井上準之助が就任している[4]

出典:東洋文庫 – Wikipedia

岩崎久弥は三菱創業者「岩崎弥太郎」の長男です。

久弥は岩崎弥太郎喜勢夫妻の長男として土佐国安芸郡井ノ口村(現・高知県安芸市)に生まれた。父・弥太郎は三菱財閥の創設者。明治8年に福澤諭吉慶應義塾幼稚舎から入塾。3年後に父が開設した三菱商業学校(明治義塾)に転じ、英語簿記法律経済を学んだ。慶應義塾普通部を卒業後、明治19年に米国留学し、1888年(明治21年)にアメリカペンシルベニア大学ウォートン・スクールに入学。

出典:岩崎久弥 – Wikipedia

岩崎久弥は福沢諭吉の慶應義塾に幼稚舎から入塾していますから、岩崎家と「福沢諭吉」は密接な繋がりがあります。

そして、福沢諭吉と三菱は、日本人のうら若き女性を海外へ売春婦として売り飛ばし、巨万の富を得ていました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

また、三菱は出雲族となります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そして、井上準之助と共に東京ゴルフ俱楽部を立ち上げた人物に「樺山愛輔」がいます。

1865年薩摩藩士・樺山資紀の長男として鹿児島に生まれた。1878年米国に留学。1885年コネチカット州ウェズリアン大学に入学[1]その後、1887年アマースト大学に編入。アマースト大学卒業後はドイツボン大学に学ぶ。実業界に入り、函館どつく日本製鋼所十五銀行などの役員を務める。1922年、父資紀(海軍大将、伯爵)の死後、爵位を襲爵した。1925年7月に貴族院議員に選任され、1946年6月13日まで務めた[2][3]1930年ロンドン海軍軍縮会議には随員として参加。太平洋戦争中は、近衛文麿原田熊雄吉田茂、盟友の松平恒雄などと連携していわゆる「ヨハンセングループ」の終戦工作に従事した。1946年枢密顧問官に就任。翌年日本国憲法の施行により枢密院廃止。公職追放となる[4]

20年以上の滞米経験から米国内に多くの知己を持ち、日米協会会長や国際文化振興会顧問、国際文化会館理事長、ロックフェラー財団などの国際的文化事業にも携わった。

出典:樺山愛輔 – Wikipedia

樺山愛輔は「ウェズリアン大学」入学後、「アマースト大学」へ編入しています。

昨日記事にさせて頂きましたが、両大学共に「リベラル・アーツ・カレッジ」の最高峰の大学と言われています。

リベラルアーツもイルミナティが深く関わっていますので、悪魔崇拝へと繋がります。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

また、樺山愛輔は、吉田茂(九鬼家)らと共にヨハンセングループの終戦工作にも従事し、枢密院顧問官として、天皇とも近い人物になります。

更には、ロックフェラー財団(=出雲族)とも繋がりがあった様です。

そして、樺山愛輔の父「樺山資紀」は、「橋口与三郎」の三男として生まれ、その後「樺山四郎左衛門」の養子になっています。

樺山 資紀(かばやま すけのり、天保8年11月12日1837年12月9日) – 大正11年(1922年2月8日[1])は、日本武士薩摩藩士)、陸軍及び海軍軍人政治家階級海軍大将栄典従一位大勲位功二級伯爵薩摩藩士・橋口与二郎の三男、樺山四郎左衛門の養嗣子

警視総監(第3代)、海軍大臣(第2代)、海軍軍令部長(第6代)、台湾総督初代)、枢密顧問官内務大臣第15代)、文部大臣第14代)を歴任した。

出典:樺山資紀 – Wikipedia

この様に、養子に出す事で血筋を隠すのはイルミナティの常套手段です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そして、海軍は男色が盛んだった様です。

下記ツイートをご覧ください。

そして、樺山資紀の孫(樺山愛輔の次女)である「白洲正子」の夫「白洲次郎」は、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めていました。

更に、吉田茂の側近も務めていた白洲次郎は「清和源氏」の末裔で、三田藩の士族でした。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

三田=サタンのアナグラムになります。

つまり、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めていた白洲次郎は、イルミナティの中でも核心的な人物と言えます。

この様に、ゴルフは古代ケルトのピクト人から始まり、ここ日本においても悪魔崇拝と密接な繋がりがあるという事がご理解頂けるかと思います。

恐らく、多くの方がご存知ないかもしれませんが、ゴルフクラブのメーカーに「グラインドワークス」という会社があります。

このグラインドワークスのロゴが神代文字の「も」に見えます。

下記ツイートをご覧ください。

https://twitter.com/rplaKTyqAVCwfhH/status/1372100899695333380?s=20

グラインドワークスは出雲族の「も」の勢力と考えますと、秦氏である可能性があります。

そして、アイアンの一つに「MC333」という製品があります。

下記ツイートをご覧ください。

ホルスの目に、大本教が重視している数字「333」を製品名に使用しています。

ですから、グラインドワークスは「大本教」に関わりがある企業と言えます。

また、「SAQRA」という製品名のクラブもあります。

「Q」を使用しているのも大本教を意識しているからと言えます。

下記ツイートをご覧ください。

そして、グラインドワークスの代表が「新見清成」という人物です。

グラインドワークスが用具提供しているプロゴルファーに「パトリック・リード」がいます。

パトリック・リードは、2020年に8ラウンド中に5回「66」を出しており、「66製造機」とも言われています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

悪魔崇拝を行って、サタンの力を受けているのかもしれません。

また、パトリック・リードはバンカーショット時に、ボール周りの砂を慣らす行為(ライの改善)を行っていました。

下記動画をご覧ください。

明らかなルール違反をしています。

こういう人物ですから、大本教の企業と気が合うのかもしれません。

そして、ゴルフと言えばゴルフ界のスーパースター「タイガー・ウッズ」がいます。

1975年12月30日アメリカカリフォルニア州サイプレスに生まれる。父親アール黒人の米陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の退役軍人で、母親クンティダーは華僑系タイである。スクラッチ・プレーヤー[注釈 1]でもあった父親アール・ウッズの手ほどきを受け、生後9か月からゴルフを始めた。

(中略)

トーナメントの最終日に赤系のシャツを着る姿が有名だが、これは赤が彼の「ラッキー・カラー」であるためであり、母親クルティダの勧めで始めた習慣である。2021年2月23日にウッズが自動車事故で骨折の重傷を負った際、同週開催されたワークデー選手権では、ロリー・マキロイらトッププレーヤーが、最終日にこぞって赤シャツに黒パンツ姿でプレーし、ウッズの快復を祈った[11]

(中略)

幼少期より、仏教徒として育てられている。

出典:タイガー・ウッズ – Wikipedia

タイガー・ウッズは、母親が華僑系タイ人と書かれています。

華僑=客家=ユダヤ人ですから、母親がユダヤ人である可能性が高そうです。

また、トーナメント最終日に「赤系」のシャツを着るのも母親の勧めによるものと書かれています。

ジンクスや色を気にするのもイルミナティ(=悪魔崇拝者)の特徴ですから、やはり母親がユダヤ人(秦氏)である可能性が高いと言わざるを得ません。

また、幼少期より仏教徒として育てられてもいるようです。

仏教も悪魔崇拝です。

そして、タイガー・ウッズの父「アール・ウッズ」は「前立腺癌」で亡くなった事になっています。

1996年10月後半に心臓疾患(不整脈)で倒れ、心臓バイパス手術を受ける。1998年には前立腺癌が発見され、いったんは放射線療法である程度の回復を見たが、2004年に病状が再発し、2006年5月3日、前立腺癌のため74歳で死去。彼は終の住処として、息子を育てたカリフォルニア州サイプレスの自宅を選んだ。

出典:アール・ウッズ – Wikipedia

癌という病気は存在しませんので、恐らく「生贄」として殺された可能性が考えられます。

私事で大変恐縮ですが、先日の8月4日に、私の父の兄(叔父)が「存在しない癌」で亡くなりました。

厳密に言うと、存在しない癌という病気の診断による「抗がん剤治療」によって、「医者」に殺されました。

私はRAPT理論を知っていましたので、叔父が癌だと叔父の長男(従兄弟)から連絡を受けた際に、癌は存在しない旨をお伝えしました。

癌で死ぬのではなく、抗がん剤で死ぬとはっきりとお伝えしましたが、私の声は叔父と従兄弟には届かず、結果帰らぬ人となりました。

抗がん剤治療を続けていると父から聞いた時から、いずれ亡くなるという事は分かっていましたので、特に悲しみはありませんでした。

むしろ、この記事を読んで下さっている方で、身近な方で癌と診断され、抗がん剤を治療を検討あるいは進めている方がいらっしゃいましたら、即中断して下さい。

人は、存在しない癌では死にません。

癌で死ぬのではなく、抗がん剤という猛毒で死ぬのです。

どうか一人でも多くの方が、癌という捏造された嘘の病気の洗脳から解かれる事を心から願っています。

少し話がずれてしまいましたが、今回の記事のまとめとしまして、ゴルフは古代ケルトのピクト人の本拠地をゴルフの聖地とし、イルミナティ(=悪魔崇拝者)と密接に関わっているスポーツである事が分かりました。

悪魔崇拝に深く関わっているゴルフを私はしたくありませんので、これで私も気持ち良くゴルフを止める事が出来ます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HAJIME