「お盆」も「墓参り」も悪魔崇拝へと通じます。または「歌舞伎」の起源について。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は「お盆」と「墓参り」について書いていきたいと思います。

ちょうど、本日8月13日~8月16日が世間一般的に「お盆休み」とされています。

お休みの方も多く、帰省されて見える方もいらっしゃるかと思います。

お盆の時期になると、私も幼少の頃は父と母の実家へと帰省していました。

日本人にとって習慣となっている「お盆」ですが、その起源について調べてみました。

お盆(おぼん)は、日本夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰仏教が融合した行事である。

(中略)

仏教用語の「盂蘭盆会」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。盆とは文字どおり、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。

中華文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする風習がある。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられる。

盆の明確な起源は分かっていない。1年に2度、初春初秋満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊年神として神格を強調されて正月となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったと言われている。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行う風習が確立されたと考えられている。

出典:お盆 – Wikipedia

「お盆」の名前は、仏教の「盂蘭盆会」から来ている様です。

盂蘭盆経』(西晋竺法護訳。今日では偽経とされる)、『報恩奉盆経』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来する。もともとは仏教行事であるが、唐代の道教の隆盛期に三元の一つの中元節の流行とともに儀礼の融合が進んだ[3]

出典:盂蘭盆会 – Wikipedia

「盂蘭盆会」は、釈迦十大弟子の一人である「目連」の亡母への供養が由来の様です。

更に、「道教」の「中元節」と融合したのが「お盆休み」の様です。

中元(ちゅうげん)は、道教に由来する年中行事で、三元の1つ。もともと旧暦7月15日に行われていたが、現代の日本では新暦7月15日または8月15日に行われる。この時期に、世話になった人々に贈り物をする習慣を特にお中元とも呼ぶ。

中元は三元の一つで、地官大帝(もしくは赦罪大帝。と同一視される)の誕生日であり、様々なが赦される贖罪の行事が催される。また、地官大帝は地獄の帝でもあるため、死者の罪が赦されるよう願う行事も催される。

中国仏教では、この日に祖霊を供養する盂蘭盆会を催すようになった。仏弟子目連が毎年、亡母を供養した日とされるが、原始仏教には祖霊供養の習慣はなく、中国で生まれた創作話であり、日付も中元に付会させた後付けとされる。なおインド仏教には盂蘭盆(ウランバナ、倒懸)という用語はあるが、これは年中行事とは関係ない哲学的概念であり、行事としての盂蘭盆会は中国起源である。盂蘭盆会は中元と習合し、一体化した。

日本では、盂蘭盆会は道教を通じて習合し、お盆の行事となった。江戸時代には、盆供(先祖への供物)と共に、商い先や世話になった人に贈り物をするようになり、この習慣を特に中元と呼ぶようになった。

出典:中元 – Wikipedia

どうやら日本の「お中元」は、道教の「中元節」から来ている様です。

そして、「原始仏教」には祖霊供養の習慣は無く、中国で生まれた創作話で、日付も中元節に合わせただけの後付けの様です。

言い換えると、祖霊供養も日付も後でこじつけただけのもので、何の意味も無いとも言えます。

「お盆」のWikipediaには「明確な起源は分かっていない」と書かれていますが、道教の「中元」のWikipediaにはしっかりと書かれていますので、起源は「道教」であると考えられるかと思います。

また、「祖霊(先祖の霊)」を「年神」として神格化したものが「正月」の祭りとも書かれています。

つまり、「正月」も祖霊供養から来ている事になります。

そして「先祖の霊」を神格化する事自体が悪魔崇拝の一環と言えますし、仏教徒の「目連」が起源となっていますので、「祖霊供養」という考え方自体が既に悪魔崇拝の一環であると言えます。

また、「道教」の開祖は「黄帝」とされている様で、広めたのが「老子」の様です。

伝説的には、黄帝が開祖で、老子がその教義を述べ後漢張陵が教祖となって教団が創設されたと語られることが多い[2]

出典:道教 – Wikipedia

「黄帝」については、以前にも記事にさせて頂きました。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そして、「老子」の本名は「李耳」で、イルミナティ13血流の一つである「李家」になります。

そして、「黄帝」が開祖し、「老子(李耳)」が広めたとされる「道教」は悪魔崇拝宗教です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

ちなみに、「仏教」も悪魔崇拝宗教になります。

ですから、「お盆」は悪魔崇拝宗教である「仏教」と「道教」が由来であると言えます。

また、「盆」は、供物を祀る「精霊」の呼称である様です。

「精霊」は悪魔(=サタン)の事を表しますから、「お盆」そのものが、悪魔(=サタン)とも言えます。

そして、「お盆」で何をするのかと言えば、祖先供養の行為である「墓参り」です。

「墓参り」と言えば、「そこまで言って委員会」に出演していた「三宅久之」の座右の銘が「愛妻・納税・墓参り」と、しきりに発言していました。

「三宅久之」は、威厳ある天皇(国家神道)を望んでいた人物です。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そんな「三宅久之」が座右の銘にしていた程の「墓参り」ですが、お盆の時期の「墓参り」にする事と言えば、「迎え火」や「送り火」ではないでしょうか。

13日夕刻の野火を迎え火(むかえび)と呼ぶ。以後、精霊棚の故人へ色々なお供え物をする。 地方によっては、「留守参り」をするところもある。留守参りとは、故人がいない墓に行って掃除などをすることをいう。御招霊など大がかりな迎え火も行われる。

16日の野火を送り火(おくりび)と呼ぶ。京都の五山送り火が有名である。 15日に送り火を行うところも多い(奈良高円山大文字など)。

また、川へ送る風習もあり灯籠流しが行われる。山や川へ送る点は、釜蓋朔日で記したとおり故人が居るとされるのが文化的に山や川でありそのようになる。

出典:お盆 – Wikipedia

「火」を焚く風習と言えば、「拝火教」とも呼ばれている「ゾロアスター教」へと通じます。

ゾロアスター教は(善)の象徴としての純粋な「」(アータルアヴェスタ語: ātar‎)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全神殿には、ザラスシュトラが点火したとされる火が絶えることなく燃え続け、神殿内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する[6]

出典:ゾロアスター教 – Wikipedia

そして、お盆の名前の由来とされている「盂蘭盆会」ですが、その語源が「ゾロアスター教」から来ている可能性があります。

更に、その「ゾロアスター教」の起源とされているのが「ドルイド教」です。

「ドルイド教」で「火」と言えば、生贄儀式である「ウィッカーマン」が思い出されます。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)

また、東京五輪でも「ウィッカーマン」が製作されていました。

そして、「お盆」と言えば、「盆踊り」があります。

盆踊りはもともとは仏教行事であるとする説、歌垣の遺風とする説、原始信仰の儀式だったとする説など諸説あるが、文献に最初に登場するのは室町時代と言われる[2]平安時代空也上人によって始められた踊念仏が、民間習俗と習合して念仏踊りとなり[6]盂蘭盆会の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事として定着していった。

出典:盆踊り – Wikipedia

盆踊りは、「踊念仏」から「念仏踊り」となった様です。

「念仏踊り」は、念仏を唱えながら踊る事を意味する様ですが、自ら念仏を唱えて踊るのが「踊念仏」で、念仏を唱える者と踊る者が別になっているのが「念仏踊り」の様です。

仏教の念仏と言えば、「お経」に該当します。

「お経」は悪魔(=サタン)を召喚する呪文です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

ですから、「念仏踊り」で「精霊」を迎えると書かれていますが、「精霊」=「悪魔」となります。

つまり、「盆踊り」は「悪魔」を召喚する為の儀式と言う事になります。

また、「踊り念仏」及び「念仏踊り」は性的に風紀を乱していた側面があった様です。

踊り念仏は、鎌倉時代には一遍上人が全国に広めたが、一遍や同行の尼僧らは念仏で救済される喜びに衣服もはだけ激しく踊り狂い、法悦境へと庶民を巻き込んで大ブームを引き起こした[7]それ以降は、宗教性よりも芸能に重点が置かれる念仏踊りが生み出され、人々はさらに華やかな衣装や、振り付け、道具、音楽などを競うようになった[7]室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれている。現在も、初盆の供養を目的の盆踊りも地域によっては催されている。太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊る。口説きは、地区の伝統でもある。初盆の家を各戸を回って踊る所もある。昔は旧暦の7月15日に行われていた。ゆえに、盆踊りはいつも満月であった。

鎌倉時代以降、経済力や自治力を得た民衆により新奇な趣向が次々に考案され、江戸時代初頭には絶頂を極めることになる。江戸では7月に始まり連日踊り明かしながら10月にまで続いた。次第に盆踊りは性の解放のエネルギーと結びついていく。日本では性は神聖なものとされ、神社の祭礼を始めとし、念仏講御詠歌講など世俗的宗教行事の中心に非日常的な聖なる性があるべきと考えられるようになり、盆踊りは性の開放エネルギーを原動力に性的色彩を帯びるようになる。明治時代にはしばしば風紀を乱すとして警察の取締りの対象となって一時は激減していた。盆踊りは未婚の男女の出会いの場にとどまらず、既婚者らの一時的な肉体関係をもつきっかけの場をも提供していた。ざこ寝という、男女が一堂に泊まり込み乱交を行う風習も起こり、盆踊りとも結びつき広まり、ざこ寝堂はほとんど全国の農村には存在した。これは昭和時代に至っても続いていた[7]

出雲阿国による一風変わった男装の念仏踊り歌舞伎踊りと言われた(歌舞伎のかぶくとは、「常識外れ」や「異様な風体」と言う意味)[要出典]。以後、歌舞伎など様々な芸能へと派生していったが、歌舞伎も売春を伴い幕府より厳しく取り締まりを受けていたことから鑑み、盆踊りに限定されず芸能全般に性が結びついた江戸文化風俗の一端と言える[8]

出典:盆踊り – Wikipedia

尼僧が衣服をはだけて踊り狂っていた事から人気に火が付き、宗教よりも芸能へと傾倒していった様です。

そして、「盆踊り」は「性の解放エネルギー」へと結びついたと書かれてあります。
(何故、「盆踊り」が「性の解放エネルギー」となるのか、全く以って意味不明です。)

更に、「日本では性は神聖なものとされ」と書かれています。
(何故、わざわざ「性を神聖視」するのか、これもまた意味不明です。)

そして、「性の解放エネルギー」と「性を神聖視」した結果、最終的に「盆踊り」は「乱交」を行う場へと変わっていった様です。

精霊を迎え、死者の供養が始まりだったはずが、いつしか性の解放エネルギーへと結びつき、最終的には乱交パーティの場になってしまったのが「盆踊り」の様です。

乱交騒ぎは昭和時代でも続いていたそうですから、相当風紀が乱れていた事が良く分かります。

実に「悪魔的」と言わざるを得ません。

つまり、「盆踊り」は死者の供養という口実で男女が集まり、乱交パーティする為の場であったと言う事になります。

これはある意味、死者への冒涜なのではないでしょうか。

また、「盆踊り」の記述から「歌舞伎」に関する記述が有りましたので、「歌舞伎」についても書いていきたいと思います。

まず、「歌舞伎」は「出雲阿国」の「念仏踊り」から来ている様です。

一般的には、彼女による「阿国歌舞伎」の誕生には名古屋山三郎が関係しているとされ、「山三郎の亡霊の役を演じる男性とともに踊った」といった解説がなされることが多い[2]お国が演じていたものは茶屋遊びを描いたエロティックなものであり、お国自身が遊女的な側面を持っていたという可能性も否定できない[3]

(中略)

出雲国杵築中村の里の鍛冶中村三右衛門の娘であり、出雲大社巫女となり文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったとされている[5]

(中略)

お国のかぶき踊りは、名古屋山三郎役の男装したお国と、茶屋の娘役として女装したお国の夫・三十朗が濃密に戯れるものであった[7]。一座の他の踊り手も全て異性装を特徴としており、観客はその倒錯感に高揚し、最後には風流踊念仏踊りと同様に出演者と観客が入り乱れ熱狂的に踊って大団円となった[7] このように、お国がかぶき踊りを創始するに際して念仏踊りを取り入れたとする記述が一般向けの解説書や高校生向けの資料集により一般的であるが(山川出版『詳細日本史図説』、『日本の伝統芸能講座 舞踊・演劇』)、この従来説に対して、ややこ踊の一座やお国が念仏踊りを踊った可能性は低いと主張する者もいる[4]

「男」が「女」の衣装を身に着け、「女」が「男」の衣装を身に着ける「異性装」が特徴との事。

つまり、男が「女装」し、女が「男装」していた事になります。

これは聖書で禁じられている行為ですから、神様への反逆行為と言えます。

の着物を身に着けてはならない。の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる。

申命記22章 05節

この様に、神様への反逆行為を意図的に行っている訳ですから、「歌舞伎」も悪魔崇拝の一環という事になります。

また、「出雲阿国」と共に名を連ねている「名古屋山三郎」という人物がいます。

名古屋(那古野) 山三郎(なごや さんさぶろう)は、安土桃山時代武将蒲生氏森氏の家臣。名古屋(那古屋)因幡守高久(敦順)の次男。母は織田信長の縁者の養雲院。美少年の誉れが高く、世に名高き伊達者と流行唄 (はやりうた) にも歌われた人物。妻は出雲阿国ともいわれるが疑わしい[2]。ともに歌舞伎の祖とされている。

出典:名古屋山三郎 – Wikipedia

この「名古屋山三郎」も「歌舞伎」の祖とされている人物ですが、「蒲生氏」、「森氏」の家臣と書かれています。

蒲生氏(がもうし)は、日本氏族の一つ。中世以降藤原北家秀郷流を称し近江国蒲生郡を中心に勢力を築いた。

室町時代には近江国守護大名となった六角氏に客将として仕えた。

出典:蒲生氏 – Wikipedia

「蒲生氏」の家紋は「対い鶴紋」で、「鶴」が使用されています。

また、「蒲生氏」は室町時代に「六角氏」に仕えたと書かれています。

六角氏(ろっかくし)は、日本氏族宇多源氏佐々木氏の流れで、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国南部を中心に勢力を持った武家守護大名)。藤原北家流の公家六角家とは血の繋がりは無い。佐々木六角氏とも言う。

出典:六角氏 – Wikipedia

「六角氏」は「宇多源氏佐々木氏」の流れをくんでいる様です。

「六角氏」の家紋が「隅立て四つ目(鶴の丸)」です。

そして、「蒲生氏」は、「藤原秀郷」の流れをくむ様ですが、この「藤原秀郷」は「平将門」を討った人物とされている様です。

藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと)は、平安時代中期の貴族豪族武将下野藤原村雄の子。別名俵(田原)藤太

室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山百足退治の伝説で有名。もとは下野掾であったが、平将門追討の功により従四位下に昇り、下野・武蔵二ヶ国の国司鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。源氏平氏と並ぶ武家の棟梁として多くの家系を輩出し、近代に正二位追贈された。

出典:藤原秀郷 – Wikipedia

「平家」はロスチャイルドですから、「平将門」を討ったとする「藤原秀郷」は「出雲族」という事になります。(上記画像の服も「白」を基調としています。)

そんな「藤原秀郷」の流れを組む「蒲生氏」は「森氏」に仕えていた様です。

森氏(もりし)は清和源氏の一流、河内源氏の流れをくむ武家である。八幡太郎源義家の七男源義隆相模国愛甲郡毛利庄領主となって、森冠者と名乗った。

出典:森氏 – Wikipedia

「森氏」は、「清和源氏」及び「河内源氏」の流れをくんでいる様です。

そして、「森氏」の家紋が「森鶴の丸」です。

「森氏」の家紋が「鶴丸」という事は、「トヨタ」、「JAL」、「創価学会」と同じロゴになりますから、出雲族の崇める「国常立尊」へと繋がります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

つまり、「出雲阿国」は出雲大社の巫女で、「名古屋山三郎」は出雲族の流れをくむ家計ですから、「歌舞伎」は「出雲族」によって作られたものと考えられます。

そして、「男」が女装し、「女」が男装する「歌舞伎」は、「念仏踊り」から派生している形になっていますので、「歌舞伎」も悪魔崇拝の一環である事に間違いないと言えます。

そして、現代の「歌舞伎」で有名なのが、妻である「小林麻央」を悪魔への生贄に差し出した「市川海老蔵」ではないでしょうか。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

最後に、「お盆」は数秘術の観点からも、悪魔の数字(666)にまみれていました。

下記ツイートをご覧ください。

つまり、お盆期間の設定は「数秘術」の観点からも考えられているものと思われます。

8月13日~8月16日を「数秘術」で計算すると悪魔の数字「666」のオンパレードです。

18=666=弥勒=みろく=6が3つの意味になります。

この様に、「お盆」はどこまでも悪魔にまみれています。

日本全国で「お盆」を定着させたのも、我々庶民に知らぬ間にサタン(=悪魔)を拝ませる為のイルミナティ(=悪魔崇拝者)による洗脳工作と言えます。

私もそうでしたが、この様な真実を知らされる事なく、知らぬ間に悪魔崇拝の一環をさせられていた事になります。

「無知」とは本当に恐ろしい事です。

ですから、イルミナティ(=悪魔崇拝者)が世間に浸透させている行事というのは、悪魔崇拝が絡んでいる事ばかりです。

「ハロウィン」や「クリスマス」が良い例です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

そして、2021年8月13日~8月16日のお盆期間の天気予報が、日本各地で雨の予報となっています。

雨になっているのも、「お盆」が悪魔崇拝の一環であるが故に、「神様の裁き」なのではないかと思われます。

例年ですと、「お盆」期間中は晴れていた事が多いかと思いますが、それはイルミナティ(=悪魔崇拝者)が「ケムトレイル」にて気象操作していたからと言えます。

お年寄りの方は、イルミナティ(=悪魔崇拝者)の洗脳が深い為、中々ご理解頂けないかもと思いますが、若い世代の方は「お盆」についての意味をあまり知らない、あるいは知らされていない方が多いかと思いますので、洗脳もそこまで深くないものと思われます。

日本全国でこぞって「お盆」に休みを取って、「墓参り」させたり、「盆踊り」させたりするのは、悪魔崇拝の一環であるという事を、一人でも多くの方にご理解頂けたら幸いです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HAJIME