サタン的な思考にまみれた人生からの脱却。

こんにちは。

HAJIMEです。

昨日は記事を更新出来ず、大変申し訳ございませんでした。

昨日、2021年11月6日(土)の出勤を最後に、会社を退職致しました。

11月6日の明け方のお祈りの中で、私が今の会社においてやるべき事は終わったとの霊感を神様が与えて下さいましたので、神様が与えて下さいました霊感の通りに行動し、昨日の出勤を最後とさせて頂きました。

その為、会社での私物の整理や清掃、簡単な引継ぎと、お世話になった方々への簡単なご挨拶など、退職に係る諸々の対応をさせて頂きましたので、記事の更新をお休みさせて頂いておりました。

土曜日の出勤が最後になる訳ですが、今の職場にいる方の中で、直接ご挨拶させて頂いたのは、私の上司だけです。

人間的に考えれば、職場にいる全員にご挨拶するのが筋ではありますし、上司からもその旨は伝えられました。

しかし、私は神様の霊感の通りに行動しなければならない為、その旨も拒否して、昨日を最後の出勤日とさせて頂きました。

私の上司には、私が退職を申し出た事をきっかけとして、私の活動内容を一部お話させて頂き、伝道もさせて頂いております。

信仰が入ったという訳ではありませんが、神様の存在を否定する事も無く、完全に信じ切る為の決定的な「何か」が無ければ、信じ切れないといった状況にあるものと思います。

これは、今まで伝道させて頂いた方々の中で、否定的な考えに至らず、信じたいけど、信じ切れないといった方に多く見られる傾向です。

私自身もそうでしたので、気持ちはとても良く分かります。

特に男性は、目に見えるものしか信じない傾向にあります。

その為、目に見えない神様を信じ切る為には、その方の信じ切れない思いを吹き飛ばす位の衝撃的な「何か」が無ければ、信仰を持つ事が出来ないのではないかと思います。

私自身の人生経験を通して理論的に証をしても、それは私個人の場合であって、話を聞いている本人の場合は違うという考えに陥ってしまっている様にも見受けられます。

せっかく話を聞いて下さっているにも関わらず、自分の人生経験を証するだけでは、伝道し切れる決定打を得られないと、最近は少し限界に感じていた部分もあります。

様々な方にお話をさせて頂いてはおりますが、実際にRAPTブログ有料記事を購入し、御言葉を学んでいる方は、身内以外にはいません。

聖書を買って読んで下さった方は一名いますが、有料記事を購読したかどうかまでは聞いていませんので、実際に外部の方で伝道出来た方はゼロになります。

その位に、サタンとイルミナティの洗脳が深いのだという事を感じますし、私自身の伝道能力がまだまだ不足しているという証拠でもあります。

かと言って、落ち込んでいるのかと言えば、そんな事はありません。

むしろ、落ち込んでいる暇はありません。

自分の能力が不足していると感じるのであれば、その能力をもっと磨いていかなければなりません。

「折が良くても悪くても伝えなさい」と、聖書の中でパウロが書いています。

御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。

テモテへの手紙二 4章 2節

ですから、私も聖書の通りに忍耐強く、十分に延べ伝え続けていかなければなりません。

また、実践して場数を踏まなければ、それこそ成長出来ません。

そして、最初から完璧に全てをこなせる人はいません。

ですから、実践して努力し、もがく事が成長に繋がります。

実践経験が豊富な人ほど、その方の話す言葉に説得力があるのと同じ様に、実践して努力しない限りは、伝道しようと思っても伝道する事は出来ません。

「行いが伴わない信仰は、死んだ信仰である。」と、聖書の中でヤコブが書いています。

ーーーーーーーーーーーーーーーヤコブの手紙2章14節~17節

わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

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ご覧の様に、どれだけ御言葉を学び、どれだけ信仰を持っていたとしても、伝道しなければ、その信仰は死んでいます。

そして、御言葉を頭に蓄え、強固な信仰を持っていながらも、伝道をしない人は、自分の救いだけで終わる人になります。

自分の救いだけで終わるという人は、自分中心の罪を犯している事になります。

その様な考えは、自分さえ救われれば良いという考えになりますので、自分を愛している事になります。

そして、聖書に書かれている最も重要な第二の掟である「隣人を自分の様に愛しなさい。」という掟に従っていない事になります。

ですから、その様な信仰を持っている人物は義人ではありません。

その様な人物は山羊であり、サタンであり、工作員です。

ですから、神様から裁かれるのは当然です。

伝道しなければならないと言っても、自分自身が救われていなければ伝道は出来ません。

自分自身が救われていない方は、まずは自分自身が救われる様に、神様を第一に愛して信仰生活をしていかなければなりません。

そして、RAPT理論を拡散する事も、伝道の一つであると御言葉の中で伝えて下さっています。

ワクチンが危険な代物である事が、RAPT理論+αの記事でたくさん書かれています。

RAPT理論そのものを理解出来ていなかったとしても、ワクチンの危険性を情報拡散する事は誰でも出来るはずです。

ですから、今のあなたに出来る事をすれば良いのです。

背伸びして、自分の能力の範囲を超えて行おうとする事は、自分を大きく見せようとしたり、良く見せようとする行為になりますので、聖書に書かれているパリサイ派、律法学者と同じく、傲慢な者、高慢な者と見なされ、罪を犯す事になります。

その様に、人から良く見られようという考えに至るのは、プライドがあるからに他なりません。

かつての私が、正にその行いをしていたのです。

自分はもっとやれるはずだと、努力をする事は良い事ですが、自分自身の弱さを隠そうとして、背伸びした行為をしていた為、傲慢、高慢だった私は、神様から裁かれました。

その時に、人間は自分自身の弱点や欠点を、自分の力だけで克服する事は不可能なんだと悟り、自分自身の能力を常に見極め、神様にどこまでも縋り付いて信仰生活をする様になりました。

それでもまだ、自分で勝手に考えて行動してしまう事が、日常生活の細かい部分で多々ありますので、私自身ももっと自分自身を変えていかなければなりません。

神様の裁きについては、JUNIさんの証も、多くの方の参考になると思いますので、ご紹介させて頂きます。

こちらの動画をご覧ください。

神様の裁きを実際に受けると分かりますが、本当に恐ろしいです。

イルミナティも神様の激しい怒りのぶどう酒を注がれ、強烈に裁かれていますが、私たち義人に対する神様の裁きは、イルミナティの裁きとは違い、愛の裁きなのです。

それは、JUNIさんも証しておられますが、あなたの弱点・欠点を無くす為に「躾(しつけ)」の意味合いが込められているのです。

「躾(しつけ)」は、漢字を見れば分かる通り、「身」に「美」と書かれています。

つまり、あなたの弱点・欠点を無くしていく事で、よりあなたは美しくなり、神様に近づく事が出来る事を意味しています。

神様は、私たち義人の一人ひとりを愛して下さり、時には鞭を打って練達されます。

鞭を打たれる事は、神様があなた個人の事を気にかけて下さっている事の証でもあります。

ですから、信仰を持っているにも関わらず、何の艱難苦難も無いと言う方は、そもそも信仰を持っていないか、これから敢行される裁きの為に、あえてそのまま放置されている場合があります。

私の裁きは、正にその様な裁きでした。

裁かれた時は落ち込みますが、神様の裁きには1ミリの誤差もありません。

ですから、その裁きをきちんと受け入れ、悔い改めなければなりません。

心頑なに、自分は間違っていないと思う心が少しでも残っているのであれば、悔い改めた事にはなりません。

その場合、神様の裁きが終わる事はありません。

神様は完全な御方でいらっしゃいます。

完全な御方である神様からの裁きを通して、あなたが直すべき弱点・欠点を指摘されておきながら、自分は間違っていないと思う方は、完全な御方である神様の仰る事が間違っていると言っている様なものです。

その方は、神様より完全であると思い上がっている事になりますので、傲慢な者、高慢な者であり、神様の敵となってしまいます。

聖書には、以下の様に書かれています。

もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる。」

ヤコブの手紙 4章 6節

人間ごときが、神様より偉く、知恵や賢さがあると思うのですか?

私たち人間はどこまでも不完全な存在です。

創造物(人間)が創造主(神様)より偉いと思う事は、反逆行為以外の何物でもありません。

ある意味、一番の罪なのではないでしょうか?

まるで、犬が人間より賢く知恵があると言っている様なものです。

その様な考え、行動をしている者が、神様の愛を受けられる訳がありませんし、神様から裁かれるのは当然の事です。

そして、その様な神様への反逆行為を意図して行い、巨悪を働いて来たのがサタンを拝んでいるイルミナティなのです。

神様は、サタンやイルミナティですらも、悔い改めるのを待っていらっしゃったどこまでも偉大な愛の御方です。

意図的に反逆行為を犯してきたサタンやイルミナティに対しても、悔い改めの機会を与えて下さっている神様の愛の広さ、長さ、高さ、深さは、私たち人間にとても計り知れるものではありません。

これ程までに偉大な愛をお持ちでいらっしゃる神様に対して、反逆行為をするという事は、逆にその愛の偉大さ故に、どこまでも厳しい裁きが下される事になります。

先程、私たち人間はどこまでも不完全な存在だと申し上げました。

不完全な存在であるからこそ、罪を悔い改めて、完全な自分を作っていかなければなりません。

神様は、私たち義人の弱点・欠点を全てご存知です。

全てご存知の上で、私たちをどこまでも愛して下さっているのです。

その上で、弱点・欠点を指摘して下さり、より神様に近づける様に、より完全になれる様にお導き下さっているのです。

そして、指摘しても変われない場合には、裁きという鞭を打って、心の奥底から直せる様にして下さるのです。

ですから、裁かれたと言って、神様の愛を疑う様な事があってはいけません。

疑いたくなる様な状況に陥ったとしても、神様の愛をどこまでも信じて、神様に感謝し、神様に祈り求め、神様に縋り付いて、どこまでも神様を愛し、耐え忍んでいかなければなりません。

私は、会社を退職すると決断してから、実際に最後の出勤を終えるまでの間、私は神様の謀を行っていました。

端的に言えば、神様の御心を成す為の工作活動をしていた事になります。

ある意味、神様の謀をする為の工作員でした。

神様が与えて下さる霊感の通りに行動し、神様の御心が全て滞りなく成される様にと、自分を捨てて行動しました。

人間的に考えて行動していたら、きっと出来なかったものと思われます。

そして、最初の頃は、神様の謀をしている事には気付いていませんでした。

途中から気付く様になり、神様が私を通して、私の勤務先に対する神様の御心を成そうとされている事を知ってからは、プレッシャーを感じると共に、自分の考えを捨てて行わなければなりませんでした。

私は、神様と時代の中心者RAPTさん、十二弟子の皆様方、そして、先にいる兄弟姉妹の皆様方によって救われ、今日の私があります。

私の様な、どうしようもない人間すらも救って頂いた御恩は、私の残りの人生をかけて恩返ししていかなければなりません。

残りの人生を通して恩返ししても、とても返し切れる大きさの御恩ではありませんが、私としましては、その様な心の思いで、信仰生活をさせて頂いております。

私の人生をかけて恩返しするという事は、私の人生そのものを神様に委ね、捧げる事でもあります。

ですから、そこに私個人の考えやこだわり、主義、主張、プライドなどがあっては、神様の御心を成していく事が出来ません。

だからこそ、自分を捨てていかなければならないのです。

その事を、勤務先に対する神様の謀を仕掛けていく行いを通して、神様が教えて下さり、お導き下さいました。

神様の御心(謀)を成す為には、人間という私個人の考えが邪魔をしてしまうのです。

その最たる物が、プライドではないかと、私は実践して感じました。

プライドは、あらゆる罪に直結すると感じています。

そして、男は特にプライドが問題であると、御言葉を通して教えて下さっていましたので、私は自他ともに認める程にプライドが高いと分かっていましたので、とにかくプライドを無くそうとお祈りしてきました。

そのお祈りの効果を、神様の謀をする上で実感しましたし、捨てなければならない理由も、実践を通して悟る事が出来ました。

神様の謀をしていく時は、辛く、苦しく感じましたが、終わった今振り返りますと、楽しかったと思いますし、自分自身の小ささに笑えてしまう事もあります。

こんなちっぽけな事も捨てられなかったんだと、自分自身の器の小ささを認めざるを得ません。

本当に人間は、ちっぽけな存在であり、どうでもいい事ばかりにこだわっていたんだなと強く感じている次第です。

謀をしていく中で辛かった事と言えば、周囲の人の理解を得られない事にあります。

これは当然の事ではありますが、分かってもらってしまった場合には、謀になりませんので、これは純粋に神様だけを信じ、愛して、耐え忍ぶしか方法がありません。

そして、謀をしているとは言っても、私自身も神様の謀の一部しか知りません。

神様はそれすらもご存知の上で、私が神様の謀を出来る様にお導き下さいました。

そのお導きに気付いたのは、実際に会社を出勤しなくなった時に初めて気づきました。

ですから、本当に人間が持っている考えや主義、主張、プライドが邪魔になっていたんだと強く感じた次第です。

私は過去の記事で、自身の性的な嗜好についても書いていますが、信仰を持つ前の私では到底書ける内容ではありませんし、世の人々であれば隠すべき内容でもあります。

でも、その事を書く事で、神様が私を通して成そうとされている御心がある事を悟り、自分のプライドを捨ててあるがままを書いていますし、自身が行って来た事ですから、神様の前では全てが露わとなります。

そして、今回もまた一つカミングアウトする訳ですが、私は一度だけ痴漢行為をした事があります。

電車の席に座り、寝たフリをしながら隣に座っている女子高生の足に、手の甲を当てるという痴漢行為です。

当然の事ながら、その女子高生は嫌がっていましたが、私が寝ていると思い、女子高生はそのまま黙っていました。

自分から女性に触れる様にした行為は、この一回限りですが、回数の問題ではありません。

お名前もお顔も存じませんが、女子高生にご迷惑をお掛けしてしまっておりました事は事実です。

この場をお借りして謝罪申し上げます。

大変申し訳ございませんでした。

また、自ら触れにいった行為ではありませんが、似た様な痴漢行為も御座いました。

私が電車の通路側の席に座って寝ていた所、肘掛けに肘を置いて寝ていたのですが、何かが当たっている事に気付き、目を覚ますと、通路に立っている女性のお尻が、電車の揺れに合わせて私の肘に当たっていました。

その肘を引っ込めればよかったのですが、私は女性が気付いていないのをいい事に、当たるがままにしてしまっていたのです。

また、私の地元の豊橋市には路面電車の市電が走っているのですが、その通路に立って乗車していた所、私の目の前に立っていた女子高生が、市電の床に置いていた鞄の中の荷物を取ろうと前かがみになった所、ちょうど女子高生のお尻が、私の股間にがっつり触れてしまうという事もありました。

これらの行為を通して、私が自ら取った行動ではありませんが、情欲を抱いてしまった事は事実です。

また、私は歯石や歯の着色を取るという歯のメンテナンスを定期的に行っていますが、そのメンテナンスを行う歯科衛生士さんの多くが女性です。

歯のメンテナンスをしていく中で、奥歯など、角度的に見にくかったりする事がある訳ですが、その際に歯科衛生士さんは見える様に動かれます。

その際に、歯科衛生士さんの胸が私の頭や顔に当たる事が多々あります。

信仰を持つ前は、胸が当たる事を内心喜んでいた訳ですが、信仰を持った今となっては、その事を意識しない様に、歯のメンテナンス中はずっと心の中でお祈りし、情欲を持たない様に抵抗しています。

歯科衛生士さんご自身は、胸が当たっているとは思っていませんし、私も歯科衛生士さんの胸に当たろうと、頭を自ら動かしている訳ではありません。

もし仮に、その様に頭を動かしていたとしたら、歯科衛生士さんが歯のメンテナンスを出来なくなってしまいますので、実質的に動く事は出来ません。

私を担当して下さっている歯科衛生士さんは、とても真面目な御方で、私の歯をどこまでも凝視しては、いつも丁寧に集中して対応して下さっています。

ですから、彼女が意図的に胸を当てている訳ではなく、純粋に私の歯をいつも丁寧に、手を抜く事なく対応して下さっている上で、当たっているに過ぎません。

そんな彼女の思いとは裏腹に、情欲の考えを持ってしまっている自分自身を恥じ入ると共に、根深い情欲の罪を完全に取り除いていかなければなりません。

また、私自身がその様な情欲の根深い罪がある事を、本日の明け方のお祈りの中で、神様が改めて教えて下さいました。

私は、信仰を持ってから、それまで生きて来た中で犯して来た情欲に関わる罪を悔い改めて来た結果、自慰行為を始めとした情欲的な行為をする事は無くなりました。

しかし、未だに女性に対しては目で追ってしまったり、好みの女性に対しては、情欲的な考えが心の中に湧いてきてしまうのも事実ですし、その考えを取り除かなければならない事をも理解してはいます。

そして、その事以上に、私の心の中に汚れた思いが残っている事を、神様が教えて下さいました。

それが、強姦です。

本日の明け方にお祈りしていると、インド人の様な人物が10代の少女を強姦している様な映像が流れました。

その映像を見た私は、インド人が強姦していると思った時に、その強姦しているインド人が突如として自分に変わりました。

その事にハッと気付いたのも束の間、自分自身の身体もその事に反応(勃起)してしまっていたのです。

つまり、自分でも気付いていない深層心理に、女性を強姦したいという罪の根がある事になります。

その事を思い出し、記事を書いている今も身体が反応(勃起)しています。

つまり、私の心の中に残っている「罪」である証拠です。

なお、私が実際に強姦をした事がある訳ではありません。

私の深層心理に強姦したいという罪の考えがあるという事です。

私は、自分自身の深層心理にこの様な汚れた考えがあると知った時、とてもショックでした。

でも、神様が教えて下さらなければ、私はいずれサタンにその罪の根を掴まれて、サタンに負けてしまう事になり、本当に強姦という重大な犯罪を犯してしまうかもしれない事になります。

ですから、きちんと悔い改めて、罪を無くしていかなければなりません。

また、強姦の映像の後には、性に積極的な女性から行為を受けるという映像が流れました。

これも、強姦と同じく、私の中に残っている罪という事になります。

平素から考えている様な思いではありませんが、深層心理の中にその様な汚い願望があるという事を神様が教えて下さいました。

そして、ふとした時に、その願望が表に出て来てしまうのです。

そこを徹底的に直していかなければなりません。

そして、その様な深層心理が残っている事を実感する様な出来事が、昨日ありました。

私は、職場にいるパートのOさんが本気で好きだと、過去の記事で書いていますが、昨日が最後の出勤になり、Oさんとは10年以上に亘って一緒に仕事をして来ました。

Oさんには退職する事を一切伝えていなかった為、退職する旨とお世話になった挨拶をメールでお伝えしました。

Oさんは、私と会ってお話したいと返事がありましたが、私はキッパリとお断りしました。

私が会社を辞めたのは神様の為であり、Oさんと会う為ではありません。

人間的に見れば、Oさんと会ってお話する事は問題無い事ですが、私たち義人は霊的な戦争をしている真っ最中です。

ですから、のこのことOさんに会っていたとしたら、私はサタンの格好の餌食となります。

また、これまでOさんとはプライベートでお会いした事は一度もありません。

全て会社の中だけです。

会社に出勤しなくなった以上、Oさんとお会いするという事は、プライベートで会う事になります。

もし、Oさんとプライベートで会っていたのなら、先程申し上げた私の深層心理にある罪をサタンが掴んで、実際にその行動を取っていたかもしれないのです。

その場合、私が不幸になるだけでなく、Oさんの人生をも破壊してしまう事になります。

Oさんは、人間的にお会いしてお話したいと連絡してくれましたが、その背後にはサタンがいたものと思います。

私はOさんが好きですから、その様に言われた時、人間的な考えであれば、すぐにお会いしていたものと思います。

ですが、神様の為に会社を辞めたのに、Oさんとお会いする事は、神様が喜ばれる事ではありませんので、Oさんには少々冷たく感じられてしまったかもしれませんが、Oさんを守る為にも、私は自分を捨ててOさんと会う事をキッパリと断り、神様の為に生きる道を選択しました。

この様に、大きな決断をした後も、サタンは私の弱点・欠点を付いて、神様の御心を成す事を妨害しようとして来ます。

これこそが、霊的な戦争であるという証拠そのものです。

私の上司やOさんにサタンが入り、神様の御心の道へ行かない様にと妨害しているのです。

ですから、決して油断してはいけません。

しかし、かと言ってサタンを恐れる必要はありません。

何故なら、聖書で最も重要な掟をきちんと守る事で、サタンの誘惑、妨害に打ち勝つ事が出来るのです。

男を篭絡させる手段として、イルミナティがよく使う手口がハニートラップです。

イルミナティがよく使うという事は、男にとっての最大の弱点・欠点はやはり女性という事になります。

そして、私の身の周りには、私の好みにドストライクな女性が何人もいます。

職場で10年以上仕事をして来たOさん、妻の親友、同じアパートの奥様方など、振り返ってみますと、私は常にハニートラップに晒されて生きてきた事になります。

Oさんは、よく私の真横に来ては、仕事の事を良く聞いて来られていましたし、妻と妻の親友とは一緒に旅行にいっては、妻の親友と二人にきりになった事もあれば、三人同じ部屋で寝泊まりした事もありました。

情欲の目、情欲の心の罪は犯していましたが、実際に行為をして犯した事はありませんし、強姦という罪の根が出て来た訳でもありません。

その当時は、自分自身の深層心理に強姦という罪の根がある事すら知りませんでしたし、その様な行為が許される訳ではない事は、もちろん理性では分かっている事です。

しかし、情欲の目、情欲の心が湧いて来るのも、私の深層心理に強姦したいという罪の根があるからと考えられます。

そして、私が恥も外聞も無く、強姦したいという罪がある事を記事にしている事もまた、意味がある事なのです。

私の深層心理に強姦したいという罪があるという事は、恐らく世の男性のほぼ全ての人の深層心理に強姦したいという罪がある事を示していると言えます。

その証拠として、実際に強姦事件が日本だけでなく、世界中のあらゆる所で発生しています。

心の中にその罪があるからこそ、その罪をサタンが利用して、強姦事件が発生しているのです。

男が完全に救われる為には、男の深層心理にある強姦したいという罪の根を悔い改めて、完全に無くしていかなければなりません。

私は、自身の深層心理に強姦したいという罪がある事を知り、いささかショックを受けた訳ですが、自分自身に湧き起こる情欲の罪を考えた時に、その様な思いがあるからこそ無くならないのだと、素直に認めて、その罪が完全に無くなるまで悔い改めて参ります。

罪の悔い改めは、犯した罪が芽となって出てくる訳ですが、芽が出て来た事に気付いてすぐに摘み取ったしても、罪の根まではすぐに摘み取る事も出来ず、ましてや完全に除去するには長い時間がかかります。

それこそ、死ぬまで悔い改め続けていく事で無くなるというレベルかもしれません。

ですが、決して諦める事なく、根気よく罪を悔い改めていく事で、罪を完全に無くしていけると私は信じています。

神様と共にしていくならば、不可能な事はありません。

罪を無くそうとしない限り、罪が無くなる事はありません。

ですから、男の深層心理に強姦したいという罪がある事を素直に認められない人は、情欲の罪が無くなる事は無いと思います。

私は男ですから、男の人を救う為に、自分自身の恥も外聞も捨てて、この記事を書いています。

私はブログに顔写真を基にした顔を晒していますので、地元豊橋市の人は、私の事を見かけた事があるかもしれません。

仮に、あいつは心の奥底に強姦したい欲を持っている男だと、後ろ指を指されたとしても致し方の無い事です。

神様がご指摘される以上は、私の心の奥底に強姦したいという欲がある事は事実ですから、言い訳をするつもりもありません。

そして、私がこの事を記事にする事で、世の男性の一人でも多くの方の霊が救われるのであれば、神様が喜ばれる事ですので、私にとっても喜ばしい事なのです。

それに、私が後ろ指を指される事くらいは、イエス様の苦痛に比べたら取るに足らないちっぽけな事です。

私の職場にいた庭師のおじいちゃんは、イエス様が十字架に磔にされた事に対して、「何故その様に殺されたのか?」と、私に聞いて来られた事があります。

それは、私たち全人類の為に、イエス様は自分の命を捨てたのです。

私は、恥も外聞も捨てるという自分を捨てました。

でも、命までは捨てていません。

この違いを見比べた時に、私が捨てている物が如何にちっぽけな事であるかが、ご理解頂けるかと思います。

日本人は、イルミナティによる洗脳教育の結果、イエス様がなぜ十字架に磔になったのかを知らない方がほとんどですし、私自身も全く知りませんでした。

そして、イエス様が十字架に磔になったのは、何か犯罪を犯したからだと思っている方も中には見えます。

更には、十字架に磔にされたイエス様の事を揶揄したり、誹謗中傷したり、嘲笑ったりしている方も見受けられます。

この事は、「オレたちひょうきん族」のコーナーである、「ひょうきん懺悔室」というコーナーが、その最たる例と言えます。

私は、御言葉を学び、信仰生活をしていく中で、信仰生活をしていけばいくほどに、イエス様の次元の高さを目の当たりにする事となり、とてもではないですが、口が裂けてもイエス様の事を悪く言う事は出来ません。

(イエス様が十字架に磔になった詳細については、御言葉で詳しく教えて下さっています。私が間違えてお伝えしてしまう訳には参りませんので、こちらの記事で詳細を書く事は控えさせて頂きます。詳細を知りたい方は、下記リンクのRAPTブログ有料記事をご購読下さい。)

十字架に磔にされる事を想像して見て頂ければ分かりますが、十字架に磔にされる事は、両手、お腹、足に釘を使って十字架に打ち付けられます。

そして、十字架が立てられる時には、全体重が釘に打ち付けられた所に掛かります。

それがどれ程の苦痛であるか考えてみて下さい。

そして、十字架から降ろされるのは絶命した時です。

十字架の刑は、打ち付けた釘の部分から少しずつ出血して死に至ると言う失血死です。

イエス様は、この苦痛を全て耐え抜き、神様を愛する事を貫き通された御方です。

イエス様を揶揄したり、誹謗中傷したり、嘲笑ったりする行為をしている方は、イエス様と同じ苦痛を耐えられる自信があるのでしょうか?

この事実を知った今、誰もイエス様の事を揶揄したり、誹謗中傷したり、嘲笑ったりする事は出来ないはずです。

出来るのは、オレたちひょうきん族に出ている様なイルミナティくらいのものです。

純粋な日本人であれば、イエス様の凄さに驚かれる事と思いますし、イエス様の事を尊敬する事と思います。

私は、イエス様と同じ苦痛を耐えられる様な人間ではありません。

それが出来るのは、今現在の世の中では、時代の中心者RAPTさんだけです。

私には不可能です。

恐らく、ものの五分程度で信仰が破壊されるレベルに過ぎません。

ですから、イエス様の次元の凄さは、私たちの想像を遥かに絶する程に高い次元なのです。

この事も、分かる人にだけ分かって頂ければよいと、私は思っています。

何故なら、分からない人にいくら説明した所で、理解出来ないからです。

無理して分かってもらおうとは思いませんが、イエス様の事を悪く言う者は、神様から裁かれる事になる事は、言うまでもありません。

イエス様の事を悪く言う者は、イエス様が受けた苦痛と同じ苦痛を受ける事になります。

そして、その苦痛に耐えられる人は、時代の中心者RAPTさんを除いては、この世に誰もいません。

ですから、イエス様と同じ苦痛を受けた人は、余りの苦痛に気が狂い、精神が崩壊し、最終的には自殺の道を選ぶ人もいる事でしょう。

そして、ひょうきん族を始めとした意図的に神様の反逆行為を行っている者達もまた、神様の恐ろしい裁きが下される事になります。

全て、行った通りの事が報いとして帰ってきます。

ですから、もし過去にイエス様の事を悪く言っていたと、心に思う方がいらっしゃる場合には、その行いを素直に認めて悔い改めなければなりません。

悔い改めない限り、神様の裁きが終わる事はありません。

そして、先程の男の深層心理に強姦したいという罪があるとお話しましたが、この記事をご覧になっている女性は、男性の深層心理に強姦したいという罪がある事を知らなければなりません。

また、女性自身も性的な欲求を求める罪の根が、男性と同様にあるはずです。

この事は、覚醒剤による性行為で、男よりも女性の方がたちが悪いと、元警察官のK顧問から聞いた事があります。

ご参考までに、下記リンクの記事もご覧ください。

つまり、女性も男性同様に、その深層心理に情欲に関する深い罪の根がある事を示しています。

異性に目を惹かれてしまう事自体は、悪い事では無く、むしろ本能的な部分ですので、誰もが持っている性質です。

しかし、その情欲が時に神様よりも優先してしまう為に、罪となるのです。

ですから、神様より優先してしまっている罪を、全て悔い改めていかなければなりません。

そして、私が悔い改めなければならない罪がある事を、本日の2021年11月7日の御言葉を学んでいた所、御言葉の最後の辺りで、神様がある霊感を通して教えて下さいました。

その霊感というのが、トラックを運転している映像でした。

その映像を見て、私が悔い改めるべき罪だと分かりました。

私は、過去の記事の多くで、乗り物が好きで、あらゆる乗り物を運転してみたいという思いがある事を何度か書いています。

その乗り物を運転してみたいという私個人の欲が、時に神様より優先してしまっていたのだという事を悟りました。

神様は悔い改めるべき罪が何なのかを分かってもらおうと、既にサインを送っていらっしゃるとの事で、トラックを運転している映像を見た時に、これまでの事を振り返りました。

まず、妻の妹の旦那さんがトラックの運転手をしています。

そして、私が通勤している道にはトラックが多く、横にトラックが停まる度に、私はトラックの方を見ていました。

タイヤを見たり、トレーラーの連結部分を見たり、トラックが積んでいる荷物を見たりもしていました。

これらを見ていたのも、自分がもし運転する事になったらという想像をしながら見ていました。

つまり、運転してみたいという欲求が無意識に行動に現われていた事になります。

この事は、トラックだけではありません。

ビッグスクーターや電車、新幹線、リニアモーターカー、飛行機、戦闘機、ヘリコプター、漁船、クルーザー、タンカー、潜水艦、空母など、ありとあらゆる乗り物に興味があっては、運転してみたいという思いが心の中にありました。

そして、その思いを24時間抱いている訳ではなく、スポット的に表に出てくる為に、自分では神様より優先していないと思っていたのです。

しかし、これらの事が目の前で現実のものとなった時には、乗り物を運転したいという欲求が前面に出て来てしまうものと思います。

ですから、これらの思いは全て自分がしたい事でありますので、自分を愛する事に繋がります。

つまり、自分のしたい事を第一にしてしまう事は、自分中心の罪に該当します。

この事を、神様は御言葉の中で、霊感を通して教えて下さいました。

強姦したいという罪の考え、あらゆる乗り物を運転したいという罪の考えを全て悔い改め、根深い罪の根を完全に取り除いていく事が出来ます様に、引き続き努力して参ります。

今回の記事を通して、一人でも多くの方の救いへと導かれます事を心からお祈り致します。

日常生活の細かい所で、サタンが罠を仕掛けています。

平素から熱心に義の条件を立て、義人の一人ひとりが神様からの力と権能を授かり、この地上の神となって、救いの歴史をどこまでも大きく壮大に成していく事が出来ます様に心からお祈り致します。

全ては条件代価です。

やればやった分だけ祝福されます。

やらなければ、何の祝福もありません。

平素の信仰が露わとなります。

神様が喜んで下さる様に、平素から熱心に義の条件を立てて下さる人になって下さいます事を心からお祈り致します。

心から感謝を込めて。

HAJIME