サタン的な思考にまみれていた私でさえも神様の思考へと変えて下さった神様の御言葉。

こんにちは。

HAJIMEです。

いつも当ブログの記事をお読み頂きありがとうございます。

今回は、サタン的な思考にまみれていた私でさえも、RAPTさんの宣布して下さる御言葉によって、神様の思考へと変えて下さいました自身の経験についてを書いていきたいと思います。

私は、RAPTブログに出会ってから有料記事を購入するまでに、約3年4ヶ月もの時間が掛かってしまっておりました。

その事は、こちらの記事で詳しくお伝えさせて頂いております。

それだけ、私の洗脳が深かったという事が今ではよく分かりますが、当時はそれが普通と言うか当たり前の感覚でした。

洗脳されていた時というのは、洗脳されている事に気付いていない訳ですから当然です。

そして、私のTwitterとInstagramのユーザー名やアカウント名を見て頂ければ分かる事ですが、自分の名前のアナグラムになっています。

HAJIME ➡ emijah ➡ emija

emijahからhを取ったものをユーザー名やアカウント名として、登録をしてしまっておりました。

神様を信じている事を記事にしておきながら、TwitterやInstagramのユーザー名、アカウント名は自分の名前のアナグラムじゃないかと疑問に思った方も多数いらっしゃるかと思います。

その疑問は正しいです。

ではなぜ、その様な行動を取ってしまったのかという事を、全てを有りのままに包み隠さず、今回の記事でご説明させて頂きたいと考えております。

信仰を持つ前の私は、それこそ幼少の頃からゲームばかりをして生きてきました。

ファミコン・スーパーファミコン・プレイステーション(初代・2・3)・セガサターン・ゲームボーイ・ニンテンドー64・ニンテンドー3DS・PSP・MMORPG・スマホゲームなど、実に様々なゲームばかりやっていました。

それこそ信仰を持つ時までスマホゲームを行っていたほどです。

そして、ゲームというものは、人間が神様に意識が向かない様にサタンが作った物であるという事が今となっては良く分かります。

私と同年代の方は分かるかもしれませんが、私が中学、高校の頃にハマったゲームの一つに「ゼノギアス」というゲームがあります。

信仰を持ち、御言葉を学び、聖書を何回も読んでいる今だからこそ分かりますが、実にサタン的な要素が多数盛り込まれているゲームになります。

私は不思議とこの「ゼノギアス」にハマり、ストーリーなども事細かに把握する程に極め尽くしていました。

今だからこそ分かりますが、この「ゼノギアス」は聖書の言葉や世界観をサタン的な思考へと捻じ曲げて引用している節が多々見受けられます。

私が不思議とハマってしまったのも、それが原因なのかもしれません。

初めて聖書を通読した時に「ゼノギアス」の事を思い出した位です。

それぐらい「ゼノギアス」にハマっていた私は、ゲームをすればする程にサタン的な思考へとどんどん洗脳されていきました。

そして、「ゼノギアス」をやった事がある方は分かるかと思いますが、ソラリス編でエリィが、自身の父親のIDアカウントを使って、軍のデータベースにアクセスするシーンで、パスワードの入力をするシーンがあります。

そのパスワードが娘の正式名である、「Elehayym」を逆から入力するというアナグラムが盛り込まれていました。

そして、よくゲームをされる方はご存知かと思いますが、ゲームを行うにあたって、まず初めにキャラクターに名前を付けたりする初期設定があります。

色々なゲームをやっていると段々と面倒くさくなってきて、年を重ねていく内に自分の名前を使うのも恥ずかしくなり、この「ゼノギアス」で出てきた自分の名前を逆にする方法を思い出しては、自分の名前の意味もあるからちょうどいいと思い、アナグラムという事を知らないまま様々なゲームで使っていました。

自身の名前を逆にして使い出したのは、単純にそれが理由です。

そして、今こうして振り返ってみますと、洗脳というのは本当に恐ろしいと思います。

何も知らずに神様への反逆となる行為をしてしまっていたのですから、それに一度という訳ではなく、長年に渡って何度もその様な行動を取り続けてきてしまっていたのです。

確かにアナグラムという事を知りませんでしたが、知らないという事も「無知」という罪です。

意図的でなかったとしても罪は罪です。

そして、RAPTブログにてRAPT理論を学んでいく中で、サタンが行った悪魔の印として、アナグラム等を使用しているという事を知り始めました。

しかし、当時の私は、深く考えておらず、ただの文字遊びという程度の認識で考えていました。

信仰を持って、RAPTさんの宣布して下さっている御言葉を学んでいく内に、サタンがなぜその様な行動を取っているのかという事も教えて下さり、サタンを本気で拝んでいるイルミナティの思考や行動についても理解していける様になっていきました。

しかしながら、自分の行動については気付いていなかったのです。

世の中で悪事の限りを尽くしているイルミナティの事をひどい奴らだと思う一方で、自分の取ってきた行動について省みる事を怠ったのです。

故に、自分の目の中にある丸太に気付く事もなく、ずるずると時を重ねてきてしまったのです。

そして、その事に気付いたのが十二弟子申請のメールを送ろうと決意した時です。

その時に、ハッとしました。

申請時に自分の名前やTwitter、Instagramのユーザー名、アカウント名を送る訳ですが、自分の名前を逆にしたアナグラムだという事が普通にバレます。

そこで更に、自ら工作員と疑われる様な名前になっていたという事に気付きました。

サタン的な思考に洗脳され、その思考の下に行動してきた訳ですから、意図していようが意図していまいが、サタンと同じです。

でも、下手な言い訳をしても仕方ありませんし、隠そうとしたなら余計に怪しまれますし、その様な行動を取る事こそ工作員です。

それに、私ごときがその様な事をしたとしても、偉大な神様と偉大な神様の力を受けていらっしゃるRAPTさんに通用する訳がありません。

それこそ一瞬でバレます。

なぜなら、隠れたものであらわにならないものはないからです。

ですから、私はきちんと隠すことなく正直に送信させて頂きました。

そして、いざ十二弟子申請のメールを書こうとした時に、突然顔全体が目頭と鼻の辺を中心にものすごく熱くなり、涙が溢れて止まらなくなり、こぼれる涙を拭いながらメールを書いて送信しました。

過去の御言葉で、十二弟子申請のメールを本当の信者がすぐに送ってこない事に、主が心情を痛めていらっしゃるという事を知った私は、そのチャンスがあればすぐにでも申請したいと考えていました。

その様な思いが湧いたのも、2018年5月21日の御言葉の中で、「主は全部見ていらっしゃいますから」の一言にとても感動し、涙が溢れて止まりませんでした。

ですから、例え十二弟子になれなかったとしても、何かしらで神様のお役に立ちたいと思った次第です。

しかしながら、その当時はまだ御言葉もろくに学んでいない中で、恐れを知らなかったが故の行動でもありました。

(この記事を書いている今現在(2021年6月12日)も、全ての御言葉はまだ聞けていませんし、御言葉の復習も全くもって不十分な状態です。)

そして、実際に送信させて頂いた十二弟子申請のメール内容についても、何も悟れておらず、非常に高慢で傲慢な内容で勘違いも甚だしく、RAPTさんの心情を痛めてしまうメールを送信してしまっていたものと思われます。

大変お恥ずかしい事では御座いますが、誰のせいでもなく自分自身が行った事ですから、全てを受け入れて悔い改めるしかありません。

その上で、主の御心をより壮大に成す為に完全を目指して常に努力し、成長し続けていかなければなりません。

そして遂に、サタン的な思考、アナグラム、傲慢、高慢が甚だしかった私は裁きを受けます。

当然の事です。

実は、2020年の11月11日の祝祭の日に、なぜかは分かりませんが、私は自分の名前と同じ鰻屋さんで食事をしました。(今思えば主のお導きに違いありません。)

Instagramにもありますが、この11月11日の時に、私はその鰻屋さんの写真を載せるのをためらい、載せずにInstagramを投稿しました。

兄弟姉妹の皆様方にもアナグラムであとバレる事を恐れたからです。

兄弟姉妹の方に対して、あろう事か隠し事をした訳です。

つまり、プライドの高さ故に自分中心の罪を犯しました。

その様なサタン的な考え行動を神様が見逃すはずはありません。

そして、私は自分中心に陥り、アナグラムの事を打ち明けるタイミングを逃してしまう結果となりました。

そして、裁きの時が訪れます。

工作員hanaのtweetの件でいいねを押し、裁かれました。

先生の件につきましては御言葉を通して知りましたので、そんな事まであったのかと驚きました。

そして、裁きが訪れたのは明け方の歩き祈りの時です。

当時は、田んぼの道を歩いて明け方のお祈りを捧げていた所、3時半か4時頃だったと思いますが、カブに乗られている新聞配達の方が私の横を通り過ぎる時に起こりました。

聖霊の恵みが一瞬で消え去り、急激に体全体が冷えこみ、恐怖と不安と絶望、そして孤独感が一気に押し寄せてきました。

一瞬何が起きたか分からず、とまどいました。

正に、天国から地獄へと突き落とされたかの様で、その時に私はサタンに引き渡されたんだなと強く感じました。

顔から生気が抜け、恐怖と不安と絶望、孤独感に苛まれる中で、この先どうしていけばいいのかとばかり考え、心配、悩みが尽かないような状況に陥りました。

日中でも体全体が常に冷え込み、特に足の冷えがひどく、心も落ち着かないような状況でした。

でも、その様な状況でも、私は信仰から離れたくないと思い、本当に必死で神様に縋りつきました。

神様から手を離したら終わると思って、もう藁をも掴む思いで必死に縋りつきました。

もう死んでしまうと思った程ですから、仕事中だろうが何だろうが関係なく、とにかく心の中でずっと神様を呼び求め、悔い改め続けました。

そんな状況でしたから、信仰を持っていない妻でさえも、生気も無く、ひどく憔悴しきった私を見て、何かあったの?と聞いてくる程でした。

正に地獄のような体験をしました。

そして、必死で縋り付いて悔い改め始めた2日目くらいに、日中でしたが突然体の中からフッと何かが離れていくのを感じました。

その時、私は一瞬気を失った様な感覚がありました。

3日目くらいにも体の中からフッと同じように何かが離れていきました。

合計で3回位だったと思いますが、何かが離れていくのを感じる度に、少しずつ心に平安を取り戻してきて楽になっていきました。

離れていったのが何かは分かりませんが、状況的に考えると私の中に入っていたサタンだったんじゃないかと思います。

そして、私はどこからかずれていたのではないかと考え、もう一度初めから、本当に一からやり直そうと思い、2016年10月の有料記事107を復習しました。

こちらの記事の御言葉の中に答えがありました。

私は、小さな事に忠実ではなかったのです。

その事に気付いた私は、最初からずっとずれていたんだと気付き、ものすごいショックを受けました。

しかしながら、サタン的な思考にまみれ、深く洗脳された状態でしたから当然と言えば当然です。

でも、当時はこの御言葉を悟れずに、自分は出来ていると驕り高ぶり傲慢、高慢になっていたのもまた事実なのです。

これらの事を悟った私は神様のお導きに感動し、感謝で涙が溢れ、涙が止まりませんでした。

それからは、小さな事に忠実であろうと毎日明け方のお祈りの度に、御言葉の中で得た答えを実践出来るようにと悔い改めのお祈りをさせて頂いております。

また、この裁きを通して、自分自身の弱点と欠点についても神様は露わにして下さり、悔い改めへとお導き下さいました。

というのも、2020年12月25日(金)に、私は仕事が終わった後に東京へと向かい、東京都庁にて明け方(実際には2021年12月26日)のお祈りをさせて頂きました。

都庁に行くのは初めてでしたので、近くのビジネスホテルを予約してチェックイン後、1時~4時半頃まで都庁にてお祈りをさせて頂きました。

土地勘が分からず、都庁の周辺をくまなく歩きながらお祈りをしておりますと、道行く人が皆私の方をジロジロと見て行くので、私が人一倍大きいし田舎者だから見られているのかなぁと思い、あまり気にせずにいました。

しかし、余りにもジロジロと見られてしまうので、自分は何もしていないのにと思い、次第にイライラしてきてしまい、怒りのあまりケンカ口調で声をかけてしまった方もいます。

そして、そのような怒りがピークの時に、ちょうど周りを見渡した時に、建物の陰に何か隠れている様な人がいたので、遠目から見られているんじゃないかと勘違いをし、威嚇する様にわざと近くを通りました。

(大変お恥ずかしい話ですが、実際にその方は隠れていた訳ではなく、ただ単に私が怒りのあまり、そのように見えてしまっていただけです。その方は何も悪くありません。)

その後少しして、その方から声を掛けられます。

その方は女性でした。

そして、「創価?」と聞かれました。

その後、「ここで、この時間に何してるの?」とも聞かれました。

世の人にお祈りの事を話すべきかどうかと、返答を考えていると、その方が何か霊感を受けたのか「お祈り?」と聞かれ、私は「はい。」と答えました。

都庁が初めてでしたので、少しお話をさせて頂いた所、金曜日は兄弟姉妹の方が皆さんお祈りに見えていますよと、教えて下さいました。

そして、私の事を創価だと疑った事を謝罪し、女性の方はその場を後にされました。

その後私は、4時半まで都庁でお祈りをさせて頂き、東京で買い物をして愛知県に戻って参りました。

そして、この時の出来事につきましても、裁きの後に、小さな事に忠実でなかったが為に信仰がすれていたんだと悟りました。

私が都庁でジロジロと見られてしまっていたのも、結局は私自身の信仰のずれ、小さな事に忠実でなかったが為に、波長が悪かったからではないかと思われます。

当時は恵みを受けていたのかどうかすら分からない状況でしたが、今振り返って考えてみますと裁かれていたという事が分かります。

つまり、私の弱点と欠点である、プライドの高さ、気短かな怒り、すぐに驕り高ぶり人を見下す傲慢、高慢の罪、自分中心の考え、これらが全て露わとなりました。

その事を悟った私は、都庁でとんでもない罪を犯してしまったいた事に気付きました。

私の信仰のずれ、波長の悪さ故に、都庁でお祈りに見えていらっしゃった兄弟姉妹の皆様方のお祈りを意図せず妨げ妨害してしまっていたという事に気付きました。

更には、気短かな怒りを発して、ケンカ口調で声をかけてしまった男性の方、そして威嚇の意味で近くを通ってしまった姉妹の方のお祈りを妨げ、妨害してしまうという罪を犯しました。

男性の方は自転車に乗られておりましたが、特にお話をしていませんので、兄弟の方かどうかは分かりません。

そして更に、姉妹の方は私の行動が悪かったにも関わらず、私の事を創価と疑った事に対して謝罪をして下さいました。

にも関わらず、私はお祈りを妨げた事についての謝罪をしていなかった事に、後になって気付いたのです。

何ともお恥ずかしい限りです。

本当に申し訳ありませんでした。

そして、都庁でお会いした女性の方は、本当の信者の方だと私は思います。

なぜなら、人一倍大きな私に、しかも明け方の深夜の時間に、1対1で面と向かって人を恐れる事無く行動されていたからです。

そして、今思い返すと私に声を掛ける前に、姉妹の方が主にお祈りされていたのを私は見ていました。

人に頼るのではなく主に頼り、人を恐れる事無く行動されていた姉妹の方は、御言葉に忠実な方だったんだと私は悟りました。

その様に、御言葉に忠実な方の行動を思い返してみますと、とても美しく見えますし、尊敬します。

更に、今こうして振り返ってみますと、私が姉妹の方のお祈りを妨げ妨害してしまう様な行いを通して、姉妹の方に対する主からの練達だったのかもしれません。

その様に考えますと、主の御心の深さは、とても私たち人間の頭では計り知る事など到底出来ません。

主の深い御心に感謝致します。

これらの事を悟った私は、都庁でお会いしました姉妹の方に、またお会いして直接謝罪する事が出来ます様にとお祈りをさせて頂いておりますので、私がきちんと主の御言葉に従順に従い、義の条件を立て、主の御心を成していき、かつ主の御心に叶いますならば、必ずや叶えられるものと私は信じております。

この様に、私は御言葉を悟れていなかったが為に、数多くの罪を犯し、かつ兄弟姉妹の皆様方にも大変なご迷惑をお掛けしてしまっておりました。

そして、主の裁きを通して、私の間違っている所を様々な体験を通して気付かせて下さり、かつ正しい道へと修正して下さいました。

それこそ、サタン的な思考にまみれ、ある意味マイナスからのスタートであった私でさえも、神様の思考へと変えて下さるように御言葉を通して豊かに教えて下さり、更に裁きを通して正しい道へと修正して下さり、悔い改めへとお導き下さいました。

その事を悟った時、私はもう感謝するしかありませんでした。

神様の愛の広さ、長さ、深さ、高さは本当に計り知れません。

そして、この様にお導き下さり、成長させて下さった事に感謝し、神様に恩返ししなければと心に強く思いました。

今の私にすぐ大きな事が出来る訳ではありませんが、今出来る事を最大限に行い、神様への愛と感謝を持ってたくさんの恩返しさせて頂ける者となれますように、これからも引き続き努力して上を目指し、日々もがいていきたいと思います。

私のこれらの経験がお役に立つかどうかは分かりませんが、なかなか悟れなかったり、自分はやっているのにと心に思う方がいらっしゃいましたら、もしかしたら、かつての私の様に小さな事に忠実でない可能性が考えられます。

また、最初からサタンの考えにどっぷりとまみれていた私は、兄弟姉妹の皆様方の中でも最も底辺な者です。

ですから、私ごときが偉そうに申し上げるべき事ではないと思いますが、今を悩まれていらっしゃる兄弟姉妹の方のお役に立てれば幸いです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HAJIME