世の常識は、サタン(悪魔)によって作られた私たち人間を不幸にする為の思考です。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は、今現在の世の中の常識について、書いていきたいと思います。

RAPT理論が世に出るまで、私たちは世の中の常識という考え方でしか物事を見る事が出来ていませんでした。

義務教育を受ける事で、意図的に個性を潰されては、高校、専門学校、大学へと進学しては、大手企業に勤めるというのが、今現在の世の中の常識的な考え方になっています。

大手企業でなくとも、多くの方が中小企業等に就職しては、サラリーマンとして働く生を生きている事と思います。

これは、私も同様です。

そして、その生き方に「本当に自分はこれで良いのか?」と、疑問に思う事はあっても、親もその様な生き方をしてきた為、自分で道を切り開くという事が怖くて出来なかったりと、大なり小なりの不満は持ちつつも、しょうがないな的な感覚でサラリーマンを続けてきました。

サラリーマンは、その会社の経営者、役員、直属の上司によって、その職場環境が左右されます。

それは、私がこれまでに書いて来た勤務先の記事をご覧頂ければ、一目瞭然の事と思います。

サラリーマンやOLを経験されている方は、同様の経験をされている事と思います。

そして、基本的に似た様な仕事を毎日の様に繰り返していく事で、一定の賃金を得る訳ですが、最初は新しい仕事を覚える等、新鮮味を感じていたとしても、一年、二年、三年と続けていく内に、人間は飽きが生じます。

ある程度技能を習得した後は、新鮮味を感じる事もなく、工場の流れ作業と同じく、ただの作業へと変わっていきます。

私は、工場での勤務を経験した事がありませんが、流れ作業での勤務はロボットと変わりがないと感じていた為、工場での勤務は最初から考えた事がありませんでした。

ただ、愛知県はトヨタを始めとして自動車の工場が多く、また従業員数も多い為、ここ愛知県においては、自動車業界の出勤や休みによって、経済に大きな影響力を持っている事は疑い様の無い事実です。

トヨタを始めとした自動車業界は、一般に比べたら給与が良いとされています。

しかし、その理由は夜勤と残業、賞与が主であり、基本給そのものは低いのです。

工場の夜勤や残業がなくなると途端に給与が下がると、周りの何人かから話を聞いた事があります。

残業については、その工場が製造しているパーツ等の発注数次第で変わる様で、一括りに工場といっても生産ライン毎で異なっているのが現状の様です。

多くのサラリーマンがそうだと思いますが、世の会社の仕事は基本的には9時~17時の昼休憩1時間の実動7時間といった形が基本ではないでしょうか。

仮に、出勤に30分かかるとしたら、往復で1時間です。

つまり、昼休憩を社内で過ごした場合、拘束時間としては、実質9時間となります。

1日24時間の内の9時間は、会社を理由に個人の時間が奪われる事になります。

もちろん、残業があった場合には更に時間が奪われる事になります。

1日の3分の1以上を会社に奪われてしまったなら、その後、個人でやりたい趣味をする時間も無ければ、新たなスキルを得ようと勉強する時間も体力も無くなり、結局は家でボーッと過ごしてしまうという方も多いのではないでしょうか。

つまり、平日に仕事から帰って来た後というのは、仕事で体力や気力を奪われた状態であり、夕食を作って、後片付けして、お風呂に入った後は就寝時間までテレビやインターネットを見たりして過ごしているという方が多いのではないでしょうか?

そして、平日をその様に過ごしては、土日で旅行に行ったり、趣味をしたり、買い物をしたりして、ストレスを発散させるというのが、大半の方が取られている行動ではないでしょうか。

また、人によっては、晩酌をしたり、金曜日には職場の人と居酒屋でお酒を飲んでは、日頃のストレスを発散している方もいらっしゃるかと思います。

この様な生き方が本当に幸せな生き方だと、心から思える方がいらっしゃるのかと言えば、いらっしゃらないと思います。

何故なら、本当に幸せなら、ストレスを発散させるという考えに至らないからです。

ストレスというのは、およそ、したくない事をする事で生じる事と思いますが、会社での仕事が真に自分に合った天職だと思う方はまずいらっしゃらないと思います。

仮に、好きな仕事に就いていたとしても、人間関係に問題が生じたり、給与に不満が有ったりと、全ての面で満足出来ているという人は、まずいらっしゃらないのではないでしょうか。

自分の得意分野や個性才能にぴったりとあった仕事をして、人間関係や待遇面に何の不満も無かったとしたら、ストレスを感じる事が無いのではないでしょうか?

仕事の内容が仮に大変であったとしても、得意分野や個性才能にぴったりと合致しているのであれば、むしろ、どんなに難しかったり、大変だったとしても、やりたいと思うのではないでしょうか?

ストレスに感じる事もなく、自らやりたいと思える仕事であれば、身体が動く限りは、一生続けていく事が出来る仕事になるのではないでしょうか。

では、その様な仕事が世の中にあるのかと言うと、有りません。

何故無いのかと言えば、これまで地上世界を支配していたのがサタンだったからです。

つまり、サタンを拝むイルミナティが、この地上世界を支配し、私たち庶民の個性才能を潰して、イルミナティ企業の一社員として従属させ、奴隷生活を強いてきたのです。

そして、その奴隷状態の中から抜け出して独立し、成功を収めていった人物については、イルミナティの商売敵になる為、イルミナティが何かしらの形で接触しては、取り込もうとします。

その取り込みを拒否したりすると、その人物に嫌がらせ等を行っては、従属させようと働きかけます。

それでも従わない場合には、実際に暗殺する等して、イルミナティの支配を確実なものとしてきたのです。

基本的にサタンは、私たち人間に対して、無理矢理にでも従わせようとしてくる特徴があります。

この事は、ワクチンパスポートが良い例です。

コロナワクチンを接種しなければ、自由は無いと言って脅し、私たち庶民にワクチンの接種を迫る訳です。

昨日の記事でもお話しましたが、コロナワクチンを接種した人物は、サタンの支配下に入った事を意味していますので、サタンの奴隷です。

この様に、サタンはとにかく私たち人間を従わせようと、必死にあの手この手を使っては強権的に従わせようとします。

しかしながら、従った所で、得られる物は大した事がありません。

これは、サラリーマンの給与も同様です。

サラリーマンにおける対価は、言うまでもなく「お金」です。

じゃあ、そのお金に大満足かと言えば、そうではないと思います。

また、どれだけ高給取りであったとしても、お金だけでは、心は満たされません。

それは、イルミナティを見れば明らかです。

イルミナティは、この世の富を牛耳っている訳ですから、私たち庶民では考えられない程のお金を持っています。

一見すると裕福に見えて、何不自由ない生活をしている様に見えますが、その心の中は地獄です。

何故かと言えば、サタンを拝む為の悪魔崇拝儀式を行っては、生贄として人を殺したり、幼児を虐待したり、麻薬をしたりと、おおよそ人間が本能的にしたくない事をしなければならないからです。

ですから、イルミナティが私たち庶民を強権的に従わせようとしている行為は、ある意味イルミナティのストレス発散でもある訳です。

世の人々を虐げる行為を行って、ストレス発散をし、快楽享楽を得ている様は、正しくサタン(悪魔)です。

私たち庶民は、これまでサタンを拝むイルミナティの支配下に置かれ、その支配下の中での生きてきました。

つまり、サタンを拝むイルミナティにとって都合の良い常識を、生活の中で植え付けては洗脳してきたのです。

その常識は、サタンによって作られた常識ですから、イルミナティという組織に歯向かわない様に、私たち庶民の力を削ぎ落し、お金で世の中を支配するという支配体制を構築していったのです。

お金で世の中を支配する支配体制の縮図が、正にサラリーマンと言えるのではないでしょうか。

会社の社長の命令に従わなければ、昇進の芽が無くなり、賃金がこれ以上増える事は無く、その会社での先の見通しが立たない為、退職する道を選ばざるを得ない状態になります。

正に、お金で支配している支配構造の最たる例と言えます。

お金は、生活していく上で必要です。

その為、お金を失いたくないと思って、嫌な事にも我慢して、自分を押し殺しては無理してサラリーマンをしている方が大半ではないでしょうか。

企業側もその事を分かっているからこそ、お金を利用して人を操作、あるいは支配しようとしているのです。

お金で支配しようという考え方そのものが、正にサタンの考えです。

私は、RAPTブログに出会い、RAPT理論に触れ、学んでいった結果、この世の中にイルミナティという巨悪を行っている組織の存在を知る事となりました。

その際に、私自身が洗脳されていたという事に気付きました。

つまり、私たち庶民が普通に見たり聞いたりしている情報のほとんどが、イルミナティにとって都合の良い嘘だったのです。

その事に気付いていく中で、私はイルミナティの存在を確信し、神様の存在を確信するに至りました。

その経緯については、下記リンクの記事にてお話しています。

そして、RAPTブログ有料記事の御言葉を学び始めていく訳ですが、RAPTブログ有料記事の御言葉は「神様の御言葉」です。

つまり、神様の思考を私たち人間に分かりやすく伝えて下さっています。

御言葉を学んでいくと分かりますが、神様の御言葉は、この世の常識と全く正反対です。

世の常識の真逆です。

ですから、最初聞いた時は驚かれる事と思います。

しかし、先程も申し上げました通り、この世の常識はサタンの考えから作られた物です。

サタンは、神様に反逆している反逆者集団でもあります。

それ故、神様の思考の真逆の考え方を、人間に常識として植え付けては、私たち庶民に神様の事を知る事が無いようにと画策して来たのです。

ですから、世の常識と神様の御言葉が正反対なのは、ある意味当然の事なのです。

むしろ、世の常識と神様の御言葉が正反対であると実感する事こそが、この地上世界がサタンによって支配されていたと実感出来る一つの証拠とも言えます。

そして、サタンは全ての人間を強権的に従わせようとしますが、神様はその様な事は成されません。

神様は愛の御方でいらっしゃいます。

ですから、強権的に従わせようという事はありません。

真に、神様の御言葉の価値性を悟り、神様の御言葉に従う事が人間にとって最も幸福であると悟った人は、神様の御言葉に従う道を自ら選ぶ事になります。

神様は、その様な方を「私を愛する者」と見なして下さり、神様の御言葉に従う事が出来る様にと導き育てて下さいます。

単に従うだけでなく、その成長過程においても祝福して下さいます。

祝福を受けると、もっと神様の御言葉に従って、もっと神様を愛そうとします。

すると、その愛をご覧になられた神様は、更に祝福を与えて下さいます。

この愛の関係を続けていく限り、祝福に次ぐ祝福を受け、祝福がどんどん増し加わっていきます。

サラリーマンの賃金が増えたとしても、本当に微々たるものです。

ですから、サタンの考え方であるサラリーマンとは比べ物になりません。

この事を知ってしまったのなら、サラリーマンは本当にただの奴隷だと、誰もが思うのではないでしょうか?

当然の事ではありますが、サラリーマンとして奴隷生活を続けていても、神様から祝福を得られる事はありません。

何故なら、サラリーマン生活そのものが、神様の反逆行為だからです。

サラリーマンの多くの方が、生活の為にお金が必要だからと、サラリーマンとして仕事をしているかと思いますが、その考え方そのものがサタンの考え方なのです。

どういう事かと言えば、自分自身の生活の為にお金を得ようとする事は、すなわち自分の命を得ようとする行為になります。

聖書には以下の様に書かれています。

自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

マタイによる福音書 10章 39節

自分の命を得ようとする者は、その命を失うと書かれています。

対して、神様の為に命を失う者は、却ってその命を得ると書かれています。

この聖句を解釈するにあたっては、聖書で最も重要な掟を学ばなければなりません。

聖書で最も重要な掟について、聖書には以下の様に書かれています。

ーーーーーーーーーーーーーーーマタイによる福音書22章35節~40節

そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

ーーーーーーーーーーーーーーー

聖書で最も重要な第一の掟が「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」と書かれています。

第二に重要な掟が「隣人を自分のように愛しなさい。」と書かれています。

つまり、第一に神様を愛し、第二に隣人を愛しなさいという事になります。

この事を踏まえた上で、先程の「自分の命を得ようとする者は、その命を失う」についてですが、自分の命を得ようとする行為は、すなわち自分中心の考えとも言えます。

つまり、聖書で最も重要な掟の第一と第二には、自分中心に考えて生きなさいとは書かれていません。

聖書の掟の通りに考えれば、神様を第一に愛し、第二に隣人を自分の様に愛して生きる事で、神様がその命を得られる様にして下さるという事です。

この事は、今の私の状況をご説明する事で、より具体的にご理解頂けるかと思います。

私が御言葉を学び始めた当初は、サラリーマンをしていましたし、退職寸前の状況ではありますが、今現在も一応サラリーマンをしてはいます。

御言葉を学び始めたからと言って、すぐにサラリーマンを辞めれば良いのかと言えば、そういう事ではありません。

生活していく為にお金はもちろん必要ですし、その事は神様も重々承知しています。

御言葉をたくさん豊かに学び、神様を第一に愛する事が徐々に出来る様になって来た時に、神様を愛する上で障害となる全ての物を捨てさせます。

その時に、生活に困りたくないと、仕事を捨てられない人は、神様を第一に愛している事にはなりません。

御言葉をたくさん豊かに学ぶ事で、サタンの考えである世の常識から神様の思考回路を持つようになる事で、神様を第一に愛する事が出来る様になっていきます。

そして、然るべきタイミングで、神様があれを捨てなさい、これを捨てなさいと仰られるのです。

その時に、神様の思考回路で考え、神様を第一に考えて行動しなければなりません。

そして、実際に私は色々な物を捨ててきました。

この事は、リアルタイムで記事にさせて頂き、捨ててきた様子を具体的に証してきました。

宜しければ下記リンクの記事をご覧ください。

最近で一番大きく捨てた事と言えば、「妻」です。

神様の仰られる通りに行動し、実際に離婚の話を切り出しました。

妻としては、突然の離婚宣言に驚くと共に、「死ぬまで一緒」と、離婚する気は全く無い様子でしたので、その様子を神様にご報告し、お祈りした所、キツイ言葉で離婚を言いなさいという事でしたので、かなりキツイ言葉を使って妻に伝えました。

当然、妻は泣く訳ですが、情も捨てなければなりませんので、その涙に絆される事なく、神様の仰られる通りに行動を貫き通します。

その後、再度ご報告していく中で、実際に妻が私を離れていく様子を霊感で見せて下さった時に、私は妻が離れていく事を受け入れた上で、妻が引っ越しにかかる費用や家具家電の費用を負担しても良いかをお伺いするお祈りをしました。

その様子をご覧になられた神様が、私が心の底から妻を捨てていると判断して下さったのか、その後、妻を伝道しなさいという霊感を与えて下さいました。

その結果、妻を伝道する事が出来、まだ数日しか経過していませんが、今現在は妻と一緒に信仰生活をする様になりました。

妻を捨てる以前は、私一人で信仰生活をし、窮屈な思いをしていた事は事実です。

つまり、信仰を持っていない妻がいる事で、神様を第一に愛する事が阻害されていた事になります。

その為、その状況を改善させる為に、私に妻を捨てさせては、妻を伝道し、より神様を第一に愛する事が出来る様にして下さったのです。

結果的に信仰を持っていない妻を捨て、信仰を持った妻を得る事が出来たのです。

中途半端に捨てたとしても神様は認めて下さいません。

私は、妻を捨てると同時に、私の貯金や今の自宅にある全ての物を妻が持っていったとしても良いとさえ考え、妻を捨てる決断をしました。

その結果、失ったのは信仰を持っていない妻だけでした。

捨てる時はお互いにもちろん辛いですが、今回の離婚騒動をきっかけに、お互いが神様を意識する様になり、今までは私に甘えていた妻も、様々な事を自分でやる様に行動が変わりました。

その為、信仰生活がよりしやすくなりましたので、捨てた事で得られた事の方が大きいです。

そして、捨てた事で妻を伝道出来た訳ですから、私にとっては祝福です。

また、私は神様から仕事を捨てなさいとも仰られましたので、退職の意向を既に会社に伝えています。

神様が捨てなさいと仰られる時は、あなたが捨てても問題が無い様に準備が出来ている事になりますから、迷う事なく捨てれば良いのです。

また、私は2021年6月6日から、神様が霊感を与えて下さり、その霊感を基に記事をほぼ毎日の様に書き続けました。

神様が与えて下さった霊感ですから、神様を第一に考えた私は、仕事中に記事を書く様になりました。

会社に出勤して、神様の御心である記事を書いてから、仕事をし始めるといった状況です。

これは、今回の記事も例外ではありません。

そして、今現在の私の業務は決算業務に携わっています。

会社には、業務量が多く大変な為、決算業務を終えてから退職する意向を伝えていますが、その決算業務も差し置いて、記事を書いています。

そして、昨日はその件で、遂に上司に指摘されました。

実は、先月の残業時間が80時間にのぼり、残業代がその分だけ付く事になる訳ですが、残業代で上司の給与を上回っている事になります。

私が記事を書いてから決算業務を行っている為、常識から考えたらその残業代は不当の事であると思われます。

その為、昨日はこの様に指摘されました。

「会社から対価を貰っている以上は、やるべき事をやって欲しい。」と、世の中の常識的に考えれば、至極真っ当な意見です。

しかし、それを聞いた私は「サタン」だと思いました。

私の上司はプライドも無く、滅多に怒る事はありません。

しかし、その上司が昨日は怒り、上記の様に指摘して来ました。

昨日の上司の中にサタンが入っていたものと、私は感じています。

サタンとしては、私が記事を書く事を止めて、自分中心に会社の決算業務をして貰いたい訳ですから、私の上司にサタンが入って止めようとしてきた訳です。

また、私が真っ先にサタンだと感じた理由として、指摘して来た時の言葉にあります。

「会社から対価を貰っている。」この文言こそ、実にサタン的です。

確かに、形的に見れば、会社からを対価としてお金を得ています。

しかし、そのお金すらも神様の創造物です。

私は、神様の霊感の通りに記事を書く事で、会社を通して神様からお金を与えて下さっていると考えています。

ですから、「会社から対価を貰っている。」と言われた時点でサタンだと感じた次第です。

神様の創造物をまるで自分の物や会社の物であるかの様に考えている時点で、傲慢、高慢な考えと言えるのではないでしょうか。

サタンはこの様にして考え方をずらそうとしてきます。

昨日は上司から指摘を受けた訳ですが、その指摘を無視して、私は記事を書いてから決算業務を行いました。

これは、本日も同様です。

世の中の常識で考えたら頭がおかしい人物だと思うかもしれませんが、御言葉を学んでいる方からすれば、別におかしいとは思いません。

むしろ、聖書に書かれている最も重要な掟の第一と第二を守っているに過ぎませんので、普通の事なのではないでしょうか。

もちろん、私も最初の頃は、周りの目を気にしながらやっていましたし、今も便宜上で妨害されない様に配慮しながら記事を書いています。

ただ堂々とやれば良い訳ではなく、賢く知恵を持ってやらなければなりません。

そして、記事を第一優先にして書く訳ですから、私の仕事がその分だけ止まる訳ですが、その対策として、パートさんに仕事を徐々に渡していき、私自身の業務量を減らしていきました。

つまり、その業務をこなせるだけの人材をも神様が既に与えて下さっていた事になります。

一見すると、仕事中に記事を書く事は無理であるかの様に見えますが、神様が記事を書ける様に配慮して下さっている以上、無理ではありません。

業務上で、デスクを離れなければならない時は記事を書けませんでしたが、そのデスクを離れる事すらも神様の御心であったと、今となっては分かっています。

世の中の常識的に考えた場合には、仕事中に仕事を捨てて神様の御心であるブログの記事を書くというのは、言語道断と思うかもしれませんが、御言葉を学んでいる私にとっては当然の事なのです。

退職の意向を伝えたから、自暴自棄になって仕事中に記事を書いている訳ではありません。

退職の意向を伝える以前から、仕事中に記事を書いています。

もちろん私も御言葉を学んでいなければ、この様な行動を取る事が出来ませんでした。

神様を信じ、神様を第一にして愛するからこそ、この様な行動を取る事が出来ているのです。

そして、昨日の明け方のお祈りの中で、私がいつも行っている服屋さんに行きなさいとの霊感を与えて下さいました。

その服屋さんは19時30分閉店です。

会社からは約1時間の距離ですので、18時30分より前には会社を出なけれななりません。

そして、昨日は上司が怒っている中、決算業務を途中にして退勤しなければなりませんでした。

何故その事を気にしているかと言えば、決算業務を本日(11月5日)までに仕上げて欲しいと念を押されたからです。

スムーズに行けば終えられますが、恐らくスムーズに行かない為、1日で終わらないかもしれません。

しかし、私は神様にお祈りすれば何とかなると思い、神様の御心でもある服屋さんへ、決算業務を放っていきました。

その服屋さんの霊感を受けた時に、私は「ジャケット」を買いなさいという事かなと思いました。

と言いますのも、私は退職の意向を伝えた後、会社に置いてあるスーツの上着(背広)を全て捨てました。

太っていた時に購入した物なので、ブカブカで見っともないので、退職を機に全て捨てました。

そして、ジャケットを新たに購入しようと考えた私は、ジャケットについてお祈りをしていました。

昨日、神様の仰る通りに服屋さんに行った所、新作のジャケットが置いてあり、試着してみた所、もの凄くぴったりのジャストサイズでしたので、「これだ!」と思い、即購入しました。

特にジャケットを自分から探しに行った訳でもなく、採寸して作った訳でもありません。

今日は早速そのジャケットを着て出勤し、記事を書いています。

ブカブカの見っともない背広を捨てた後、ジャストサイズのジャケットを神様が与えて下さいました。

神様は物欲を禁じられていますが、お祈りして必要な物であれば与えて下さいます。

しかも、神様が与えて下さる物は、どれも私にとって良い物ばかりです。

車も、アクアのG’sから、スバルのレガシィアウトバックへと乗換えていますが、こちらも神様にお祈りした上で購入した物になります。

ですから、車も神様が与えて下さいました。

そして、レガシィアウトバックは、私にとって最適な物でした。

ですから、運転しているだけで私は楽しいですし、運転も苦になりません。

年式は10年前の物になりますが、私にとってはこの年式が最適だったのです。

神様はそこまでご存知の上で、私に10年落ちのレガシィアウトバックを与えて下さいました。

世の中の常識で考えますと、高年式が良いと思う方が大半ではないでしょうか。

でも、私にとっては10年落ちのレガシィアウトバックが最適だったのです。

この事は、私自身も気付いていなかった為、自分で中古車を選んでいたとしたら、絶対に選ばなかった車種でもあります。

しかも、私が購入したレガシィアウトバックは、エンジンルームがとても綺麗で、オイル交換(ディーラー)も定期的にされていた為、前オーナーさんが大切に乗っていた事が窺えます。

つまり、車自体も安心出来る状態だったのです。

私は車が好きなので、ここまで綺麗なエンジンルームの中古車は見た事が無い程です。

とても10年落ちのエンジンルームとは思えません。

そして、何故10年落ちの車が私にとって最適なのかと言えば、アイドリングストップが無い時代の年代だったからです。

アイドリングストップが無ければバッテリーも安価です。

そして、レガシィアウトバックは、大柄な私でも窮屈に感じる事がありませんので、非常に快適です。

ナビはもちろん古い訳ですが、元々バイクのツーリングで地図を使ってあらゆる所を走っていた為、私にとってナビはそこまで重要ではありませんし、今の時代はスマホがありますので、カーナビはおまけ程度の存在になっています。

この様に、ありとあらゆる面で、私の物欲を満たしてくれているのがレガシィアウトバックなのです。

そんなレガシィアウトバックを購入する事が出来たのも、神様にお祈りした事で、神様が私をお導き下さり、レガシィアウトバックを与えて下さったのです。

この様に、私個人の考えで購入するのではなく、神様にお祈りした上で、必要な物や欲しい物を購入する事で、物欲を満たして下さるのです。

ですから、神様が物欲を禁じているのは、人間が自分に考えて購入した所で、その物欲を満たす事が出来ないからでもあります。

物欲を満たす事が出来なければ、その度に、お金を無駄に浪費する事になりますので、物欲を禁じているのです。

言うまでも無い事ですが、物欲が第一になった場合には、聖書で最も重要な掟に反する事になります。

また、私は過去の記事で、従兄弟よりシャインマスカットを頂いた記事を書いています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)

シャインマスカットを頂いた為、「お返しを送りますよ。」と従兄弟に伝えた所、「要らない、要らない。お返しを貰うつもりで送った訳じゃないから。」と、返事が有りましたので、私は自分勝手に送る事なく、神様にお祈りしました。

そして、妻の実家が柿を作っており、先日妻が柿の収穫の手伝いに行きました。

その際に柿を2ケース頂いてきたそうで、シャインマスカットを頂いた従兄弟に送る分と、青森の柿が大好きな母の兄に送る分という事で、それぞれ発送してくれました。

昨日の帰宅中に従兄弟から柿が届いた旨の電話が有り、「(家族の)みんな柿が好きなので。」と、とても喜んでいる様子が伝わってきました。

従兄弟の家族皆が柿を好きなのをご存知である神様が、シャインマスカットのお返しとして柿を与えて下さいました。

私が人間的に考えて送っていた場合には、柿を選択していた事は無かったと思います。

頂いた贈り物の一つでも神様にお祈りする事で、神様が従兄弟家族の皆が満足して頂ける物を、私に代わってご用意して下さったのです。

従兄弟が喜んでいる様子が伝わってきましたので、喜んで頂けて良かったと、私自身もとても嬉しく思いました。

神様に心から感謝致します。

世の常識では定期的に物を贈り合う事が常識的になっていますが、私も一時的に従兄弟にその常識的な考えで伝えてしまいましたが、不要との返事から、その常識に囚われない様、神様にお祈りして対処させて頂きました。

また、物を贈り合う事は、相手の事を第一に考えている事になりますので、神様を第一にしていない事にも繋がります。

人間的に考えますと、すぐに送らなければならないかなと思うかもしれませんが、その場合、従兄弟の家族皆を喜ばせる事は出来なかったものと思います。

シャインマスカットを頂いてから時が経過していますが、従兄弟の家族皆が満足する贈り物を神様がご用意して下さり、与えて下さいました。

この様に、世の中の常識的な考えで行動するのではなく、全ては聖書の掟の通りに行動する事が何よりの知恵であり、最も幸福な事なのです。

この様な事は、聖書をただ読むだけでは理解出来ません。

キリスト教と聞くと、苦行の様な堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、それもサタンの洗脳です。

私は、30年以上に亘って、キリスト教とは無縁の生活をしていましたし、関わる事もないと思っていました。

しかし、今となっては、神様を愛する事無しに、この地上世界を生きていく自信がありません。

ですから、私の人生を通して、神様を証していく事で、宗教アレルギーである日本人の多くの皆様方に神様の存在を知って頂き、一人でも多くの方が、神様を信じ、愛する道こそが、人間にとって最も幸福な生き方が出来る唯一の道であるという事をも、悟って頂けるきっかけとなりましたら幸いです。

また、世の常識では性行為をするにあたり、コンドームなどの避妊具を使用されているかと思いますが、避妊具を使用する必要はありません。

私は妻との間に子供が欲しいと思っていましたが、出来る気配が有りませんでしたので、諦めました。

子供が出来る出来ないも、全て神様の御心なのです。

つまり、現時点において、私と妻との間には子供が不要という事です。

神様は必要な事であれば必ず与えて下さいます。

そして、過去の記事でもお話していますが、性行為及び性欲を第一に求める事は、神様を第一に愛していない事になりますし、神様の許諾無しに性行為をした場合は、異性の罪として、とても厳しく裁かれます。

反対に、神様の許諾の下に性行為をし、避妊した場合には、神様の御心に反する事になりますので、罪に該当します。

聖書には以下の様に書かれています。

ーーーーーーーーーーーーーーー創世記38章8節~10節

ユダはオナンに言った。
「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」
オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。
彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。

ーーーーーーーーーーーーーーー

兄の為に子孫を残す様に言われていたにも関わらず、子種(精子)をわざと地面に落とした(避妊した)為、神様の御心に反する行為として殺されています。

この様に、神様が子供を与えて下さろうとしているにも関わらず、避妊してそれを反故にする行為は、神様への反逆行為となります。

つまり、神様の御心の通りに行わない事は、神様を第一に愛していない事になり、全て「罪」に該当します。

そもそもコンドームは、子供が出来る心配を無くし、ただ快楽・享楽を貪る為に開発された物ですから、性的な堕落を招く物とも言えます。

ですから、コンドームを使用する事が世の常識であるかの様にされていますが、その常識はイルミナティの中での常識であって、神様の世界では常識ではありません。

また、神様は結婚も祝福として与えて下さいます。

神様を信じ、愛する義人同士が結婚して子供を産み、子孫を繁栄させていく事もまた神様の御心なのです。

男女それぞれが結婚したい旨を神様に祈り求める事で、然るべき時に、神様があなたにとって最適な異性を与えて下さいます。

人間的に異性を選んでも問題ばかりが生じますが、神様が与えて下さる最適な異性であれば、その様な問題も少なくなる事は明らかです。

そして、義人同士の結婚であれば、例え何か問題が起きたとしても、神様に祈り求めていく事で、全て解決する事が出来ます。

ですから、性行為を異性の罪として禁じられているからと言って、結婚を禁じている訳ではありません。

きちんと男女ともにお互いを第一にする事なく、神様を第一に愛し、結婚に関する全ての条件をクリアした時に、結婚を祝福として与えて下さいます。

ですから、世の中の常識的に恋愛して、焦って結婚した所で、神様の祝福を受けられませんので、その結婚は問題だらけになり、結果、不幸に陥る事になります。

神様を第一に愛し、神様から与えて下さる全ての事が、私たち人間にとって最適な事なのです。

ですから、世の中の常識で考えて、人間が自分勝手に行動した所で、その欲求が満たされる事はなく、むしろ、その欲求によって却って不幸になるのです。

世の中の常識はサタンの考えだと申し上げましたが、サタンの考えで行動する以上、必然的に不幸になります。

この地上世界を創造し、支配していらっしゃるのは創造主である神様です。

創造主である神様を第一に愛し、神様に祈り求めて与えて下さる事こそが、私たち人間にとって最も幸福であり、あらゆる欲求を満たして下さるのです。

全ての事を神様に祈り求めて与えて下さる事が、神様の世界での「常識」です。

ですから、サタンの考えに染まっている世の中の常識を覆し、神様の世界での常識が、世の中の常識となる様に、世の多くの方々にこの事実を知って頂き、一人でも多くの方が神様を信じ、神様を愛し、幸福な人生を歩んで下さる事を心からお祈り致します。

サタンの考えは、日常生活の至る所で「毒」として、私たち人間の脳に目を通し、耳を通して入ってきます。

テレビ、新聞、ラジオ、雑誌、漫画、アニメ、映画、インターネット、YouTubeなど、あらゆる所にサタンの毒が仕込まれています。

これらを無目的に視聴する事で、サタンの言語があなたの脳にプログラミングされていきます。

サタンの毒は、まるで食品添加物であるかの様に、至る所に仕込まれています。

サタンの毒を排除するには、神様の御言葉を学び、脳にプログラミングしていくしかありません。

サタンの毒を摂取するのを控え、それ以上に神様の御言葉を学んでいかなければ、サタンの毒を排除する事が出来ません。

そして、サタンの毒をたくさん摂取している程、サタンが寄り付いては、その人を不幸へと貶めていきます。

サタンは、霊の世界では不潔な者、不浄な者です。

本日、この記事を書いていく中で、休憩として聖書を読んでおりましたが、聖書を読んでいる際に強烈な眠気に襲われ、目を覚ました時には、肥溜めの様な、蓄膿症の様な匂いというか、臭い匂いがしました。

職場ですので、私の周りにも多くの方がいらっしゃいますが、皆さん普通に仕事されています。

その為、臭い匂いは霊的なもの、つまりサタンの匂いだったのではないかと思われます。

RAPTさんが仰られていた様に、まるで、う〇この様な匂いでした。

サタンが寄り付くと言う事は、寄り付かれた人の霊が汚れる事になります。

サタンが寄り付かない様にする為には、神様の御言葉を学び、神様の御言葉をプログラミングしていくしか方法はありません。

当然の事ながら、サタンが寄り付く事で、寄り付かれた人は不幸になります。

私は臭い匂いを嗅ぎながらも、サタンの滅びを心の中でお祈りし、引き続き聖書を読んでいった結果、臭い匂いが無くなりましたので、サタンが逃げて行ったものと思います。

サタンを追い出し、退ける為には、神様の御言葉が必要不可欠です。

そして、神様の御言葉を学び、御言葉の通りにどこまでも従順に従う事で、私たち人間はどこまでも幸せな人生を歩んでいく事が出来るのです。

今現在の世の中の常識は、サタンによって作られた人間を不幸にする為のものです。

対して、神様の御言葉は、人間を真に幸福な人生へと歩んでいく事の出来る唯一の道なのです。

神様の御言葉が常識になる事で、あなたの人生と運命が変わります。

神様は、神様を愛する方を鍛える為に練達されます。

その練達は時に厳しく感じられる訳ですが、聖書の最も重要な掟をしっかりと守り通していく事で、神様の練達を乗り越えていけるものと思います。

私自身もまだまだ練達中の身でありますので、この先の練達にも全て耐え忍び、神様を第一に愛する事で、神様の恋人になれます様に、引き続き努力していく所存です。

これからも引き続き、私の人生を通して証していく事になるかと思いますので、皆様方が神様を信じ、愛するきっかけとなりましたら幸いです。

今回の記事を通して、一人でも多くの方が救われます事を心からお祈り致します。

心から感謝を込めて。

HAJIME