こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、ブルース・リーについて書いていきたいと思います。
ブルース・リーは1970年7月20日に亡くなっています。
私が生まれるの前の話ですが、ブルース・リーの死には不審な点が多く、未だに様々な憶測が飛び交っている様です。
ブルース・リーはイルミナティ13血流の内の一つである李家です。
イルミナティ・李家である彼の不審な死について気になりましたので調べてみました。
まず、公式に発表されている死因がこちら。
公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出された。検死報告によると、リーの脳は1,400gから1,575g(13%の増加)まで膨らんでおり、頭蓋内圧の亢進により脳幹が圧迫されて死に至ったと考えられている。
リーは、『燃えよドラゴン』の撮影約1ヵ月後の1973年5月10日にゴールデン・ハーベストのスタジオで、音声吹き込み中に、昏倒し意識不明の重体に陥り、そのまま病院に運ばれ2時間後に回復するも入院し、13日には退院している。その後、渡米し精密検査を受けるが結果は異常なしであったとされる。脳浮腫が起きた原因は背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用といわれている[13]。
一部で既にリーの脳にあった腫瘍にこれらの薬が作用して破裂を起し脳浮腫になったと言う説もあるが、検死解剖では脳浮腫が確認されているのみで、脳腫瘍並びにその破裂による脳内出血の報告はない。
死因に関して紛糾したため、香港政庁は1973年9月に死因究明裁判を開いた。同法廷書記長の藩健成によると、イギリス統治下にあった香港で出された正式な判決は【死因不明】である[14]。脳浮腫が起きた原因は確定されなかった。
イリノイ州シカゴにあるクック郡医療検査官事務所のジェームズ・フィルキンス(James Filkins)は、死因を『癲癇(てんかん)』であるとしている。フィルキンスは、検死解剖による死因の公式発表にも誤りがあると指摘している。報告書どおり、リーの死因が鎮痛剤による過剰反応なのであれば、それはアナフィラキシーショックを起こしたことになる。しかし、この場合は首のかぶれという外傷を呈するものであり、報告書の「目立った外傷はなし」との記述と矛盾するとして、リーの死因はSUDEP(癲癇による突然死 sudden unexpected death in epilepsy)であると主張している。この症状が認識されたのは1995年以降のため、死亡当時は可能性が検討されていなかった[15]。[要出典]
出典:ブルース・リー – Wikipedia
公式の死因は脳浮腫とされています。
しかしながら、鎮痛剤の副作用による過剰反応であればアナフィラキシーショックになるそうですが、アナフィラキシーショックの場合は首のかぶれという外傷を伴うのにも関わらず、報告書の「目立った外傷はなし」との記載と矛盾します。
その為、癲癇による突然死という説まで出てきています。
こういう矛盾した説が多数出てくるという事は、どの説も真実では無いという事に他なりません。
先程、ブルース・リーが李家であると申し上げましたが、その事についてご説明させて頂きます。
ブルース・リーは截拳道(ジークンドー)なる武術を開発しています。
1960年代にブルース・リーは、アメリカで詠春拳を基本とした振藩功夫(ブルース・リー式グンフー)を教えていたが、ロサンゼルスに移ってからさらに実戦的な武術を模索して研鑽・実践を重ねていき、1966年にその名称を截拳道とした[1][2]。「相手の拳(攻撃)を截(たつ、防ぐ、さえぎる)道(方法、ダオ)」という意味であるが、これは「敵を倒す」という武術としての側面を表すとともに「生きていく上で直面する障害を乗り越える方策・智恵」を示したものでもある。リーは東洋哲学、特に古代禅仏教と老荘思想を高く評価しており、彼のルールに縛られないファイティングスタイルも、そうした自由な思想に多大の影響を受けていると思われる。
出典:截拳道 – Wikipedia
ブルース・リーは、禅仏教と老荘思想を高く評価しているとの事です。
禅はヨガに繋がります。
坐禅は、禅宗において、禅那(ぜんな)に至るための修行の中心となるものであり、瞑想の一種である。ただし、坐禅(の略語としての禅)は、あくまで自らの仏性を前提とし、不立文字(後述)が強調されるなど、禅宗の教えに基づくものを意味するもので、そのような前提に立たない一般の瞑想・マインドフルネスとは区別される(ちなみにヨーガ (yoga) は、元来は瞑想を中心とした心身両面にわたる宗教的行法である。)。
出典:禅 – Wikipedia
ヨガは悪魔崇拝へと繋がります。
続いて、老荘思想についてはこちら。
老荘思想(ろうそうしそう)は、中国で生まれた思想。諸子百家の道家(どうか)の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。
出典:老荘思想 – Wikipedia
老荘思想は老子と荘子へと繋がります。
道教の始祖とされている老子の姓が、「李」でした。
老荘思想を高く評価しているという事は、ブルース・リーも李家であると言えます。
そして、ジークンドーのロゴが太極旗に酷似しています。
太極旗は李氏朝鮮の朝鮮民族の象徴として公布されていた様です。
李氏朝鮮は李家支配下の朝鮮でしたから、太極旗は李家を表しているとも言えます。
李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年から1897年(大韓帝国として1910年まで存続)にかけて朝鮮半島に存在した国家。王朝名としては李朝(りちょう)。「李氏朝鮮」は「李家支配下の朝鮮」の意味であり、過去に「朝鮮」の国号を使用した箕子朝鮮や衛氏朝鮮などとの区別のため呼称される。
更にブルース・リーのリーは英語表記でLee、筆記体でℓℯℯになり、逆さにすると666になります。
ですから、ブルース・リーはどこからどう見てもイルミナティ・李家であると言えます。
そんなブルース・リーですが、公式の発表で、検死解剖の結果、大麻が微量に検出されたとの報告があります。
この大麻検出が仮に本当であったとしたら、ブルース・リーがイルミナティ・李家であったとしても、本人が摂取していたとは思えません。
その理由として、ブルース・リーはとてもトレーニングをしていた事で有名な様です。
上記画像は、ブルース・リーのトレーニングメニューをメモした物だそうです。
それだけに、神速のブルース・リーのトレーニングメニューは凄まじかった。1日にキック2000回、パンチ5000回に加え、ウェストツイスト360回、シットアップツイスト100回、レッグレイズ100回、ラーニングツイスト200回、カエルキック200回、、、、これだけでなくトレーニングは延々と続いたそうだ。
また2本の指での片手指立て伏せを軽々とこなし、一時期には人差し指1本で腕立て伏せが出来たという。100キロ以上のサンドバックを蹴れば天井にサンドバックが激突、小さいサンドバックは時に破裂したという。
妻リンダによると、なんと「ブルース・リーがトレーニングをしていない瞬間など見たことがない」と証言されている。
出典:ブルース・リーまとめ【改訂版】 – HLY$NA++ハリスナ++ (hollywoodsnap.com)
私も体力維持の為に筋トレを行っていますが、この量は出来ません。
これ程のトレーニングを行っていたという事は、食事等にも気を付けていたと考えられます。
客観的に見て、これだけのトレーニング量をこなしている人が、大麻を摂取するというのは考えにくいと私は思います。
また、そのトレーニングの成果が見られる以下の動画をご覧ください。
パンチ、キック共にめちゃくちゃ速いですし、キレもすごいです。
更に下記動画のヌンチャク捌きもご覧ください。
イルミナティとは言え、ブルース・リーが努力をしていたというのは間違いないと私は思います。
これほど俊敏な肉体をしている人が大麻を摂取しているとは考えにくいです。
そして、自分自身で接種しなくても、食事などに盛られていたとしたら結果的に摂取している事になります。
ブルース・リー死亡時に一緒にいたとされている「ペティ・ティン・ペイ」が麻薬中毒者でした。
1973年7月20日に、リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含むEquagesic)を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティン・ペイはレイモンド・チョウを呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。32歳であった。
出典:ブルース・リー – Wikipedia
丁氏宅でリー氏が死亡した時、丁氏は大衆の指弾を受けたが、死で自らの潔白を立証したかったと当時の心境を明らかにした。以後、丁氏はうつ状態となり、麻薬に約1年間溺れ、幸いにも中毒からは逃れたが、大脳に損傷を受け、精神分裂症気味となり、同時に欠落した記憶を回復するのが困難になったという。
出典:ブルース・リーの最後を元愛人が激白 | nangokushimbunnews (wordpress.com)
上記の記述では、ブルース・リーの死後にうつ状態になって麻薬に溺れたとありますが、元々中毒であったと私は考えています。(理由は後述します。)
ブルース・リーの大麻検出は、ペティ・ティン・ペイによって盛られていた可能性が考えられますが、じゃあ犯人は最後に一緒にいたとされているペティ・ティン・ペイかと言うと、事はそんな単純な話ではありません。
その事は、ペティ・ティン・ペイの行動が不審な点から明らかです。
最後に一緒にいたとされているペティ・ティン・ペイが、ブルース・リーが昏睡しているのを見て、まず連絡して呼んだのが、レイモンド・チョウと記載されています。
レイモンド・チョウ(Chow Man Wai, Raymond、鄒文懐、簡体字: 邹文怀、拼音: Zōu Wénhuái、1927年10月8日 – 2018年11月2日[1])は、イギリス領香港出身(本籍は広東省潮州)の映画プロデューサー。ゴールデン・ハーベストの設立に関わり、長く会長を務め、「香港映画の父」と呼ばれた[1]。
出典:レイモンド・チョウ – Wikipedia
レイモンド・チョウは、ブルース・リーやジャッキー・チェンが所属していたゴールデンハーベストの設立者です。
イギリスによる植民地統治下の香港で、映画会社ショウ・ブラザーズの製作本部長を務めていたレイモンド・チョウ(鄒文懐/Raymond Chow)が、1970年にレナード・ホー(何冠昌/Leonald K.C.Ho)やショウ・ブラザーズのスターだったジミー・ウォングらと共に設立した。九龍のハンマーヒルロードにあったキャセイ映画スタジオを買い上げ、ここをゴールデン・ハーベスト・スタジオ(スタジオの正式社名はゴールデン・スタジオ・リミテッド)とした。第一作は時代劇の『鬼怒川(The Angry River)』。
出典:ゴールデン・ハーベスト – Wikipedia
そして、ペティ・ティン・ペイに呼ばれたレイモンド・チョウは、 「金紫荊星章」 を受章しています。
1998年に、香港特別行政区政府より文化人への栄誉を称える「金紫荊星章」を受章した。
出典:レイモンド・チョウ – Wikipedia
金紫荊星章 について検索しますと、以下の様に出てきます。
ゴールドバウヒニアスター (中国:金黄、GBS)は、中華人民共和国への主権の移転と香港特別行政区(HKSAR)の設立後、大英帝国勲章の英国の栄誉システムを置き換えるために1997年に創設された香港の栄誉システムにおける最高のバウヒニアスターランクです。地域社会に顕著な奉仕をした者や、非常に高い功績を持つ公共または自発的なサービスを提供した者に授与される。
出典:ゴールドバウヒニアスター – ウィキペディア (wikipedia.org)
香港は英国の統治下にありましたので、英国の栄誉システムを基に創設されたとの記述がなされています。
英国の勲章という事は、悪魔崇拝へと繋がります。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
つまり、 金紫荊星章を受章しているレイモンド・チョウは、何かしらの利権に貢献した人物であると言えます。
ここで、ブルース・リーの話に戻りますが、ブルース・リーは10代の頃、喧嘩ばかりをしていて素行が悪かった様です。
10代後半まで、リーのストリートファイトはより頻繁になり、恐れられていたトライアドファミリーの息子を打ち負かすこともあった[29]。 1958年、ライバルの武術学校であるChoy Li Futの学生たちがリーの詠春拳学校に挑戦してきたため、リーは屋上で喧嘩をした。他の少年の不当なパンチに対抗して、ブルースはその少年の歯を1本失うほどひどく殴り、その少年の両親が警察に訴えた。リーの母親は、警察署で「ブルースを釈放した場合、自分が全責任を負う」という書類にサインしなければならなかった。夫には言わなかったが、ブルースはアメリカ人だからアメリカに帰ろうと言った。リーの父親は、香港に残った場合のリーの大学進学の見通しが立たないことから、これに同意した[30]。
警察の刑事が来て、「すみません、リーさん、あなたの息子さんは学校で本当に悪いケンカをしています。もし彼がもう一回でも喧嘩をしたら、私は彼を刑務所に入れなければならないかもしれません」と言った。
出典:Bruce Lee – Wikipedia
ストリートファイトで、トライアドファミリーの息子を打ち負かした事もあった様です。
トライアドとは「三合会」の事です。
三合会(三合會、さんごうかい、サムハプウイ)は、香港を拠点とする幾数かの犯罪組織を総称する呼名である[1]。地下社会や裏社会などという抽象的な意味の言葉ではなく(これらを表す現地の言葉としては黒社会が適当なものである)、実体をもつ犯罪組織のネットワークを指していう、結社という意味を表すものと解釈できる。英語圏においては Triad(トライアド)[2]や Triad Society と呼ばれている。
秘密結社的な性格を強く帯びるという特色もあってか、その実態については断片的にしか知られておらず、全体像はほとんど明らかでない。諸流派としてこれを構成する組織のうち、香港で活動するものは、現在57程が存在すると目され、それらの組織は成員を50人程度とするものもあれば、3万人以上の成員を数えるものも存在するとされている。そのうちの有名なものとしては 14K、潮幇(新義安の上部組織)、和字頭(和勝和の上部組織)などが挙げられる。
その影響力は香港をはじめとして、マカオ、台湾、中国大陸といったアジア圏に加え、欧州、北米、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの華人社会にまで至る、世界的規模の広域におよぶものであるとされている[3]。
出典:三合会 – Wikipedia
三合会は世界最強の犯罪同盟とも言われています。
その三合会を従えているのが李家でした。
三合会は香港のデモに参加し、女性や妊婦などの一般市民にも暴力行為を行っています。
更には、通報後の1時間以上後に警察が来て、だれも逮捕する事は無かった様です。
つまり、三合会と警察は繋がっている事を示しています。
2019年の段階で三合会と警察が繋がっているという事は、昔から三合会と警察は癒着していたものと思われます。
また、ブルース・リーの死については、アグネス・チャンが意味深な発言をしています。
アグネス・チャンの意味深発言についてみていきます。当時、ブルース・リーと映画共演を控えていた香港歌手スターのアグネス・チャンはあるテレビ番組で司会者にブルースリーの死因の真相・真実について尋ねられると「ブルース・リーの本当の死因の真相・真実は香港の芸能人なら誰でも知っているが、命が惜しいから言わない」と語っています。アグネスはその発言以来、一切何も語っていないようです。
香港の芸能界と裏社会組織は根深く、売れた芸能人は金銭目的でマフィアに狙われることが頻繁にあったそうです。ブルース・リーも裏社会組織の人間に何らかの話を持ち掛けられ、それを断り続けた結果暗殺されたのではないかと考察されています。
出典:ブルース・リーの死因の真相とは?息子の不自然な死やアグネスの意味深発言も考察 | 大人のためのエンターテイメントメディアBiBi[ビビ] (bibi-star.jp)
ブルース・リーの死の真相は香港の芸能人なら誰でも知っている様です。
そして、その事について言及したならば、その者の命は無いという様な意味深な発言をしています。
つまり、香港の芸能界及び映画界において、かなりの権力を持った者が黒幕と言っている様なものです。
ここまでの話を踏まえた上で、以下の記述をご覧ください。
まぁわいの調べた範囲の仮想 ティンペイが異変に気づいて救急車やなくチョウを最初に呼んだのは 死因がわかってるからこそどう対処していいかわからん
チョウが現場に来て最初に行ったのはリンダに電話かけてここではなく自宅にいたつう偽装 まぁ後に本人曰くスキャンダル回避つうことやけど
パパラッチにつけられていたのを知らずすぐバレた
後のGH広報マネジャーも一緒に来て現場みとるんやけど その人物が30年たって暴露した
なんで30年も経ってからつうと 香港が返還されて呪縛が解かれたから それ以前(警察にメス入ってから)は映画、メディア関係などを牛耳ったのが黒社会やさかい 必然的に記事はおろか口にも出来んようになる
仮に他殺とした場合の疑わしい点となるものを書き出すと まず公式的(事を収拾するため)には脳浮腫とされとるけど結局正式には死因不明 死因について聞かれるとリンダ、遺族の曖昧な返答 他の俳優たちに質問しても知らないではなく言えないという返答
麻薬嫌いのブルース・リーから微量の大麻 ティンペイが大麻常習者と告白 ティンペイには簡単に手に入ることができる別カレがいた 知らぬ間にブルース・リーに微量を与え続けることも可能 偽装せなあかんかったかのはその人物の存在がばれる
結局ティンペイがすべてかぶることでその人物は表沙汰になっていない
その後精神錯乱に陥り自殺強要されてた
当時は警官全員賄賂まみれで黑社会よりひどいかった香港警察(浄化の始まりがブルース・リー死後すぐあと) ブルース・リーが死ぬ数か月前に同門でもある警察署長の嗜好によって闇試合をやらされた
対戦相手が香港武術界大物の息子で香港ボクシングチャンピオン 香港では闇試合に大金の賭けは付き物
試合後重症のチャンピオンは引退を余儀なくされ香港武術界(特に親)は面目潰される
勝利した頃からブルース・リーが人が変わったように攻撃的になる 燃えよドラゴンアテレコ中に気を失いベッドで目覚めた時「死期が近づいている」と自覚してた
まぁ大体これらを線で結ぶとある大物に繋がるんやな
ほなさいなら
出典:ブルース・リーの死因についてです。仮にブルース・リーの死が他殺で… – Yahoo!知恵袋
続けて、以下の記述もご覧下さい。(文面から同じ方かと思われます。)
実は以前知恵袋で名前伏せて簡単に書いたことあったんやけど今回もうちょっと深く書くとや、質問者さんも言うとる武術界・映画界の他、警察の大物も関係して実はこれらは密接な関係があるんや。
70年頃の警察は黒社会よりもひどく賄賂さえ渡せば白と黒が逆になるし、警察官の3割が黒社会の組員でもあったし、映画界では黒社会「新義安」がほとんど牛耳っいて現「中国星」グループとして今も君臨している。
でこの「新義安」の前身が反清復明を掲げ洪拳を会の武術として行っていた秘密結社「天地会(洪門)」なんや。
もっと言うと現中国マフィア三合会(トライアド)などの黒社会のほとんどの源なんやなこれが。 まぁこれらを踏まえて暴露に至った経緯としては当時関係している人物たちの死や高齢により生命の危険性がないので真実を語ったつうことでゴールデンハーベストの宣伝部長杜惠東と闇試合の見届け人の一人元香港武術会の会長に付き添った弟子の話をまとめるとや、ブルース・リーの傲慢な態度に不満感じていた(実際はブルース・リーの革新な武術に対する保守派の不満)武術界、特に香港査拳の会長の子にして俳優で香港フライ級ボクシングチャンピオン劉大川が名声高まるブルース・リーが気に食わないことが警察部長鄧生に知られることになり実際どちらが強いか試合を画策したんや。
ただ法令で私的試合は違法やさかい20数名の大物の武術家や関係者のみで他言無用を絶対条件として鄧生の私有地で行われた。 決着は速かったで。 ブルース・リーの足を抑え込めば勝てると思っていたらあまりにも速くモロ食らってアバラ3本折られて病院行きになり、そのまま引退 してしまったんや。
突然の引退に色々な憶測が飛び交い、発案者の鄧生に疑惑が持ちあがったんでそのまま逃亡、事件は闇に。
しばらくして「燃えよドラゴン」のアテレコをしていたブルース・リーは突然倒れ意識不明になり、病院で目が覚めた時の最初の言葉が「俺の死が近づいてるな」 それからは突然死に至るまでは速かったんやがここでベティ・テイペイの暴露がでるんやが、愛人関係と言われているが実際は親密な友人関係であり、ブルース・リーには武術を教わっていたそうや。
であえて世間からは罵声を浴びせられたり、ある人物には自殺を強要させられてもいつか真実が話せる時まで生きようと。
で言うには当時彼氏である人物に頭痛薬として大麻を吸わされていたことで脳に障害を受けたことやブルース・リーが死んだ時はその場にいなく当時友人たちと食事する予定で気分の悪くなったブルース・リーが一人で近くにあったとテイペイ宅で休んでいたので友人と一緒に迎えにいったところ死んでいたんやが、ある異変を感じて先にレイモンド・チョウに連絡しどう収拾するかつうことで自分だけですべてを受けることに。
で結局はその人物の名は語られなかったんやけど香港では察しが付くんでやっぱりやばくて誰も語らん。 そういうことでわても名は出さんのでキーワードは「元夫」や 当然香港の俳優たちは口が裂けても言えんやろみな恩恵うけとるから、あとリンダ夫人も家族考えると黙っている方がええやろ、証拠ないし。
せやから一見試合とは関係なさそうに見えるんやけど、ブルース・リーは黒社会の誘いに全くのらんかったのと、プライドと嫉妬(チョウユンファも似たような悲惨な目に遭ってる)、あとは推測やけど香港ではこういう闇試合には賭けとして大金が動くのはごく当たり前やから負けると誰にとばっちりが及ぶつうことやな。
ほなさいなら あっ、それとや逃げた鄧生やけど実はブルース・リーの甥弟子でイップ・マンの老後のために詠春体育会の設立し、中国国術総会の会長でもあったんやがすべて失ったでぇ
出典:ブルース・リー死の真相。表ネタは大体知っていますが、いまだに公… – Yahoo!知恵袋
この記述をご覧になっていかがでしょうか。
これまでお伝えしてきた事が所々繋がってくると思います。
まず、1970年頃にも三合会等の闇社会と警察が繋がっていた事は、現在の癒着振りからしても十分にあり得ます。
そして、劉大川がブルース・リーに挑戦したがっているという事は新聞にも掲載されていた様ですし、実際に行われていたという証言があります。
ブルース・リーの足技を警戒して、足元ばかりを見ていた劉大川は、ブルース・リーのパンチ一発で決着がついてしまった様です。
という事は、ブルース・リーは本当に強かったという事になります。
そして、ブルース・リーはジークンドーを開発していましたから、香港フライ級ボクシングチャンピオンの劉大川に圧勝したとなると、既存の武術会の武術を学ぼうというよりは、本当に強いブルース・リーのジークンドーを学びたくなりますよね。
この事から、既存の武術会からブルース・リーの存在が煙たがられていたというのは十分にあり得ます。
そして、ペティ・ティン・ペイに呼ばれたレイモンド・チョウが、リンダ夫人(ブルース・リーの妻)へ電話した際に偽装工作をしたものの、パパラッチによってすぐにバレたとの記述もあります。
そして、そのペティ・ティン・ペイは頭痛薬と称して大麻漬けにされ、自殺の強要までされていた様です。
更にはブルース・リーは麻薬嫌いだったとも書かれています。
そして、ブルース・リーの死の真相へと迫る肝となる、「ある大物」や「元夫」と記述されている人物ですが、調べた所その人物も判明しました。
その人物の名が、香港映画界を牛耳っている大物「チャールズ・ヒョン(向華強)」です。
そして、「元夫」の意味ですが・・・
実は、ペティ・ティン・ペイの元夫がチャールズ・ヒョン(向華強)でした。
丁佩,女,原名唐美丽,1947年2月19日出生于中国台湾,祖籍北京,毕业于台北美国学校,是中国香港出品人、监制、演员、向华强前妻。
出典:丁佩(香港电影女演员)_百度百科 (baidu.com)
そんなチャールズ・ヒョンですが、パーティの時間に遅刻してきたジャッキー・チェンを1時間程ひざまずかせていた程の権力者です。
チャールズ・ヒョンにはジャッキー・チェンも頭が上がらない様です。
つまり、アグネス・チャンの 「ブルース・リーの本当の死因の真相・真実は香港の芸能人なら誰でも知っているが、命が惜しいから言わない」 という発言は、チャールズ・ヒョンが関わっている事を示していると言えます。
そして、その事が分かった後、とあるツイートを見つけました。
チャールズ・ヒョン以外にも新たな名前が出て参りました。
「ジミー・ウォング」と「ロー・ウェイ」の2人です。
早速調べてみました。
まず、ジミー・ウォングについてはこちら。
1970年 ショウ・ブラザーズ社から独立したレイモンド・チョウ率いるゴールデン・ハーベスト社に移籍。71年には勝新太郎と競演した『新座頭市 破れ!唐人剣』、72年には伝説的なカルト映画『片腕ドラゴン(原題:獨臂拳王)』に主演する。一方で実生活でのトラブルが少なくなく、暴力事件や香港黒社会との関係などが取り沙汰されスターとしての人気が低迷、活動の拠点を台湾へと移す。しかしながら後にジャッキーとローウェイとの契約問題の間を黒社会との人脈を生かして両者の取り持ちを買って出るなど、ジャッキーも彼には頭が上がらない存在として影響力は健在である。
出典:ジミー・ウォング – Wikipedia
黒社会と繋がり、ジャッキー・チェンとロー・ウェイとの契約問題を黒社会の人脈を活かして解決した様で、ジャッキー・チェンはジミー・ウォングにも頭が上がらない様です。
続いて、ロー・ウェイについてはこちら。
60~70年代の香港を代表する映画監督・プロデューサー。ブルース・リーやジャッキー・チェンの初期作品の監督としても有名。
60年代後半にはショウ・ブラザースでチェン・ペイペイ出演作品を監督し市場を席巻、ゴールデン・ハーベスト設立後はブルース・リー主演の2作品を大ヒットさせるも、その後ジャッキー・チェンの売り出しに失敗。晩年はスター不在に加え、旧態依然とした作風から脱却できずヒット作に恵まれることはなかった。
私生活では大のギャンブル狂で、撮影中でも構わず競馬中継に聞き入っていたエピソードなどが有名。また、黒社会との繋がりも噂されていたほか、契約に関わる訴訟なども多くトラブルが絶えなかった。
上記に加え、レイモンド・チョウと喧嘩別れの末の独立や、共に取り逃がした大スター、ブルース・リー、ジャッキーチェン両者の発言、家族ぐるみでのジェット・リーに関するエピソードなど、何かと良くない話題が多い人物である。
出典:羅維/ロー・ウェイ【スター名鑑】 – カンフースター総合情報サイト -KUNGFU TUBE-
同じくロー・ウェイも黒社会と繋がっていたと書かれています。
アグネス・チャンの発言とジャッキー・チェンのおかげで、真相が見えて参りました。
ここまでをまとめていきますと、ペティ・ティン・ペイは元夫のチャールズ・ヒョンより、ブルース・リーに大麻を仕込ませる様に指示されていた。
(麻薬嫌いのブルース・リーから、大麻を検出している事が証拠と言えます。)
ペティ・ティン・ペイの自宅でブルース・リーを殺害し、ペティ・ティン・ペイに嘘の証言をさせて第一発見者に仕立て上げ、レイモンド・チョウが偽装工作を行った。
(その偽装工作の功労として、金紫荊星章を受章したものと思われます。ブルース・リーの死後「燃えよドラゴン」が大ヒットしています。)
そして、ペティ・ティン・ペイの元夫であるチャールズ・ヒョンが、真実を知っているペティ・ティン・ペイに自殺を強要し、口封じしようとしています。
真実を知っているペティ・ティン・ペイは、何度か暴露しようとするも妨害工作にあい、真実を暴露するには至っていません。
その為か、ペティ・ティン・ペイは未だに命を狙われている様です。
その様な状況下にあっても必死で生き続けようとしているのは、やはり真実を知っているからであり、ブルース・リーの為にも真実を伝えたいという事なのかもしれません。
ブルース・リーが何故殺されたのかがはっきりとは分かりかねますが、イルミナティ・李家であるブルース・リーが、李家お抱えのチャールズ・ヒョンら三合会に殺された事を考えますと、李家と三合会の間で上手く話がまとまらなかったのかもしれません。
ブルース・リーは実際に実力もあった訳ですから、武術に対する拘りもあった事を考えますと、映画製作における方針などで、金儲けだけしか考えていない三合会と癒着した映画界とブルース・リーが揉めたとしても不思議ではありません。
実際にジャッキー・チェンも、黒社会と癒着した映画界と揉めて、拉致されたり、暴力を振るわれ、金も要求された事があると話しています。
(詳細は下記をご覧ください。)
1979年の初夏、前年に他社にレンタル出向し製作された『スネーキーモンキー 蛇拳』、『ドランクモンキー 酔拳』や、続いてローの下でジャッキーが初監督した『クレージーモンキー 笑拳』が大ヒットした。ジャッキーとウィリー・チェンは、ローがレンタル出向前に製作し完成していた『拳精』と『龍拳』を、過去のジャッキー作品が全て興行面で失敗していたために配給会社が警戒して買わなくなっていたこともあり(蛇拳と酔拳のヒットのおかげでその後ようやく公開)、「このままローの下に戻り同じタイプの作品を製作しても駄目になる」と決心し、ローへ退社を申し出た。ところがローはジャッキーの契約書の解約違約金の項目を、10万香港ドルから「1000万香港ドル」に改ざんし、ジャッキーを逃さない手を打っていた。しかしその後、ローの契約支配人がジャッキー側に翻身し、ローが契約書を改ざんしたことの証人となることを約束したため、ローの下での最新作『ジャッキー・チェンの醒拳』の撮影を数日で中断し、ジャッキーはゴールデン・ハーベスト社での第一作『ヤングマスター 師弟出馬』の製作を開始してしまう[42]。
ジャッキーに契約破棄状態で逃走されたローは、黒社会を利用してジャッキーの強制連れ戻しを図る。ジャッキーは拉致されローの面前へ引き出され、ローはジャッキーに再契約を迫る。もっとも黒社会は「儲からない者は助けない」のであり、ローにとっても黒社会を利用するということは、もしジャッキーとの交渉が決裂すれば自身に危害が及ぶ危険性があることでもあった。ウィリー・チェンは状況打開のため各方面と交渉し、まずローの1000万ドル契約については(虚偽の契約であるが)ゴールデン・ハーベスト社のレナード・ホーが「ジャッキーに対する投資」名目で解決することとなり、ローはジャッキーの契約及び未公開作品の権利をゴールデン・ハーベスト社に売却した。最も厄介な黒社会の件は、その世界と繋がりの深い元祖香港映画のドン、ジミー・ウォングに間を取り持ってもらい一件を手打ちにし、ジャッキーは黒社会に狙われることはなくなり、ローもまた黒社会と手を切ることができた。もっともその義理立てとして、ジャッキーはジミーの主演作品『ドラゴン特攻隊』、『炎の大捜査線』に準主演級で出演した。これらの作品へのノーギャラでの出演ついてジャッキーは「両方ともひどい作品だったが、借りを返すこと以上に重要なことはない」などと説明している。
この一連の事件について、当時はジャッキーら当事者からプレス向けに事情説明がほとんどなく「ゴールデン・ハーベストがジャッキーを強引に引き抜いた」などと言われ、「ジャッキー・ジャック事件」とゴシップとなる。日本では、『クレージーモンキー 笑拳』初公開時のパンフレットにおいて、映画評論家の日野康一が「ジャッキー・チェンをめぐる二、三の事情」と題して初めてこのトラブルに言及。この中では「恩師ロー・ウェイからゴールデン・ハーベスト社に無理矢理さらわれてしまった 可哀想なモンキー」とされた。
なお、1980年代から1990年代の香港映画黄金期には黒社会系列の映画会社が数多く跋扈しており、その後ジャッキーは香港映画界からの黒社会追放キャンペーンでは陣頭に立っている。その時のインタビューで「彼らに殴られたり、金を要求されたこともある」と述べた。
出典:ジャッキー・チェン – Wikipedia
この様に、ブルース・リーも似た様な事をされていた可能性が考えられます。
取り込めなかった事が面白くないチャールズ・ヒョンが、ジミー・ウォングやロー・ウェイ、レイモンド・チョウを使ってブルース・リーを暗殺させたのではないでしょうか。
そして、ブルース・リーの死において表舞台に立たされたレイモンド・チョウには、 その功労として金紫荊星章を受章させた、という所ではないでしょうか。
ブルース・リー殺害に関与している人物達が亡くなってきていますから、ペティ・ティン・ペイが生き延びて、いつか真実を暴露する時が来るのではないかと思います。
今回の件で間違いなく言えるのは、公式で発表されている脳浮腫は嘘であり、ブルース・リーの死に「チャールズ・ヒョン」が関わっている事は間違いないと言えるのではないでしょうか。
ある意味、アグネス・チャンとジャッキー・チェンのおかげで、香港映画界がチャールズ・ヒョンというヤクザに牛耳られているという事を見つける事が出来ました。
因みに、アグネス・チャンも池田大作にそっくりで、日本ユニセフの大使を務めています。
ですから、彼女も創価(=イルミナティ)です。
そして、ジャッキー・チェンもユニセフ(=創価)に利益をもたらす行為をしていました。
2003年、『80デイズ』の撮影のためにベルリンに滞在した時、バディーベアに出会い、翌2004年に香港ビクトリアパークでこのバディーベアを展示できるように取り計らった。この展示会の開催で、ユニセフと2つの恵まれない子供たちのための団体が414万香港ドル(約5700万円)を手にした。
出典:ジャッキー・チェン – Wikipedia
ユニセフ=創価については下記リンクをご覧ください。
結局の所、どこを辿っても創価の名前が出てきます。
正にRAPT理論の通りです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME