聖書通読のすすめ。

こんにちは。

HAJIMEです。

今回は聖書についてをお話していきたいと思います。

聖書についてを書くに至りましたのも、明け方のお祈りを終え、御言葉の復習をして、昨日の記事から製薬会社の事を書いていこうかと考えていた所、何かすっきりしない感覚がありましたので、先にTwitterやRAPT理論+αの記事をチェックしたりしていました。

一通りチェックし終えた時に、ふと聖書が気になりました。

そこで、昨日はユダの手紙まで読み終え、次はヨハネの黙示録からだったなぁという事を思い出し、先にヨハネの黙示録を全部読んで通読しちゃおうと思ったのです。

また、今回の通読でちょうど10回目の聖書通読になりますので、キリも良い事ですし、今日は聖書の事を書こうと思い立ちました。

今回、ヨハネの黙示録を読んでいる時に、色々と頭の中で思い浮かぶといった事もありましたので、恐らく神様からの霊感なのかもしれません。

私は、幼少の頃に良く正夢を見ていました。

と言っても、その情景やシーンを実際に見た時に思い出すといった感じですので、内容まで覚えている様なものではありません。

俗に言うデジャヴ(既視感)といった感覚です。

でも、年を重ねていく内に正夢を見る頻度は低下し、社会人になってからはほとんど見なくなったと思います。

しかし、信仰生活を始めてからお祈りをする様になり、少しずつ霊感が戻ってきているのかもしれません。

そして、私が信仰を持ち始めてすぐに、母が交通事故に遭い、腰椎を骨折する怪我を負いました。

入院する程ではありませんでしたが、医者からは約1カ月~2カ月程、骨が確実に治るまで寝たきりの安静と、厳重に言われていました。

当時、寝たきり状態の母は、TVを見ること位しかやる事がありませんでした。

TVはサタンの洗脳装置で、ただの毒ですからあまり見て欲しくないなと思った私は、母に聖書を購入しました。(購入日:2019年6月15日 Amazonの購入履歴より)

初期の頃は痛みもあったりして、ほとんど寝たきり状態でしたが、症状が緩和されてからは起き上がる時間も少し増え、TVをボーッと見る位なら、聖書を少しずつでも読んだ方が良いと伝えて渡しました。

この事がきっかけで、母も聖書を読む様になりました。

そして当時、母が寝たきりの状態の時は、家事をやる人が父しかいませんでした。

その頃の父は、まだ仕事をしており、仕事一辺倒の父でしたので、家事は不得手の状況でした。

ですから、母が起き上がって動ける状態になるまでは、ほとんど毎日の様に食事を作ったり、土日で掃除洗濯など妻や姉と協力して、共に実家の家事を母の代わりに行っていました。

私がその様にしたのも、聖書にこの様に書かれているからです。

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マタイによる福音書15章4節
神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。

エフェソの信徒への手紙6章2節~3節
「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。
「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる。」という約束です。

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信仰を持って間もなかった当時の私は、まだ1回しか聖書の通読をしておりませんでした。

母の事故の話を聞いた時、父だけだと家事が心配だと感じた私は、聖書の「父と母を敬いなさい。」という聖句が頭に思い浮かびましたので、母が起き上がって行動出来るようになるまでは実家の家事をしようと思い、その様に行動しました。

その結果、母は特に目立った後遺症等も無く、無事に完治する事が出来ました。

また、母が交通事故に遭った場所というのが、パチンコ店の駐車場です。

母の怪我が完治してから、私が信仰を持ってすぐの事故であった為、神様から私への練達と母への裁きの可能性がありましたので、その事を母に伝えた所、「やっぱり。」と言う返事が有りました。

恐らくですが、母自身もその様な感じを受けていたのかもしれません。

この事故をきっかけに、母はパチンコもお酒も飲むのを止めました。

お酒に関しては、その年の年末に家族で食事をした際に、年末のたまにはいいだろうと、昔の流れで母がビールを飲んでしまっていましたが、それも止めた方が良いと伝えて以降は、完全に止める様になりました。

ですから、母は腰椎骨折の事故をきっかけに、パチンコをお酒を完全に止められる様になりました。

更に、事故を通して神様の裁きである事を受け入れ、神様の事を信じる様にもなりました。

しかし、母も歳ですので御言葉を学ぶというのは無く、聖書の通読と神様の存在を信じているといった感じの状況です。

その後、私が信仰生活をしていく中で起きた出来事を話していく内に、私の母は霊感が強い事に気付きました。

私が子供の頃に正夢を見たと母にも何度も伝えていましたが、母は霊の話を一切する事がありませんでした。

ですので、まさか母が実は霊感が強かったと知って、とても驚きました。

そこで、私が幼少の頃に良く見ていた正夢というのは、母の霊感の強さを受け継いでいたのではないかと思う様になりました。

母は、今現在でも霊的な音や声を拾ったりしている様ですので、霊感が衰えている様子は見受けられません。

しかしながら、私は時と共に霊感が薄れていったのも、やはりワクチンが原因の一つとも考えられます。

(女性の方へ、ここから先は、女性の方に不快な思いをさせてしまう可能性がありますので、不快に感じられる方は読み飛ばして下さい。大変申し訳ありません。)

また、信仰生活を始めてから分かった事ですが、男が夢精してしまうのは、サタンによる仕業なのではないかと思う様になりました。

と言いますのも、私は信仰生活を始めてからは夢精をしなくなりました。

しかし、罪を犯した時は2回夢精してしまった事がありました。

2回とも前日の自分自身の行動に問題があった事がすぐ分かりましたので、罪を悔い改めなさいという神様からの裁きだと思い、悔い改めました。

それ以降は起きていません。

信仰を持つ以前は、世の中で言われている通りに、夢精は生理現象で、貯め過ぎてしまうと定期的に夢精してしまうから自慰行為をしなければならないとう情報を真に受けて、淫乱物(AV等)を見ては自慰行為を行っていました。

でも、信仰を持ってからは、淫乱物の閲覧や性的な事を考える事は、サタンの考えである事が分かり、それらを全て断ち切りました。

その様に信仰生活を始めて2年目になりますが、夢精をしたのは罪を犯した時の2回だけです。

ですから、夢精を防ぐ為に自慰行為をしなければならないという情報自体が、サタンによる嘘という事になります。

そして、夢精をしてしまう原因そのものがサタンの仕業という事です。

と言いますのも、罪を犯した状態というのはサタンと通じやすい状態になります。

そして、信仰生活を始めてから私は2回夢精をした訳ですが、2回とも前日に罪を犯しておりましたので、サタンと通じやすい状態であったという事が言えます。

では、信仰を持つ前に夢精をしてしまっていたのは何故か?と、疑問に思うかと思います。

それは、神様の御言葉に従って生きていないからです。

分かりやすく言うと、聖書に書いてある掟に従って生きていないからです。

ですから、日常生活をしているだけで、無意識に聖書の掟に反する行為をしてしまっているのです。

聖書の掟に反する行為を「罪」と言います。

つまり、人間は日常生活をしている中で罪を犯してしまっているのです。

この世の中は、神様が創造された世界です。

ですから、神様の掟に従って生きなければなりませんし、神様の掟に従って生きなければ、例外なく裁かれます。

じゃあ、全員裁かれてしまうんじゃないかと思うかと思いますが、掟に従って生きられなかった事を神様に告白し、赦しを請わなければなりません。

それが罪の悔い改めです。

そして、私が初めて聖書を読んだ時に思わずギョッとした聖句があります。

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マタイによる福音書5章27節~28節
あなたがたも聞いてるとおり、『姦淫するな』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。

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男性陣には、とても耳の痛い聖句になります。

自分の妻ではない異性を、みだらな思い(考え)で見る事は、心の中での姦通の罪を犯した事になるという事です。

例:淫乱物(AV等)の閲覧及び自慰行為など。

これは、世のほとんどの男性が犯してしまっている罪と言えます。

ですから、ビジネスホテル等には必ずと言っていいほど、アダルトコンテンツが有料で配信されています。

一昔前はレンタルショップでしたが、今現在のネット社会では、インターネットを通して無料サンプル動画としてAVの閲覧も出来る様になっているのです。

世の男性に、心の中での姦通の罪を気軽に負わせて、異性の事ばかり考えさせる様に仕向けているサタンの罠になります。

お恥ずかしい話ですが、私も信仰を持つまでは、その様な行為を数え切れないほど多く犯してきました。

ですから、聖書を読んでギョッとしたのです。

そして、先ほども申し上げました通り、この世界は神様の世界です。

神様の掟に従って生きなければなりません。

そして、世の男性のほとんどはこの事を知りませんし、特に日本人はキリスト教に触れられない様に神社仏閣へと誘導されていますから、自らキリスト教を意識して聖書を読まない限り、知る事すらないでしょう。

そして、日本人がキリスト教と聞くと、暗いイメージや固いイメージ、偽善的なイメージが強いかと思いますが、それもキリスト教に興味関心を持たない様に思わせる為の洗脳です。

私もその様な洗脳を植え付けられていました。

と言いますのも、私が小学生の頃、エホバの証人の人が聖書を持って家を何度も訪問してきては勧誘し、その度に何度も断っていましたので、キリスト教のイメージをとても悪く植え付けられてしまっていたのです。

ですから、私が本当に神様がいらっしゃるんだという事を知るまでに、かなりの時間が掛かってしまいました。

しかし、RAPT理論を知った今では、エホバの証人が悪魔教である事を知りましたので、本当のキリスト教を広めさせない為に、わざとその様な胡散臭い勧誘をしていたのだという事が分かりました。

エホバの証人は表向きキリスト教に見えますが、中身は悪魔教です。
(詳細は下記リンク先をご参照ください。)

ですから、世の中にあるキリスト教の教会というのは、表向きキリスト教なだけで、中身はイルミナティの手によって悪魔教へと作り変えられてしまっています。

では、本当のキリスト教はどこにあるのかと言うと、RAPTブログ有料記事の中だけです。

有料記事の中でRAPTさんが伝えて下さっている御言葉だけが、唯一正しい本当のキリスト教です。

RAPTさんの伝えて下さっている御言葉を学んで、罪を悔い改め、御言葉の通りにどこまでも従順に従って自分自身を変えていこうとする事で、あなたの人生が180度変わります。

しかしながら、RAPTさんの伝えて下さる御言葉を学ぶ上で、聖書の通読は必須です。

そして、聖書を読んでいくと分かりますが、聖書を書いてある文字通りに解釈してしまうと矛盾が生じてしまい混乱状態に陥ります。

しかし、RAPTさんの宣布して下さっている御言葉を学ぶ事で、聖書の矛盾に戸惑う事無くスラスラと読める様になります。

私は、2017年5月6日に初めて聖書を購入しましたが、そこから約2年間は創世記すらも読み切れない状況でした。

ですが、神様が本当にいらっしゃるんだと確信し、有料記事を購入すると一大決心した時は約1ヶ月で聖書を通読しました。

その後、有料記事と並行して聖書も読み進めていった事で、内容の理解もしつつ、聖書をスラスラと読める様になっていきました。

私はこれまでにも様々な本を読んできましたが、聖書に出会った事で、その他の本を読む必要が一切無くなりました。

そして、普段から聖書を読んでいますと、何か情報を得ようとして、聖書以外の本を読むと、本を読むスピードが格段に上がっている事に、自分自身大変驚きました。

聖書は世界で一番難しい本ですから、聖書を普段から読んでいると、その他の本を読む際にはスラスラと読める様にいつの間にかなっているのです。

まだ聖書を10回しか通読出来ていませんが、10回通読しても飽きる事がありませんし、読む度に気になる箇所が変わりますからとても不思議です。

ですから、もっともっと聖書を読んで、私もRAPTさんの様にどこに何が書かれてあるのかを、パッと出てくる程に頭の中を聖書の言葉、神様の御言葉で埋め尽くしていきたいです。

もし、この記事を読んで下さり、聖書を読んでみたいと思われた方がいらっしゃいましたら、RAPTさんがオススメして下さっている新共同訳聖書の購入をオススメ致します。

また、読まれる際には旧約聖書からではなく、新約聖書から読まれる事をオススメ致します。

旧約聖書は言葉も少々難しく、長い為、最初は辛く感じてしまい、途中で読むのを断念してしまう可能性が高いです。

その点、新約聖書は旧約聖書よりも読みやすく、旧約聖書ほど長くありませんからおすすめです。

そして、私は聖書を本だけでなく、聖書のアプリも活用しています。

と言いますのも、通読は本で行って、外出先等ではアプリで気になる箇所を読んだり、好きな個所を読んだりと使い分けしています。

私が一番最初に聖書を読んだ時、パウロが書いた手紙(ローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙など)に感動しました。

あらゆる事を悟った状態で、諭すように分かりやすく説明している文を見て感動しました。

その感動からか、使徒言行録でのパウロが宣教している状況を書いている箇所も好きで読んでいます。

ある意味、私はパウロのファンと言ってもいいかもしれません。

もし、自分がパウロと同じ状態に直面した時に、果たして自分も同じように出来るだろうか?と、考えて読んでいたりもしています。

パウロが活躍していたおよそ2,000年前は、支配者層による殺人や投獄が当たり前の様な時代でした。

投獄されては、鞭を打たれる様な事も当たり前の時代です。

それを踏まえた上で、以下の使徒言行録16章16節~25節を読んで見て下さい。

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使徒言行録16章16節~25節
わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。
彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。
そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」
群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。
そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。
この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。

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何度も鞭で打たれた後で、更に牢の中で足枷をはめられた状態にも関わらず、パウロとシラスによる賛美の歌と神様へのお祈りは、他の囚人たちが聞き入るほどのものだったと書いてあるのです。

私はこの聖句を読んで、単純にすごいなぁと思いました。

私は鞭で打たれた事はありませんが、想像するに恐ろしく痛いのは間違いありません。

それも庶民に容赦ない支配者層らによる鞭打ちですから、加減された鞭打ちではない事は想像できます。

仮に、背中を何度も鞭で打たれ、牢の中で足枷をはめられた状態での賛美とお祈りが、他の囚人たちが聞き入るほどだったというのですから、どんな賛美とお祈りだったんだろうと思ってしまいます。

私が同じ場面に直面したとしたら、痛みばかりが気になってしまい、恐らくまともに賛美もお祈りも出来ないでしょうし、例え出来たとしても他の囚人たちが聞き入る程の賛美とお祈りにはならないでしょう。

この様にパウロの凄さに圧倒された私は、自分自身の行いが上手くいかない時などに、よく使徒言行録のパウロの宣教についての聖句を良く読んでいます。

また、使徒言行録でもう一つ好きな個所があります。

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使徒言行録18章9節~11節
ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

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パウロがコリントで宣教している時に、神様がパウロに語って下さり、神様が共にして下さっているんだと力を受けたパウロが、神様の為にと一年六カ月もの間コリントにとどまって宣教をしたという聖句です。

また、同じような聖句が他にもあります。

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使徒言行録23章11節
その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

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神様から発破をかけられたパウロが力を受け、その後、ローマでも神様の事を力強く証している様子が克明に記載されています。

2,000年前当時も、ユダヤ人たちは陰謀を企んだりして、パウロの様に神様の事を宣べ伝える使徒たちを殺害したり、迫害したりと常に命懸けの状況だったのです。

こうしたパウロの宣教の様子を聖書で知り、私もパウロの様に神様の事を力強く証したいと強く思う様になりました。

そして、ユダヤ人たちによる陰謀や迫害は、今現代においても変わりません。

RAPTさんが御言葉を宣布して下さる様になってから、キリスト教がじわじわと広まり、その状況を見て焦った現代のユダヤ人どもは、2,000年前と同じくNANAさんとKawataさんを暗殺しようと試みました。

RAPTさんとNANAさん、Kawataさんが命懸けで、イルミナティども戦って下さっているにも関わらず、当時の私はRAPTブログ一般記事の読者でした。

でも、この事故をきっかけに神様の存在を確信し、「このままじゃいけない!」と、一大決心して立ち上がりました。

信仰生活を始めて2年目に入り、私もパウロの様になりたいと日々祈り求めていると、御言葉を学んでいく中で、ブログをやろうという感動があり、今こうしてブログを書く様になりました。

話術、文章能力共にパウロの様にうまくはありませんが、一人でも多くの方が神様と出会えるきっかけをと思い、日々記事を更新させて頂いております。

今回は、使徒言行録についてを書かせて頂きましたが、RAPTさんの宣布して下さる御言葉を学ぶ事で、より詳しい時代背景やその他のありとあらゆる聖句についても、理路整然と分かりやすく伝えて下さっています。

ちょっとでも聖書を読んで見たいと興味を持たれた方は、是非聖書を手に取ってみて下さい。

そして、まずは新約聖書から読み進めていって下さい。

読み進めて行くと意味が分からない箇所が多数出てきますが、RAPTさんの宣布して下さる御言葉を学ぶ事で、理路整然とし、難解な聖書がスラスラと読める様になります。

この記事を読んで下さった方の内、たった一人の方でも聖書に興味を持って頂けたら幸いです。

また、一つだけ注意しなければならない点があります。

それは、聖書を読んで分からない箇所が出てきた際に、ネットで検索して出てきた解釈などは全て誤りです。

なぜなら、イルミナティどもが、正しいキリスト教を破壊しようと、嘘の解釈をそこかしこにばら撒いているからです。

ですから、聖書の解釈については、安易にネット情報を見ない方が知恵です。

嘘の情報を受け入れてしまうと、RAPTさんの宣布して下さる御言葉が理解できなくなる可能性があります。

十分にご注意下さい。

聖書について理路整然と正しい解釈をしているのは、RAPTブログ有料記事のみです。

この記事を通して、一人でも多くの方が聖書に、御言葉に興味を持って頂けたら大変嬉しいです。

共に世界を、より良い世界へと変えていきましょう!

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HAJIME