こんにちは。
HAJIMEです。
今回は磁石について書いていきたいと思います。
磁石は皆さんご存知の通り、N極とS極があって磁場を発生させている物体です。
N極とS極は互いに引き付け合い、同極同士だと反発する性質があります。
磁石については、小学生の理科で習った様な覚えがありますが、記憶が定かではありませんので、色々と調べてみました。
まず始めに、磁石のWikipediaを見ていた所、「キュリー点」という文言がありました。
磁化された強磁性体は以下のような方法で消磁することができる。
キュリー点を超える温度に加熱することで磁性体の磁区の配列の秩序を乱すことができ、結果として正味の磁気モーメントを0にすることができる
出典:磁石 – Wikipedia
「キュリー点」を超える温度に加熱する事で、「磁気モーメント」をゼロにする事が出来ると書かれています。
磁気モーメント(じきモーメント、英: magnetic moment)あるいは磁気能率とは、磁石の強さ(磁力の大きさ)とその向きを表すベクトル量である。
出典:磁気モーメント – Wikipedia
磁気モーメントがゼロという事は、磁力がゼロになる事を意味する様です。
キュリー温度(キュリーおんど、英: Curie temperature、記号{\displaystyle T_{\mathrm {c} }})とは物理学や物質科学において、強磁性体が常磁性体に変化する転移温度、もしくは強誘電体が常誘電体に変化する転移温度である。キュリー点(キュリーてん、Curie point)とも呼ばれる。ピエール・キュリーより名づけられた。
出典:キュリー温度 – Wikipedia
簡単に言うと、磁力がゼロになる温度を「キュリー点」と呼ぶ様です。
「キュリー点」は、「ピエール・キュリー」という人物の名前から付けたと書かれています。
ピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859年5月15日 – 1906年4月19日)は、フランスの物理学者。結晶学、圧電効果、放射能といった分野の先駆的研究で知られている。1903年、妻マリ・キュリー(旧名マリア・スクウォドフスカ)やアンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞した。
出典:ピエール・キュリー – Wikipedia
「ピエール・キュリー」は「放射能」を研究していた様です。
「放射能」が存在しない事は、RAPT理論にて既に明らかにされています。
- RAPT | RAPT×読者対談〈第57弾〉原発も原爆も存在しない。(後編) (rapt-neo.com)
- 原発も原爆も存在しないと断言できる幾つもの証拠(1) | Kawataのブログ (kawata2018.com)
- 原発も原爆も存在しないと断言できる幾つもの証拠(2) | Kawataのブログ (kawata2018.com)
- 原発も原爆も存在しないと断言できる幾つもの証拠(3) | Kawataのブログ (kawata2018.com)
更に、「ピエール・キュリー」は、妻の「マリー・キュリー」と「アンリ・ベクレル」と共に「ノーベル物理学賞」を受賞しています。
「マリー・キュリー」は、下記写真の人物になります。
マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリー(ポーランド語: Maria Salomea Skłodowska-Curie, 1867年11月7日 – 1934年7月4日)は、現在のポーランド(ポーランド立憲王国)出身の物理学者・化学者である。フランス語名はマリ・キュリー(Marie Curie、ファーストネームは日本語ではマリーとも)。キュリー夫人 (Madame Curie) として有名である。
1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し[1][2]、パリ大学初の女性教授職に就任した。1909年、アンリ・ド・ロチルド (1872-1946) からキュリー研究所を与えられた。
放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による[3]。
出典:マリ・キュリー – Wikipedia
「マリー・キュリー」は、あの有名な「キュリー夫人」の事だった様です。
そして、放射線研究でノーベル物理学賞とノーベル化学賞を受賞しています。
更に、「放射能」という用語はキュリー夫人の発案の様です。
続いて、「アンリ・ベクレル」は下記写真の人物になります。
アントワーヌ・アンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel, 1852年12月15日 – 1908年8月25日)は フランスの物理学者・化学者。放射線の発見者であり、この功績により1903年ノーベル物理学賞をピエール・キュリー、マリ・キュリーと共に受賞した[1]。パリ生まれ。息子のジャン・ベクレル(フランス語版)も物理学者・化学者である。
父親は蛍光や光化学の研究者アレクサンドル・エドモン・ベクレル、祖父は科学者アントワーヌ・セザール・ベクレルで研究者の道に進んだ。リセ・ルイ=ル=グラン、エコール・ポリテクニークで自然科学を、国立土木学校で工学を学んだ。
1908年、ブルターニュのル・クロワジック(フランス語版)にて55歳で急死。マリ・キュリー同様、放射線障害が原因だと考えられる。
放射能のSI単位のベクレル(Bq)はアンリ・ベクレルにちなんでいる。
出典:アンリ・ベクレル – Wikipedia
「放射線」の第一発見者が「アンリ・ベクレル」の様です。
キュリー夫人と同様に放射線障害が原因で急死したとありますが、「放射能」が存在しませんので、この死亡原因は「嘘」と言えます。
放射能の単位は「アンリ・ベクレル」の名前である「ベクレル」から来ている様です。
この「ピエール・キュリー」、「マリー・キュリー」、「アンリ・ベクレル」の3人が、「放射線=放射能」を発見した事になっていますから、現代における原発詐欺の発端になっていると言えます。
そして、この3人の中でも、様々な人物と交友関係を持っていたのが「マリー・キュリー」です。
1907年からのアンドリュー・カーネギーの資金援助もあり、研究所は10人ほどの研究員を抱えるまでになった[64]。
(中略)
マリは研究に戻り、ヘイケ・カメルリング・オネスと協同で低温環境下でのラジウム放射線研究の構想を練った。
(中略)
1911年10月末にブルッセルで開かれたソルベー会議には2人揃って出席し、マリは論文を発表した若きアルベルト・アインシュタインへチューリッヒ大学教職への推薦状を書いたりしている。
(中略)
1920年にロスチャイルド家が出資したキュリー財団が設立され、放射線治療の研究を支援したが、物理や化学の研究にはほとんど費用が回らなかった[74]。
(中略)
1922年にはユネスコの前身に当る国際知的協力委員会(International Committee on Intellectual Cooperation, ICIC)メンバー12人のひとりに加わった[79]。相変わらず着飾ることなどしなかったため、新渡戸稲造は第1回会合時の彼女の印象を「見栄えもしない愛想のない人物」と自著に残した[81]。
出典:マリ・キュリー – Wikipedia
まず、「アンドリュー・カーネギー」と「ロスチャイルド」から資金援助を受けていますが、どちらもイルミナティです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、ユネスコの前身に当たる「国際知的協力委員会(ICIC)」のメンバー1人で、「新渡戸稲造」とも繋がっていました。
「ユネスコ」と言えば、「国連」と「世界エスペラント協会」つ協力関係にあります。
(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、「エスペラント」は悪魔崇拝へと通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、「マリー・キュリー」はイルミナティ(=悪魔崇拝者)と言えます。
更に、彼女と繋がりのある人物として、「ヘイケ・カメルリング・オメス」なる人物がいます。
ヘイケ・カマリン・オンネス(Heike Kamerlingh Onnes, 1853年9月21日–1926年2月21日) は、オランダの物理学者である。日本ではカーメルリング・オンネス、カマリン・オンネス、カマリン・オネスなど様々にカナ表記されている。ヘリウムの液化に成功、超伝導の発見など、低温物理学の先駆者として知られている。1913年にノーベル物理学賞を受賞した。
出典:ヘイケ・カメルリング・オネス – Wikipedia
「ヘイケ・カメルリング・オメス」 は、「ヘリウム」の液化に成功し、「超電導」を発見した人物で、ノーベル物理学賞を受賞しています。
どうやら「超電導」にもイルミナティが関わっている様ですから、「超電導」にも何か秘密があるのかもしれません。
もし嘘だとしたら、リニア中央新幹線の技術そのものが根底から覆る事になります。
そして、「マリー・キュリー」は、インチキ相対性理論の「アルベルト・アインシュタイン」にチューリッヒ大学教職への推薦状をも書いていました。
アインシュタインは、「ボース=アインシュタイン凝縮」という予言をしていますが、この「ボース=アインシュタイン凝縮」が「超電導」とも関りがありました。
ボース=アインシュタイン凝縮(ボース=アインシュタインぎょうしゅく、英: Bose–Einstein condensation[注 1])、または略してBECとは、ある転移温度以下で巨視的な数のボース粒子がある1つの1粒子状態に落ち込む相転移現象[1][2][3][4]。
(中略)
BCS理論で記述できる超伝導現象では、電子の対であるクーパー対をボース粒子として、厳密な言い方ではないがボース=アインシュタイン凝縮が起きているとみなすことができる。クーパー対は電子対なので、電子対凝縮(単に対凝縮とも)と言うことがある。
出典:ボース=アインシュタイン凝縮 – Wikipedia
「BCS理論」で記述される「超電導現象」で、「ボース=アインシュタイン凝縮」が起きているとみなす事が出来るそうです。
「BCS理論」については下記引用をご覧ください。
BCS理論(ビーシーエスりろん、BCS theory、Bardeen Cooper Schrieffer)とは、1911年の超伝導現象発見以来、初めてこの現象を微視的に解明した理論。1957年に米国、イリノイ大学のジョン・バーディーン、レオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーの三人によって提唱された。三人の名前の頭文字からBCSと付けられた。この理論によると超伝導転移温度や比熱などが、式により表される。三人はこの業績により1972年のノーベル物理学賞を受賞した。
出典:BCS理論 – Wikipedia
BCS理論は「超電導現象」を「微視的」に解明した理論だそうです。
「微視的」については下記引用をご覧ください。
微視的(びしてき、英: microscopic[1])とは、肉眼で見えない微小な物や事[2]。
出典:微視的と巨視的 – Wikipedia
肉眼では見えない物や事と書かれています。
つまり、BCS理論を言い換えると、肉眼では「超電導現象」が見られなかったけれど、理論はでっち上げる事が出来ましたよという風にも考えられます。
その功績として、ノーベル物理学賞を3人揃って受賞しています。
ノーベル賞はアインシュタインの嘘を隠す為にありますから、アインシュタインとBCS理論から、超電導も嘘である可能性が考えられます。
更にアインシュタインは、「マイケル・ファラデー」「アイザック・ニュートン」、「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」の肖像を壁に貼っていた様です。
アルベルト・アインシュタインは壁にファラデー、ニュートン、マクスウェルの肖像を貼っていたという[6]。
出典:マイケル・ファラデー – Wikipedia
「マイケル・ファラデー」は下記写真の人物になります。
マイケル・ファラデー(英: Michael Faraday、1791年9月22日 – 1867年8月25日)は、イギリスの化学者・物理学者(あるいは当時の呼称では自然哲学者)で、電磁気学および電気化学の分野での貢献で知られている。
直流電流を流した電気伝導体の周囲の磁場を研究し、物理学における電磁場の基礎理論を確立。それを後にジェームズ・クラーク・マクスウェルが発展させた。同様に電磁誘導の法則、反磁性、電気分解の法則などを発見。磁性が光線に影響を与えること、2つの現象が根底で関連していることを明らかにした[2][3]。電磁気を利用して回転する装置(電動機)を発明し、その後の電動機技術の基礎を築いた。それだけでなく電気を使ったテクノロジー全般が彼の業績から発展したものである。
化学者としては、ベンゼンを発見し、塩素の包接水和物を研究し、原始的な形のブンゼンバーナーを発明し、酸化数の体系を提案した。アノード、カソード、電極 (electrode)、イオンといった用語はファラデーが一般化させた。
出典:マイケル・ファラデー – Wikipedia
「マイケル・ファラデー」は電磁場の基礎理論を確立した人物になります。
また、「ベンゼン」の発見者でもある様です。
「ベンゼン」は麻薬としても使われています。
続いて、「アイザック・ニュートン」です。
サー・アイザック・ニュートン(英: Sir Isaac Newton、1642年12月25日 – 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 – 1727年3月31日[注 1])は、イングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者。
出典:アイザック・ニュートン – Wikipedia
ニュートンと言えば、「万有引力の法則」が有名ではないでしょうか。
万有引力(ばんゆういんりょく、英語: universal gravitation)または万有引力の法則(ばんゆういんりょくのほうそく、英語: law of universal gravitation)とは、「地上において質点(物体)が地球に引き寄せられるだけではなく、この宇宙においてはどこでも全ての質点(物体)は互いに gravitation(=引き寄せる作用、引力、重力)を及ぼしあっている」とする考え方、概念、法則のことである。
出典:万有引力 – Wikipedia
存在しない「宇宙」が出てくる時点で、「万有引力の法則」も嘘の可能性が出てきました。
次に、「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」が下記写真の人物になります。
ジェームズ・クラーク・マクスウェル(英:James Clerk Maxwell、1831年6月13日 – 1879年11月5日)は、イギリス・スコットランドの理論物理学者である。姓はマックスウェルと表記されることもある。
マイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立した。さらに電磁波の存在を理論的に予想しその伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示した。これらの業績から電磁気学の最も偉大な学者の一人とされる。また、土星の環や気体分子運動論・熱力学・統計力学などの研究でも知られている。
出典:ジェームズ・クラーク・マクスウェル – Wikipedia
「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」は「マイケル・ファラデー」の理論を引き継いで研究した様ですが、存在しない宇宙の「土星の環」の研究もしているとの事。
更に、マクスウェルは「マクスウェルの悪魔」なる思考実験を提唱しています。
マクスウェルの悪魔(マクスウェルのあくま、Maxwell’s demon)とは、1867年ごろ、スコットランドの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルが提唱した思考実験、ないしその実験で想定される架空の、働く存在である。マクスウェルの魔、マクスウェルの魔物、マクスウェルのデーモンなどともいう。 分子の動きを観察できる架空の悪魔を想定することによって、熱力学第二法則で禁じられたエントロピーの減少が可能であるとした。 熱力学の根幹に突き付けられたこの難問は1980年代に入ってようやく一応の解決を見た。
出典:マクスウェルの悪魔 – Wikipedia
普通に考えて、ただの学者がわざわざ「悪魔」を想定しますかね・・・。
思考実験については下記引用をご覧ください。
思考実験 (しこうじっけん、英 thought experiment、独 Gedankenexperiment)とは、頭の中で想像するのみの実験[1]。科学の基礎原理に反しない限りで、極度に単純・理想化された前提(例えば摩擦のない運動、収差のないレンズなど)により遂行される[2]。
出典:思考実験 – Wikipedia
思考実験は「頭の中で想像するのみの実験」と書かれています。
つまり、ただの妄想と言えるのではないでしょうか。
その妄想にわざわざ「悪魔」を使用しているという事は、「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」も悪魔崇拝者の可能性が高そうです。
で、この「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」を指示していたのが、「ジョン・フレミング」です。
ジョン・アンブローズ・フレミング(Sir John Ambrose Fleming, 1849年11月29日 – 1945年4月18日)は、イギリスの電気技術者、物理学者。1904年、熱イオン管または真空管(二極管)「ケノトロン (kenotron)」を発明したことで知られている[1]。また、数学や電子工学で使われるフレミングの法則を考案した[2]。
出典:ジョン・フレミング – Wikipedia
「ジョン・フレミング」と言えば、「フレミングの法則」で有名です。
フレミング左手の法則(フレミングひだりてのほうそく、英: Fleming’s left hand rule)または、フレミングの左手の法則は、ジョン・フレミングによって考案された、磁場内において電流が流れる導体に力が発生する現象(ローレンツ力)の、それぞれの向きの関係を示す方法である。
出典:フレミングの左手の法則 – Wikipedia
左手や右手を使って、力の向きを示す方法です。
で、力が発生する現象を「ローレンツ力」と言います。
ローレンツ力(ローレンツりょく、英: Lorentz force)は、電磁場中で運動する荷電粒子が受ける力のことである。 名前はヘンドリック・ローレンツに由来する。
出典:ローレンツ力 – Wikipedia
「ローレンツ力」の名前の由来になっている人物が「ヘンドリック・ローレンツ」です。
ヘンドリック・アントーン・ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz、1853年7月18日 – 1928年2月4日)は、オランダの物理学者。ゼーマン効果の発見とその理論的解釈により、ピーター・ゼーマンとともに1902年のノーベル物理学賞を受賞した。ローレンツ力、ローレンツ変換などに名を残し、特に後者はアルベルト・アインシュタインが時空間を記述するのに利用した。
(中略)
1953年、アルベルト・アインシュタインは彼について「私個人にとって、人生で出会った最重要な人物」だったと記している[7]。
出典:ヘンドリック・ローレンツ – Wikipedia
「ヘンドリック・ローレンツ」も「ピーター・ゼーマン」と共にノーベル物理学賞を受賞しています。
そして、「ヘンドリック・ローレンツ」が残した「ローレンツ変換」をアインシュタインが利用していますし、彼にとって最重要な人物だったと記されている様です。
「ヘンドリック・ローレンツ」と共にノーベル物理学賞を受賞した「ピーター・ゼーマン」ですが、「超電導」を発見した「ヘイケ・カメルリング・オメス」を師事していました。
ピーター・ゼーマン(Pieter Zeeman, 1865年5月25日 – 1943年10月9日)は、オランダの物理学者。1902年に、ゼーマン効果の発見によりノーベル物理学賞をローレンツとともに受賞した[1]。
(中略)
1885年、大学入学資格試験に合格し、ライデン大学で物理学を専攻し、ヘンドリック・ローレンツとカメルリング・オネスの指導を受けるようになる。1890年、学位論文を書く前にローレンツの助手になり、磁気光学カー効果の研究に参加した。
出典:ピーター・ゼーマン – Wikipedia
この様に、磁石→キュリー点→放射能→アインシュタイン→超電導へと繋がり、アインシュタインに絡んでいる人物が軒並みノーベル物理学賞を受賞しています。
そして、「アイザック・ニュートン」の「万有引力の法則」ですが、「万有引力の法則」の基になった理論として「ケプラーの法則」があります。
ケプラーの法則(ケプラーのほうそく)は、ヨハネス・ケプラーによって発見された惑星の運動に関する法則である。
(中略)
ケプラーの法則は、天動説に対する地動説の優位を決定的なものにした。ニコラウス・コペルニクスによって地動説が唱えられて以降も、地動説に基づく惑星運動モデルは、従来の天動説モデルと比べ、実用上必ずしも優れたものではなかった。
出典:ケプラーの法則 – Wikipedia
「ケプラーの法則」によって、天動説に対する地動説の優位を決定的なものしたと書かれています。
しかしながら、RAPT理論にて宇宙が存在せず、地球が平面であり、自転していない事が明らかになりました。(詳細は下記インスタグラムをご覧ください。)
つまり、「地動説」は嘘という事になります。
「ケプラーの法則」を唱えていたのが「ヨハネス・ケプラー」という人物です。
1596年には『宇宙の神秘(英語版)』を出版した。この書は、「太陽を中心として六惑星(水星・金星・地球・火星・木星・土星)が、5個の正多面体につぎつぎと外接・内接することによって、その距離が保たれている」と説明するものであった[注釈 2]。また、この書でケプラーはニコラウス・コペルニクスの唱えた太陽中心説(地動説)[注釈 3]を全面的に支持した。天文学者の中でコペルニクスの説を全面的に支持したのはケプラーが初めてであり、これを読んだガリレオ・ガリレイはケプラーにその考えを支持する旨の手紙を送った[7]。
出典:ヨハネス・ケプラー – Wikipedia
「ヨハネス・ケプラー」によって、「ニコラウス・コペルニクス」の「太陽中心説(地動説)」が初めて支持され、「ガリレオ・ガリレイ」にも影響を与えた様です。
ガリレオ・ガリレイ(伊: Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 – グレゴリオ暦1642年1月8日)は、イタリアの物理学者、天文学者[1][2]。
(中略)
1610年、木星の衛星を発見、「メディチ家(トスカーナ大公家のこと)の星」と名づける。これを『星界の報告』(Sidereus Nuncius)として公刊する。このころから、地動説へ言及することが多くなる。(ケプラーが『星界の報告者との対話』を発刊、ガリレオを擁護する。)
(中略)
ベネディクト16世は2008年12月21日に行われた、国連やユネスコが定めた「世界天文年2009」に関連した説教で、ガリレオらの業績を称え、地動説を改めて公式に認めている[注 7]。
出典:ガリレオ・ガリレイ – Wikipedia
「ガリレオ・ガリレイ」は、1610年に木星の衛星を見つけては「メディチ家の星」と名付けていた様です。
「ガリレオ・ガリレイ」は貴族の出身ですから、メディチ家と繋がっていた可能性が考えられます。
メディチ家=秦氏です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、2008年12月21日に、ローマ教皇ベネディクト16世が「地動説」を改めて公式に認める発言をしています。
ローマ教皇もイルミナティ(=悪魔崇拝者)ですから、改めて「地動説」が嘘であるという事に間違いないと言えます。
そして、当時主流だった「天動説」から「太陽中心説(地動説)」を唱えたのが、「ニコラウス・コペルニクス」です。
ニコラウス・コペルニクス(ラテン語名: Nicolaus Copernicus、ポーランド語名: ミコワイ・コペルニクMikołaj Kopernik[ヘルプ/ファイル]、1473年2月19日 – 1543年5月24日[1])は、ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭であると誤解されがちであるが、第二ヴァチカン公会議以前に存在した制度の「下級品級」であり、現在でいわれるような司祭職受階者ではない。晩年に『天球の回転について』を著し、当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる。(ただし、太陽中心説をはじめて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスである)。
出典:ニコラウス・コペルニクス – Wikipedia
「ニコラウス・コペルニクス」の服が「赤」です。
同じく、コペルニクスの地動説を支持したのが「ガリレオ・ガリレイ」です。
彼は「メディチ家(=秦氏=赤)」繋がっている可能性がありますので、もしかすると「天動説」から「太陽中心説(地動説)」を主流にしようとしたのは、秦氏なのかもしれません。
また、「太陽中心説(地動説)」の起源は古代ギリシャに遡ります。
アリスタルコス(希: Αρίσταρχος, 羅: Aristarchus、紀元前310年 – 紀元前230年頃)は、古代ギリシアの天文学者、数学者。ギリシャのサモス島に生まれた。同名の人物と区別するために、サモスのアリスタルコス(希: Αρίσταρχος ὁ Σάμιος, 羅: Aristarchus Samius, 英: Aristarchus of Samos)と呼ばれることも多い。
宇宙の中心には地球ではなく太陽が位置しているという太陽中心説を最初に唱えた(このため彼は「古代のコペルニクス」と呼ばれることもある)。彼の天文学の学説は広く受け入れられることはなく、ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。
出典:アリスタルコス – Wikipedia
となると、古代ギリシャの時代から、既に「太陽中心説(地動説)」の考えがあった事になります。
RAPT理論にて地球が球体ではなく平面であり、かつ自転もしていない事が明らかになった結果、「太陽中心説(地動説)」は明らかな嘘である事になります。
ですから、「太陽中心説(地動説)」→「ケプラーの法則」→「万有引力の法則」→「アインシュタイン」へと繋がる事になります。
宇宙が存在しない事と地球が平面で自転していない事によって、イルミナティによる嘘が芋づる式に繋がってきました。
今回の記事を書く上で感じた事として、「磁石」に関する理論にやたらとノーベル物理学賞が絡んでいる印象を受けました。
逆を言えば、イルミナティが隠したい何かがあるから、ノーベル物理学賞で権威付けした理論で、がんじがらめにしている様に見受けられます。
「磁石」には、我々庶民が知らされていない秘密が隠されているのかもしれません。
実際に、地球には磁力がありますし、UFOや太陽、月も磁力を利用して浮いているのかもしれません。
そして、UFOだけでなく、電磁浮遊で移動出来る乗り物が過去に開発されていました。
下記ツイートの動画をご覧ください。
これは恐らくですが、地球の磁力を利用して浮力を得ているのではないかと考えられます。
こういった便利な技術があったにも関わらず、現代に普及していない所を見ると、イルミナティが技術を接収している可能性が考えられます。
そして、磁力で浮く「ホバーボード」の開発を「レクサス(=トヨタ)」が行っていました。
さも苦労して開発している様に見せていますが、トヨタは「水素自動車ミライ」をパクっていた実績があります。
ですから、この「ホバーボード」の技術もパクりである可能性が十分に考えられます。
磁石に関する理論の全てが嘘だと思いませんが、イルミナティが絡んでいる以上、嘘が混ざっている事は間違いないと思われます。
イルミナティによる噓が全て暴かれ、真実が明るみに出る日が来る事を心から願っています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME