こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、ジョジョの奇妙な冒険について書いていきたいと思います。
ジョジョの奇妙な冒険は、集英社の週刊少年ジャンプに連載されていた漫画です。
コアなファンが多く、後にアニメ化をもされています。
ジョジョの奇妙な冒険の作者が「荒木飛呂彦」という人物です。
16歳の時に同い年のゆでたまごが『週刊少年ジャンプ』でデビューしたことに焦りを感じ、高校3年の時に初投稿、以後何度か投稿を重ね、専門学校在学中の1980年(昭和55年)に「武装ポーカー」で第20回手塚賞に準入選しデビュー。
出典:荒木飛呂彦 – Wikipedia
荒木飛呂彦は、手塚賞に準入選してデビューしています。
手塚賞は、「手塚治虫」へと繋がります。
手塚治虫は、エスペランティストですから、イルミナティ(悪魔崇拝者)です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、荒木飛呂彦もイルミナティの可能性が考えられます。
そして、荒木飛呂彦は「土方歳三」にそっくりです。
土方歳三は新選組の副長を務めていた人物として有名です。
実は、土方歳三は「梅」をこよなく愛していた人物でもあります。
梅と言えば、李家の家紋になっています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、土方歳三は李家である可能性が考えられます。
そうしますと、土方歳三とそっくりの荒木飛呂彦も、李家の血筋である可能性が考えられます。
李家は、イルミナティ13血流の一つですから、荒木飛呂彦がイルミナティである可能性が更に高まります。
そして、ジョジョの奇妙な冒険に出てくるキャラクターに「ディオ(DIO)」というキャラクターがいます。
「ディオ」の名前はイタリア語で「神」という意味に由来している。
出典:ディオ・ブランドー – Wikipedia
ディオは、イタリア語で「神」という意味の様です。
そして、DIOもまたエスペラント語で「神」という意味になります。
下記ツイートをご覧ください。
DIOは、エスペラント語でも「神」の意味を持たせています。
エスペラント語を使っているという事は、荒木飛呂彦もイルミナティ(悪魔崇拝者)と言えます。
更に、荒木飛呂彦がイルミナティであると言える理由があります。
ジョジョの奇妙な冒険第3部の冒頭のシーンをご覧ください。(冒頭~3:37頃まで)
ご覧の通り、仮面を着けた神官が、ピラミッドの頂上で生贄の女性を殺しては、その血を浴びています。
そして、血を浴びた神官は、何か力を得たかの様にも描かれています。
これらは全て、マヤ・アステカ・インカ文明で行われていた生贄儀式を描いているものと考えられます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
動画を基にご説明していきますと、まず冒頭で太陽が昇り、夕陽になります。(12秒~19秒)
冒頭で太陽を用いているのも、太陽信仰を表しているのではないでしょうか。
実際に、マヤ・アステカ・インカ文明は太陽信仰です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
太陽信仰と言えば、古代エジプトに通じますし、日本の天皇家へと通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、ピラミッドの頂上で神官が盾を持っています。(24秒頃)
この盾が、渦を巻いている様に見えます。
渦巻は、日月神示であるカタカムナへと繋がります。
カタカムナと言えば、ルシファー信仰へと繋がります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、マヤ文明の「クグマッツ(ククルカン)」は、アステカ文明の「ケツァルコアトル」と同一視されており、「金星の神」とされています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
金星の神=ルシファーを意味する事になります。
つまり、クグマッツ(ククルカン)=ケツァルコアトル=金星の神=ルシファーとなります。
ですから、盾に描かれている渦巻はカタカムナ=ルシファーを表しているものと考えられます。
そして、30秒に描かれているピラミッドは、テオティワカンの「太陽のピラミッド」に酷似しています。
動画に出てくる生贄儀式は、アステカ文明で行われていた生贄儀式と考えられます。
更に、35秒~40秒、1:10辺りで、火を焚いている様は、ゾロアスター教を意識している様に見受けられます。
ゾロアスター教も悪魔教です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、1:25頃に出てくる仮面が、アステカ文明に見られる「石のマスク」です。
大理石のマスクもある様です。
ジョジョの奇妙な冒険に描かれている事からも、実際にアステカ文明では、これらのマスクを着用して生贄儀式を行っていたものと考えられます。
このマスクを見ているだけでも、どこか不気味な雰囲気を感じますので、生贄儀式で使われていたのではないかと思われます。
また、マスクと言えば、スタンリーキューブリックの映画「アイズ・ワイド・シャット」の仮面パーティーが思い出されます。
ご覧の通り、マスクを着用して悪魔崇拝儀式を行っています。
マスクの着用には、プライバシーの保護もあるのかもしれませんが、どちらかと言うと、アステカ文明に見られる様に、宗教的な儀礼の意味の方が強いものと思われます。
また、2:14に出てくる赤いマスクは、「ドナルド・トランプ」に似ている様に感じます。
つまり、トランプも儀式に参加しているぞと、暗に主張している様にも見受けられます。
映画「アイズ・ワイド・シャット」の監督である「スタンリー・キューブリック」は、イルミナティの秘密を漏らしている為、暗殺されたものと思われます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
トランプに模した仮面を登場させている事からも、スタンリー・キューブリックを暗殺した首謀者は、「ドナルド・トランプ」なのではないでしょうか。
実際に、トランプは「ジェフリー・エプスタイン」と親友でしたから、エプスタインと共に悪魔崇拝儀式を行っていたものと考えられます。
下記ツイートをご覧ください。
トランプも娘を溺愛している事からも、小児性愛者ですから、性的虐待を行っていたとしても不思議ではありません。
また、アメリカの歴代大統領がフリーメイソンの会員ばかりで、皆イルミナティ(悪魔崇拝者)ですから、トランプも例外ではないでしょう。
また、トランプとエプスタインが似ている事からも、近縁であるものと思われます。
下記ツイートをご覧ください。
また、ドラマ「半沢直樹」でお馴染みの「堺雅人」も、ブライアン・エプスタインとそっくりです。
下記ツイートをご覧ください。
堺雅人も上級国民であり、イルミナティ(悪魔崇拝者)であると言えます。
ジョジョの奇妙な冒険に話を戻しますが、動画の2:49辺りで、DIOの背中に「五芒星」が描かれています。
五芒星が描かれているのも、五芒星=梅の花を表しているものであると考えられます。
下記ツイートをご覧ください。
安倍晋三(李家)のルーツである「晴明神社」は、五芒星がシンボルマークとして使用されています。
少し見づらいですが、提灯の左側に五芒星が描かれています。
一の鳥居の社号額には五芒星の社紋が描かれている。
出典:晴明神社 – Wikipedia
また、一の鳥居の社号額にも五芒星が描かれています。
そして、梅の花が5枚の花弁である事からも、五芒星=梅の花とみなしている可能性が考えられます。
ですから、五芒星=梅の花=李家へと繋がります。
荒木飛呂彦も李家の可能性が高く、DIOはエスペラント語で「神」の意味です。
つまり、ジョジョの奇妙な冒険というのは、「李家」が「神」だとする李家礼賛のアニメと言えます。
そして、DIOの登場シーンの後は、石仮面が血を吸う描写があります。
血を吸う描写があるのも、悪魔崇拝儀式の一環です。
実際に、イルミナティは幼児の血液で作られている「アドレノクロム」を飲んでいます。
ですから、血液と悪魔崇拝儀式は切っても切れない関係にあります。
そして、血を浴びて石仮面が覚醒した後、神官が衣服を破る際に映る両手の甲には、ある模様が描かれています。
その模様が「公明党」のロゴマークにそっくりです。
公明党と言えば、支持団体である創価学会へと繋がります。
「創価」には、「リイ」と、李家のアナグラムが隠されています。
下記ツイートをご覧ください。
ジョジョの奇妙な冒険にて、血を浴びて力を得ている神官も李家の事を表しているものと考えられます。
その証拠に、2021年に開催された東京五輪では、創価学会のシンボルに満ちた悪魔崇拝儀式そのものでした。
下記ツイートをご覧ください。
聖火台が、正にピラミッドそのものですし、人身御供のウィッカーマンまであります。
もしかすると、ジョジョの奇妙な冒険に出てくるピラミッドでの生贄儀式は、東京五輪の開会式を暗示するイルミナティの予告だったのかもしれません。
実際に、ジョジョの奇妙な冒険は、2001年に起きた「9.11」の予告もしていました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、ジョジョの奇妙な冒険の動画の4:07には、石仮面と植物で十字架が描かれています。
植物はドルイド教を表し、十字架は悪魔崇拝のシンボルになります。
これらの事から、ジョジョの奇妙な冒険はどこまでも悪魔崇拝のシンボルに満ちたアニメと言えます。
そして、ジョジョの奇妙な冒険の作者である荒木飛呂彦も間違いなくイルミナティ(悪魔崇拝者)と言えます。
実際に、アステカ文明で行われていた生贄儀式について、ご紹介致します。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
・アステカ文明の恐ろしい儀式と生贄について
http://fukayomi-asia.net/aztec-sacrifice/
※アステカ人は神々から恩恵を受けるため、人々を虐殺し生贄としました。それは習慣となり、年に何十万人もの人が犠牲になったと言われています。
テスカトリポカの祭り
テスカトリポカの祭りは、太陽に命を捧げる催しです。トシュカトルと呼ばれるアステカ太陽暦の5番目の月に、神テスカトリポカに似ている男性が1人選ばれます(髪が長く、背の高い者)。その男性は翌年、神のように扱われるとか。
選ばれた者は肌を黒く塗られると、花の冠や貝殻の胸当て、また宝石類を身につけます。そして4人の美女が妻になるとのこと。
テスカトリポカは、アステカ神話の主要な神の1柱。神々の中で最も大きな力を持つとされています。キリスト教の宣教師たちは悪魔であると認識しているようです。
選ばれた男性は、笛を吹きながらアステカの町を周ることになります。それを行うと人々から尊敬の念を集めることができるとのこと。
神のように扱われて1年経ち、再びトシュカトルの月に入ると、その男性は大きなピラミッド状の神殿に登ります。そして司祭が、彼を祭壇に横たえて心臓をえぐり、太陽に捧げます(司祭が動く心臓を高くかかげる)。
その行為が終わると、また翌年の犠牲者が選ばれます。
儀式後に人肉を食べる
犠牲者の肉はトウモロコシと一緒に炒められ、貴族や司祭たちに食べられていました。また骨は楽器や武器などに利用されました。
当時の儀式料理「ポゾール」は、現在メキシコの伝統的なスープ料理となり人々に親しまれています。
メキシコの各地域で、独自のスタイルがあるとのこと。豚肉、にんにく、たまねぎ、キャベツ、ライムなどがトッピングされています。
アステカポゾールでは、犠牲者の切り刻んだ肉が使われていました。1500年代にスペイン人がメキシコに到着すると、彼らはカニバリズム(人食い)を禁止します。それからポゾールの人肉レシピは、豚肉で代用されることになります。アステカ人は「あまり味が変わらない」とし、豚肉を人肉のように味わったとのことです。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
生贄儀式を行った後、その生贄の犠牲者を調理して食べていた様で、その儀式料理をポゾール(現在ではポソレ)と言います。
生贄儀式だけでなく、儀式料理で人肉を食していたというアステカ文明は、どこまでも悪魔的であると言わざるを得ません。
人肉食文化もまた悪魔崇拝へと通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
スペインによる植民地支配によって人肉が使えなくなったアステカ人は、人肉の代用として豚肉を使用している様です。
その理由が、人肉とあまり味が変わらないからと書かれています。
本当に似ているのか人肉を食べた事が無いので分かりませんが、イルミナティの観点からいきますと、人肉の代わりに聖書にて禁じられている豚の肉に変えただけの様にも考えられます。
聖書には以下の様に書かれています。
園に入るために身を清め、自分を聖別し、その中にある一つのものに付き従い、豚や忌まわしい獣やねずみの肉を食らう者は、ことごとく絶たれる、と主は言われる。
イザヤ書 66章 17節
聖書では、豚の肉は汚れているから食べてはいけないと書かれています。
これは、豚肉には寄生虫がいる事から、食べてはいけないと神様は仰っているのです。
旧約聖書の時代は、6000年前~2000年前の話ですから、当時の人々は寄生虫の存在を知りません。
ですから、人々の健康を守る為に、神様は豚の肉を食べてはいけないと仰っているのです。
その為、スペインに侵略されたアステカ人は、人肉の代わりに、聖書で禁じられている豚の肉を用いたものと考えられます。
もし、本当に豚肉と人肉が似ているという事であれば、その両方の意味があるものと考えられます。
そして、ポソレは今現代においても、お祝い事で食される伝統料理の様です。
ポソレのルーツ(生贄の儀式料理)から考えますと、決してお祝いの料理とは思えません。
ポソレがお祝い事での料理というのも、イルミナティの洗脳であるとものと考えられます。
また、アステカ文明において、生贄になる事はとても栄誉ある事だった様です。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
自分から進んで、神の供物となる
アステカ文化によると、神に命を捧げることは名誉だと考えられていたそうで。帝国の犯罪者や売春婦たちの一部は、自ら進んで儀式の生贄になりたがっていたとか。またアステカ文化を共有していた国の捕虜は、スペイン人によって開放されたとき、栄光の死を奪われたとして怒ったといいます。
アステカ人の犠牲の精神は、彼らの思う宇宙創造論から来ているそうです。彼らは神々に食事を与えると、宇宙の乱れが収まりバランスが取れ、長く生きられると考えていました。そのため神への犠牲は、尊敬にあたいする行為と思われていたとのことです。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
ご覧の様に、生贄として犠牲になる事は、栄光の死とされ、アステカ人は自ら進んで生贄になりたがっていた様です。
アステカ文明で、これほどまでに生贄儀式が行われていたのには、以下の理由がある様です。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
・Sol(太陽)
http://solyluna.mysnco.com/item/2002-1.html
メキシコでは古くから太陽信仰がありました。 「アステカの暦石」では、今ある世界よりも前に4つの世界(あるいは4つの太陽)の存在をご紹介しました。 では、第5番目の太陽(今、私たちが目にしている太陽)はどんな風にして生まれたのでしょうか。
第4の太陽が洪水で失われた後、光の神であるケツァルコアトル(羽のある蛇)と、 闇の神で煙を吐く鏡テスカトリポカという相反する性格の2人の神が力を合わせてまず大地を造ったとされています。
大地ができたあと、ケツァルコアトルは犬の神ショロトルと地底世界へ行き、第4の世界で洪水で死んだ人々の骨を取り返して、 トウモロコシのように砕いて粉々し、それに神々の血を混ぜて現在の人間の姿を作りました。
人間の創造が終わると、神々は暗闇の中でテオティワカンに集まり、 第5の太陽(ナウイ・オリン)を創り出すことにしたのです。このときにはまだ世界は真っ暗な暗黒の世界でした。 そのためには神々のうち一人が巨大な火葬用の焚き火に身を投じなければならないと決まり、 まず放漫なテスシクテカトルが志願し、そのあと病弱で地位も低いナナワツィンが周囲に進められ遠慮勝ちに出てきました。
準備段階として、2人の神は4日間断食をし、苦行をおこないました。
いよいよ焚き火に飛び込む段になって、テクシステカトルは炎を前に4度火に向かって走り、 そのたびに引き返しました。ナナワツィンはためらうこともなく勇敢に火の中に飛び込みました。 それをみてテクシステカトルも後に続きます。
ナナワツィンのほうは太陽となって昇りました。 テクシステカトルも同じ輝きを帯びてでてきましたが、 神の一人がテクシステカトルの顔にウサギを投げて光輝を弱めたため、光の弱い天体である月になりました。
その後、その太陽や月をコントロールするために残りの神々も次々自らを生贄として捧げ、 彼らの亡骸から神聖な包み「トラキミロリ」がつくられました。
(古代メソアメリカの人々はこの「血の負債」 つまり、人間は血と肉を永遠に神々に請け負っているという考え方を持っていたと考えられ、 それが「太陽に滋養を与えるための人身供犠」につながっていきます。)
これらのことからも、アステカの人々にとって夜明けというのは単なる一日の始まりではなかったのです。 それは死に満たされた「地底世界」の辛苦の深淵を通り抜けた「太陽」の再生であったわけです。 太陽は西に沈んだ後、真夜中に地底世界の底まで行き、そこから再び上昇して東から昇ると信じられていました。
そして、地底世界を通り抜けてきた太陽は、空へ昇るという骨の折れる道行きのために、 人間の血と心臓という形での滋養を必要とすると考えられていたのです。 毎日毎日太陽がまた昇るかどうかとても心配だったのでしょう。
一説にはアステカ人の戦争形態とは私たちが考える決定的な勝利を収めるためのものではなく、 生け贄用の捕虜を得るためのものだったようです。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
この様に、太陽は人間の血と心臓という犠牲を捧げなければ、太陽が昇らないと考えられていた様です。
むしろ、当時のアステカ人がイルミナティ(あるいはドルイドの神官)によって、その様に洗脳されていたと考えられます。
また、この様な記述もあります。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
・6番目の太陽 ~アステカ帝国の滅亡~
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/mizutasekaisi/6azteca.htm
湖上の都テノチティトラン
標高2200m、現在メキシコシティは世界有数の大都市として発展しています。この大都市の地下には、15~6世紀に栄えたアステカ帝国の都が眠っています。昔、メキシコシティの中心には大きな湖がありました。その湖岸からまっすぐにのびる広い堤道を渡ると小島があり、そこにアステカ帝国の都テノチティトランがあったのです。
人身御供(ひとみごくう)
湖上の都テノチティトランでは、日々想像を絶するような儀式が行われていました。太陽神ウィツィロポチュトリの神殿で、毎日人間の「いけにえ」が捧げられていたのです。この人身御供の儀式は神官6人で行われました。4人が「いけにえ」の手足を押さえ、もう一人がのどを押さえます。そして最後の一人が胸を切り裂いて心臓を取り出し、湯気が立っている心臓を太陽に捧げるのです。重要な儀式の日は、数千もの心臓が神に捧げられました。
いけにえにされる人は、戦争捕虜でした。日々のいけにえを確保し続けるためにアステカ人は戦争をして勝ち続けなければなりませんでした。戦争に敗れた人たちが捕虜として都につれてこられ、その心臓が太陽の神に捧げられていたのです。
5番目の太陽の時代
神話によると、アステカの時代は5番目の太陽の時代と考えられていました。最初の太陽は676年続き人々はジャガーに食われて太陽とともに滅んだと伝えられています。2番目の太陽は364年続いて風によって滅び、3番目の太陽は312年続いて火によって滅び、4番目の太陽は676年続いて水によって滅びました。すべて52年の倍数の周期でまわっています。そして、アステカの時代は5番目の太陽の時代と考えられていました。
太陽は、夜になると地下の闇に沈みます。その太陽が闇と戦って勝つと、明朝再び昇ってくるのです。もし、うち勝てなければ太陽とともに世界が滅亡するのです。太陽が戦いに勝つために、人間の心臓を捧げてエネルギーを与えなければならないとアステカ人は考えていました。彼らは1日でも太陽の滅亡を遅らせるべく、人身御供の儀式を続けていたのです。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
湖上の都「テノチティトラン」では、毎日の様に人間の生贄が捧げられていた様です。
そして、生贄にされていた人間は「戦争の捕虜」との事。
生贄の人間を確保する為に、戦争を起こしては捕虜として連れ帰り、生贄とされていた様です。
毎日の様に生贄儀式を行っていたのも、太陽の滅亡を遅らせる為と考えられていた様です。
つまり、その様に洗脳されていたという事になります。
現代のメキシコの首都であるメキシコシティですが、生贄儀式が毎日行われていたテノチティトランの上にメキシコシティがあるのです。
そして、テノチティトランから、膨大な量の人骨が出土しています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この事からも、アステカ文明が日常的に生贄儀式を行っていた証拠と言えます。
また、単純に心臓をえぐり出して殺すだけではなく、他の方法での生贄儀式もありました。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
穀物の神シペ・トテックへの祭事
毎年春になると、豊作になることを願って「人の皮をはぐ祭典(トラカシペワリストリ)」が開催されます。祭典では、戦争の捕虜たちが生きたまま全身の皮をはぎ取られて絶命するとのこと。シペ・トテックの「自身の皮をはいで、人々に食料をわけ与える」という伝承を参考にしたとか。
祭典の40日前に、犠牲者はシペ・トテックを模した服装になります。赤色の羽や金色に輝く宝石を身に着けるそうで。祭典までの40日間は、神として振る舞われるとのこと。祭典の当日になると、ピラミッド状の神殿の頂上に運ばれて皮をはがされます。はがされた皮は司祭に与えられ、司祭はその皮を20日間ほど着るそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
生きたまま全身の皮をはぎ取られて絶命し、はぎ取った皮は司祭が20日間ほど着るとの事。
想像しただけでも恐ろしい事ですが、どこまでも悪魔的です。
私は、この記述を見た時に、アニメ「攻殻機動隊」に出てくる「サンセット計画」を思い出しました。
サンセット計画とは大戦中にCIAが考案した心理作戦。
出典:サンセット計画 – 攻殻機動隊 – CMSB (webcrow.jp)
工作員を敵地に潜り込ませ、親しくさせた上で女性や子供の上半身の皮膚をTシャツの様に切り取り、放置し、敵の戦意を削ぐ作戦。
計画に参加したマルコ・アモレッティを含め、精神を病んだ者が多い。
その計画が実行された地域にバトーは訪れた事がある。
攻殻機動隊のサンセット計画は、アステカ文明の生贄儀式を参考にしていたのかもしれません。
攻殻機動隊の映画には、李家の北野武も出演しています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、アステカ文明では、子供でさえも生贄とされていた様です。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
生き残るために、双子のどちらかを殺害
アステカ神話には双子の神が複数おり、それらはヒーローやモンスタースレイヤー、さらには世界の創造主として敬われていました。神話の中で、双子というのは神聖なものでした。
しかし、現実での双子は軽蔑された扱いを受けたといいます。親は双生児のどちらかを神ケツァルコアトルの双子とされるショロトルに見立てて、殺さなければなりませんでした。なぜならショロトルは不吉な象徴とされ、両親に死を運ぶと信じられていたからです。
そのため、現実での双子は忌み嫌われていました。
アステカ神話でショロトルは怪物、奇形を象徴する神。ケツァルコアトルは、人類に火や文明を授けた神と言われています。
雨の神トラロックのために、生贄となる子ども
アステカ帝国首都のとあるピラミッド山頂に設けられた礼拝堂は、雨の神トラロックのものでした。その礼拝堂は「山の居間」と呼ばれ、翡翠(ひすい)や貝殻、穀物などが供えられたといいます。
トラロックは山頂だけでなく、湿った肥沃な洞窟にも宿ると信じれており、そのような洞窟では子どもたちが生贄にされました。現在考古学者の調査により、トラロックが住むとされる洞窟から幼児の埋葬室が見つかり、また穀物の貯蔵施設と思わしきものが発見されています。
トラロックは絶え間ない崇拝を必要としたそうで。アステカ人は豊かな雨を守るため年に数回、子どもたちを犠牲にしました。犠牲となる子は、美しく装飾され、ダンサーに囲まれて洞窟に運ばれるとのこと。洞窟に向かう途中で子どもが泣いたら、それは豊かな雨が降る兆候だと思われたようです。泣かない子どもの場合は、わざと爪をはがして泣かせたとか。
犠牲となる子どもは、奴隷落ちの子や貴族出身の子だったりと、さまざまでした。平民だけでなく、身分の高い子も犠牲になっています。儀式では彼らの薄い胸を開き心臓を取って捧げるとのこと。そして最終的に、彼らの遺体は調理されてアステカ人の胃に納まる手はずです。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
双子は、アステカ神話上では神聖であるにも関わらず、現実では忌み嫌われ、どちらかを殺さなければならないとされていた様です。
また、雨を守る為に、洞窟内で子供が生贄にされていた様です。
生贄にされる子供が美しく装飾されるというのは、京都の祇園祭での「稚児」に通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
洞窟に向かう途中で子供が泣けば雨が降ると兆候だと思われていた為、泣かない子供は爪を剥がして泣かせていた様です。
爪を剥がしてわざと泣かせるというのは、子供に対するただの虐待行為としか思えません。
また、洞窟内での生贄儀式は、心臓を取り出して捧げる儀式の様です。
心臓を捧げる行為は、クロ宗へと通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
イエズス会であるフランシスコ・ザビエルの有名な画像がこちらですが、心臓を手に持っている様に見えます。
なお、イエズス会はサタン(悪魔)を召喚するプロでもあります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、ハプスブルク家も心臓を重要視しており、心臓に魂が宿るとされていた様です。
下記ツイートをご覧ください。
ハプスブルク家の人々は、心臓だけを取り出しては、体とは別で埋葬していた様です。
心臓を取り出す行為は、アステカ文明の生贄儀式に似ています。
クロ宗と繋がるイエズス会は、ハプスブルク家の資金によって創立されています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、日本の皇居も、心臓に見立てて作られたものである可能性があります。
下記ツイートをご覧ください。
更に、皇居だけでなく、米津玄師の「パプリカ」も心臓の意味があるものと思われます。
下記ツイートをご覧ください。
この様に、イルミナティ(悪魔崇拝者)がこぞって心臓をシンボルとして多用し、重要視しているのも、心臓そのものが悪魔崇拝を表すものであるからに他なりません。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、ある人物の名前に「心臓(しんぞう)」という名前が使われています。
その人物が、「安倍晋三」です。
安倍晋三の「晋三」は、「心臓」の意味を持たせているものと考えられます。
そして、安倍晋三は李家です。
この様に、イルミナティ(悪魔崇拝者)は、どこまでも悪魔的なシンボルを多用しています。
悪魔的なシンボルを多用するのも、それだけサタン(悪魔)から力を受けたい事の現れでもあります。
イルミナティが行ってきた数々の生贄儀式というのは、全てサタン(悪魔)への生贄です。
人の命を殺して、心臓を取り出そうが、太陽は昇りますし、雨は降ったり止んだりします。
しかし、当時の人々はイルミナティによる洗脳を受け、これらの事を冷静に判断出来ず、真に受けていたのです。
これは、現代の日本でも同様であると考えられます。
何故なら、日本人の多くが未だに、神社仏閣に「神」がいると思っては、神社を参拝し、偶像(仏像)を拝んでいます。
これも、アステカ文明の生贄儀式をしなければならないという洗脳と同じ事です。
神社仏閣に神様はいらっしゃいません。
神社仏閣にいるのは、サタン(悪魔)です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
更に、神社はアステカ文明と同じく、生贄儀式の祭儀場に他なりません。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
生贄儀式についてをご覧になった事で、神社の場が生贄儀式に使われていたという事は、神社が悪魔崇拝の場で使用されていたという事を意味します。
この事からも、神社が悪魔崇拝へと繋がる事がご理解頂けるかと思います。
そして、仏教はどうかと言えば、仏教のお経はサタン(悪魔)を召喚する呪文なのです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この時点でも、仏教が悪魔教だとご理解頂けるかと思います。
もう一つとして、聖書では偶像崇拝を禁じております。
仏教は仏像を拝むと思いますが、その行為は偶像崇拝に他なりません。
聖書には以下の様に書かれています。
偶像を仰いではならない。神々の偶像を鋳造してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。
レビ記 19章 04節
偶像を仰いではならないと書かれています。
そして、ヨハネの黙示録では、偶像を拝む者が裁きの対象となる事が書かれています。
しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。
ヨハネの黙示録 21章 08節
偶像を拝む者に対する報いは、「火と硫黄の燃える池」と書かれています。
「火と硫黄の燃える池」というのは、裁きの例えです。
どの様な裁きが下されるのかは、私たち人間には分かりません。
神様だけがご存知です。
裁きが成された時に、詳細が明らかになります。
しかし、裁きが起きてから偶像を拝む事を止めても遅いのです。
この記事をご覧になった段階で、偶像崇拝が聖書で禁じられており、神様への反逆行為に該当するものであるとご理解頂けましたなら、今すぐ偶像崇拝を止められる事が知恵です。
裁きが成されてから止めるのでは遅いのです。
神様の裁きについては、なかなかイメージが湧かないものと思いますので、私が裁かれた体験談を含め、いくつか記事にさせて頂いております。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
以上をご覧になって頂いた上で、一人でも多くの方が、偶像崇拝から離れ、悔い改めて下さいます事を心から願っています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME