こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、ブルジュ・ハリファについて書いていきたいと思います。
ブルジュ・ハリファは、ドバイにある世界一高い建物です。
ブルジュ・ハリファ(アラビア語: برج خليفة ブルジュ・ハリーファ (burj khalīfah), 英語: Burj Khalifa バージ・カリファ)は、アラブ首長国連邦のドバイにある、世界一高い超高層ビルである(日本語ではこのほか、ブルジ・ハリーファ、ブルジュ(バージュ)・カリファとも表記される。建設の段階では、ブルジュ・ドバイ (برج دبي, Burj Dubai) の名であった)。
尖塔までの高さ(尖塔高。アンテナの分は含まない)は、828 m[5](163階建て。ただし、160階以上は機械室であるため、実際は159階にまでしか入ることはできない)。
出典:ブルジュ・ハリファ – Wikipedia
高さ828mと世界一の高さを誇る訳ですが、828mには悪魔の数字が隠されています。
828mを分解しますと、8+2+8=18=666=悪魔の数字となります。
つまり、828mという高さにしたのも、悪魔の数字を意識しての事と言えます。
また、ブルジュ・ハリファのエレベーターは、当初世界最速の速さを狙っていた様で、その速さが秒速18mだった様です。
エレベーターも世界最速の秒速18mのものが設置される見通しである。
出典:ブルジュ・ハリファ ~人類の技術が結集した現代のピラミッド~ : ドバイ旅行館 (dubairyokou.com)
18m=18=666=悪魔の数字となります。
しかし、現実には秒速10mのものが採用されている様です。
また、ブルジュ・ハリファは真上から見ますと、トリケトラの形をしています。
少し見にくいかもしれませんが、下記のMAPご覧ください。
下記画像がトリケトラです。
トリケトラは、古代ケルトのドルイド教のシンボルマークです、(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、トリケトラは三角形を表してもいます。
トリケトラは、3つのインターレースアーク、または(同等に)3つの重なり合うヴェシカエピシスレンズ形状で構成される三角形の図である。
出典:トリケトラ – ウィキペディア (wikipedia.org)
三角形と言えば、ピラミッドを表すイルミナティサインです。
ですから、ブルジュ・ハリファは、ピラミッドの事を表していると言えます。
また、ブルジュ・ハリファと同様に、ここ日本でもピラミッドが建設されています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、ブルジュ・ハリファは、イスラーム建築の表現からデザインされたと書かれています。
ブルジュ・ハリファは、イスラーム建築で表現される柄からデザインされた[37]。SOMの構造エンジニアであるビル・ベーカーによると、デザインの際に特定の文化的や歴史的な要素が取り込まれた。
出典:ブルジュ・ハリファ – Wikipedia
イスラーム建築については下記引用をご覧ください。
イスラーム建築は、カロリング朝滅亡の後に古代と断絶したヨーロッパ諸国の建築に比べ、古代建築の諸形態をよく受け継ぎ、今日に至るまで維持してきた。このため、イスラーム建築の形態は、おおまかに、南西部アナトリア半島から北部シリア、パレスチナ、エジプト、リビア沿岸部から北アフリカ西部までのかつてのローマ帝国および東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配地域と、メソポタミア、アフガニスタン、パキスタンなどのサーサーン朝ペルシャ帝国の支配地域に分けることができる。
アッバース朝滅亡の後に勃興し、あるいは衰退していったイスラム諸国は、特定の宗教施設、社会施設を導入し続けた。これについては、少なくともウマイヤ朝の成立からアッバース朝が滅亡するまでの間は、ローマ式の社会制度と建築施設を各地に建設し続けたローマ建築と状況はよく似ている。実際に、礼拝モスク、ミナレット、ミフラーブ、ムカルナスなどの施設はイスラーム建築の最も目立つ共通性となっている。
イスラーム建築の歴史については、便宜的に次のように区分することができる。つまり、「前古典期」あるいは「形成期」、「古典期」、「ポスト古典期」である。「形成期」は、イスラームが生まれる前の建築を積極的に導入し、同化していった時期で、ウマイヤ朝、アッバース朝、初期ファーティマ朝、後ウマイヤ朝、そしてサーマーン朝、ガズナ朝、初期セルジューク朝の建築がこれにあたる。「古典期」は、ムカルナスと尖頭アーチが普及していった時期で、建築技法や建築形態は、国や民族の壁を超えて自由に交錯した。
出典:イスラーム建築 – Wikipedia
イスラーム建築は特定の宗教施設や社会施設に導入され、ローマ建築と状況が良く似ているとの事です。
そして、イスラーム建築の古典期に尖頭アーチが普及し、各国に広まっていった様です。
アーチで分かりやすい施設としては、フランスのパリにある「凱旋門」ではないでしょうか。(19世紀頃)
その他にも、石積み橋のアーチもあります。(紀元前4世紀頃)
意識してあまり見た事はありませんでしたが、この様なアーチ型の建物は、実際に様々な施設等で良く目にします。
アーチは、元々排水路などの地下構造物に使用されていた様です。
アーチはメソポタミアのウラルトゥ、ペルシア、ハラッパー、古代エジプト、バビロン、古代ギリシア、アッシリアといった文明で知られていたが、それほど多用されることはなく、側面からの推す力の問題がほとんどない排水路などの地下構造物にほぼ限定されていた。アーチを使った最古の都市の門は、青銅器時代中ごろのもので、イスラエルのアシュケロンで8フィートの幅のものが見つかっている。
古代ローマ人はエトルリア人からアーチを学び、それを洗練させ、初めて地上の建造物でアーチを多用するようになった。
「アーチ、アーチ型屋根やドームの利点を最大限利用した、ヨーロッパ初、いやおそらく世界初の建築者は、ローマ人である」[4]
ローマ帝国では、ローマ橋、ローマ水道、門などのアーチ構造が建設された。
出典:アーチ – Wikipedia
そして、アーチを地上の建築物で、使い始めたのが古代ローマ人の様です。
古代ローマ人は、「エトルリア人」から、アーチを学んだと書かれています。
エトルリア人(ラテン語: Etrusci)は、イタリア半島中部の先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用していた。エトルリア文化を築いたが、徐々に古代ローマ人と同化し消滅した。
初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々、エトルリア文化の特徴であったといわれる。また、初期の王制ローマの王はエトルリア人であったとも言われ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和制に移行した。
出典:エトルリア人 – Wikipedia
エトルリア人は古代ローマ人と同化し、初期の王はエトルリア人であるという事は、古代ローマ人=エトルリア人という事が言えるのではないでしょうか。
そして、エトルリア人は「海の民」とも言われている様です。
エトルリア人は海を往来する民族でもあり、古代地中海世界の至るところでその存在が記録されている。一説には古代エジプト第20王朝の記録にある「海の民」はエトルリア人ではなかったかとも言われている。
出典:エトルリア – Wikipedia
エトルリア人が海を往来する民族であるというのは、どうやら間違いなさそうです。
古代エジプト第20王朝に記録が残されているという「海の民」ですが、その記録というのが壁画の様です。
この戦いは「デルタの戦い」と呼ばれ、古代エジプトと海の民が戦っている様子を描いています。
20年後のラムセス3世はまた別にペリシテ人と連合した海の民の侵攻に対処しなければならなかった(デルタの戦い(英語版))。テーベに彼が築いた死体を安置する神殿には、ラムセスが、いかなる国もその前に立ちはだかることは出来ないといわれ、ヒッタイト・キズワトナ(英語版)・カルケミシュ・アルザワ(英語版)・アラシア(英語版)の諸勢を撃破し彼らの都市を壊滅せしめた海の民の勢力と如何にして海戦で破ったかが述べられている。彼はこの時に侵攻した海の民を構成した諸族の名前を示している。ペリシテ人・チェケル人・シェケレシュ人(Shekelesh)・デネン人(英語版)・ウェシェシュ人(Weshesh)である。
出典:海の民 – Wikipedia
海の民は、ペリシテ人と連合していた連合軍の様です。
ペリシテ人と言えば、旧約聖書の士師記やサムエル記によく登場してきます。
旧約聖書を読んで頂くと分かりますが、ペリシテ人は悪魔「ダゴン」を拝んでいる悪魔崇拝者であると、はっきり書かれています。
聖書によって古代パレスチナにおいてペリシテ人が信奉しており、ガザとアシュドッドに大きな神殿があったことが知られる[1]。名前の由来はヒエロニムスによって、ヘブライ語のダグ(דָּג dag、魚)と誤って関連せしめられ下半身が魚形の海神と考えられた[1]。ダゴンという語の本当の由来は麦といわれ大地の豊穣と関係の深い神とされる[1]。父親はエル。伝承によってはバアルの父とされる。
(中略)
クトゥルフ神話でダゴンが取り入れられたのは、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが、巨大な半魚人の登場する短編小説『ダゴン (Dagon)』を執筆した1917年からである。作中でダゴンと目される海底巨人は、手足に水かきをもち、突き出した目、分厚くたるんだ唇をもちながら、全体の輪郭はいまわしいほど人間に酷似している。またモノリスに図や文字を刻み、知性をもっていることがほのめかされる。
ダゴン – Wikipedia
Wikipediaでは、ダゴンの父親は「エル」とされ、「バアル」の父ともされている様です。
バアルは出雲族が拝んでいる悪魔になります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、ダゴンの父親とされているエルは、エル=L=Lucifer=ルシファーの事を表していると言えます。
また、ダゴンはクトゥルフ神話にも用いられている様です。
クトゥルフ神話も悪魔崇拝へと通じます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、海の民は、過去にヒッタイトを滅ぼしていた様です。
青銅器時代末期、カルケミシュはヒッタイト帝国の中でも重要な都市の一つとなり、紀元前11世紀には繁栄の絶頂に達した。青銅器時代の終焉とともにヒッタイトは「海の民」の襲来を受けて滅びたが、カルケミシュは復活し、鉄器時代の「新ヒッタイト」(Neo-Hittite、近年はシリア=ヒッタイト Syro-Hittite とも呼ばれる)の都かつ交易の重要な中心地となった。
出典:カルケミシュ – Wikipedia
そして、ヒッタイト時代のカルケミシュでは、「女神クババ」を守護神として崇めていた様です。
ヒッタイト時代のカルケミシュの守護神は、フルリ人から伝わったとみられる女神クババ(Kubaba)であった。クババは長いローブを着て、手にザクロと鏡を持った威厳のある婦人の姿で描かれた。クババは後にギリシャにとりいれられ、大地母神キュベレーとなった。
出典:カルケミシュ – Wikipedia
また、女神クババは、「フルリ人」から伝わったと書かれています。
フルリ人(英: Hurrian)またはフリ人は、古代オリエントで活動した人々。紀元前25世紀頃から記録に登場する。彼らは北メソポタミア、及びその東西の地域に居住していた。
出典:フルリ人 – Wikipedia
フルリ人は、北メソポタミア地域に居住していた様です。
古代のメソポタミア地方と言えば、シュメール文明ですから、天皇家へと繋がります。(既出ですが、詳細は下記リンクをご覧ください。)
つまり、フルリ人は天皇家である可能性が高いと考えられます。
そして、フルリ人は陶芸や馬術に秀でていた様です。
フルリ人は優れた陶芸家であった。その製品は主にメソポタミアとユーフラテス川の西で発見され、また新王国時代のエジプトで高く評価された。考古学者達はフルリ人が轆轤を使って製造した製品をハブール土器(Khabur ware)、ヌジ土器(Nuzi ware)と呼ぶ。これらの土器は赤い線の塗装、茶色と黒によって作られた三角形パターンと点によって作られた幾何学的な装飾によって特徴付けられる。
(中略)
フルリ人は馬の使用と密接に関係していた。彼らは紀元前2000年頃、中央アジアからオリエントに馬を導入したかもしれない。相当数のフルリ人が住んでいたと考えられるイシュワの国名は「馬の国」を意味する。馬の調教に関する有名な文書がハットゥシャから発見されている。ハットゥシャで馬の調教師をしていたのはキックリ(Kikkuli)と呼ばれるフルリ人であった。
出典:フルリ人 – Wikipedia
フルリ人の製造した「ハブール土器」や「ヌジ土器」には、三角形パターンと点を用いた幾何学模様が特徴の様です。
ハブール土器については、下記画像をご覧ください。
三角形は、ピラミッドを意識して装飾しているものと思われます。
また、フルリ人は馬の調教もしていた様です。
馬の調教と言えば「競馬」です。
そして、競馬には「天皇賞」があります。
となると、やはりフルリ人は天皇家と言えるのではないでしょうか。
そして、フルリ人から伝わったとされる「女神クババ」は、後のギリシャで「大地母神キュベレー」になったされています。
まず、「大地母神」の詳細が以下の通りです。
メソポタミアの各地で、起源を同一とするとみられる一連の地母神がみとめられる。すなわち
・シリア(フェニキア)のアスタルテ
などである。イシュタル、アシュトレト、アスタルテは、祭祀上と言語学上から、同一の神格がそれぞれの地方で信仰されたものとみられる。彼女らは金星神であり、また天の女主人と呼ばれた。
フェニキアのアスタルテは、ギリシアに伝わり、アプロディーテーとなり、キプロスを中心として信仰された。
出典:地母神 – Wikipedia
これらの地母神は聖書にも登場していますから、全て悪魔です。(既出ですが、詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、キュベレーについては以下の通りです。
キュベレー(古代ギリシア語: Κυβέλη / Kybélê、フランス語: Cybèle、英語: Cybele)は、アナトリア半島のプリュギア(フリギア)で崇拝され、古代ギリシア、古代ローマにも信仰が広がった大地母神である。
(中略)
ヘレニズム時代のもっとも熱狂的なキュベレーの信奉者は、みずからを聖なる儀式で完全去勢した男性たちで、この儀式の後、彼らは女性の衣装をまとい、社会的に女性とみなされた。同時代の注釈家であるカルリマコスは彼らを、女性名詞の Gallai (ガッライ、ギリシア語複数形)で呼んだが、古代ギリシアやローマの他の注釈家たちは、男性名詞の Gallos (ガッロス、ギリシア語単数形)や Galli (ガッリー、ラテン語複数形)で呼んだ。 女神の女性司祭は、人々を乱交的儀式に導き、儀式では荒々しい音楽、ドラムの響き、踊りに飲酒が伴った。
(中略)
キュベレイ – テレビアニメ『機動戦士Ζガンダム』および『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場した、この女神にちなんで名づけられたモビルスーツ。
出典:キュベレー – Wikipedia
フリギア、古代ギリシア、古代ローマで主に広がったのがキュベレー信仰の様です。
そして、キュベレー信仰では、「聖なる儀式で自ら完全去勢した男性は、女装する事で社会的に女性」と、みなされる様です。
つまり、キュベレー信仰は「LGBT」へと繋がる事になります。
LGBTを推進しているのは、「大本教」・「生長の家」です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
もしかすると、LGBTの思想というのは、この「キュベレー信仰」から来ているのかもしれません。
また、キュベレー信仰では、荒々しい音楽を奏でては、飲酒して踊り狂い、最終的には乱交儀式へと至る様です。
正しく、悪魔崇拝儀式と言えます。
イルミナティ(=悪魔崇拝者)は、悪魔崇拝儀式の事を、聖なる儀式と呼んでいるのかもしれませんが、自ら去勢したり、乱交する事のどこが聖なる儀式と言えるのか、全く以って意味不明です。
もちろん、悪魔崇拝儀式ですから麻薬もやっている事でしょう。
麻薬中毒者からしたら、この様な悪魔崇拝儀式も聖なる儀式に見えるのかもしれません。
この様に、イルミナティ(=悪魔崇拝者)の連中は、こういった悪魔崇拝儀式を事ある毎に行っているキチガイな連中です。
そして、キュベレーは「機動戦士Zガンダム」や「ZZガンダム」に出てくるモビルスーツの名前の由来にもなっている様です。
キュベレイというモビルスーツは、下記ツイートをご覧ください。
私は、ガンダムが好きで良く見ていました。
見ていた当時は、「キュベレイかっこいいなぁ」と思って見ていましたが、RAPTブログ有料記事の御言葉を学んでから改めて見ると、とても気持ち悪くて見ていられません。
自分自身が如何に洗脳されていたのかが改めて良く分かりました。
このキュベレイが「かっこいい」とか「かわいい」という風に見える方は、サタン(=悪魔)に洗脳されている証拠です。
キュベレイの名前の由来が、大地母神キュベレーから来ている訳ですから、キュベレイは正にサタン(=悪魔)そのものと言えます。
また、キュベレイはアルファベットで「Qubeley」で、「Q」が入っている事からも「大本教」を意識しているものと思われます。
下記ツイートをご覧ください。
ですから、Q=大本教へと繋がります。
因みに、今現在引き起こされているコロナパンデミックは大本教が計画し、創価学会が実行しています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この様に、漫画やアニメには、至る所にサタン(=悪魔)の洗脳が施されています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
たかが漫画、アニメと思うかもしれませんが、サタン(=悪魔)の洗脳はとても強力です。
ですから、漫画やアニメなどを視聴する際は、十分にご注意ください。
また、今回の記事を書くにあたって、エジプトの事を調べていた時に分かった事なのですが、古代エジプトのアメンホテプ4世はマルファン症候群だった様です。
アメンホテプ4世の像は指が異常に長い、顎が尖る、脂肪の付き方が不自然であるなどマルファン症候群の特徴的な症状を持つように見受けられ、生前から奇形だったという説もあるが、王家の血筋ではない王妃ネフェルティティや家臣たちも同様の形式で描かれることから、これはアマルナ美術特有の高貴な人々の表現形態であったと見るのが妥当である。また、遺伝子調査による王族のミイラ特定に伴い、この表現は、王家の人々の容姿の特徴をかなり誇張したものであることも分かってきている。
アメンホテプ4世 – Wikipedia
まず、Wikipediaには、アメンホテプ4世の像は指が異常に長く、顎が尖っている等、マルファン症候群の特徴的な症状を持っていると書かれています。
しかし、この像は「アマルナ美術」特有の高貴な人々の表現形態だとしています。
つまり、像で表現されている事は、芸術として誇張したものだとWikipediaには書かれています。
ですが、アマルナ美術の記述には以下の様に書かれています。
事実をありのままにさらけ出す太陽光線を崇めるため、美術においてもリアリスティックな表現が行われ、アマルナ時代の美術様式は「アマルナ様式」と呼ばれ、他の時代のエジプト美術とは一線を画したものとなっている。
出典:アテン – Wikipedia
事実をありのままにさらけ出す太陽光線を崇めるため、美術においても「リアリスティックな表現」が行われていたと書かれています。
このリアリスティックな表現は何かと言えば、写実主義です。
写実主義(しゃじつしゅぎ)、あるいは現実主義は、現実を空想によらず、ありのままに捉えようとする美術上、文学上の主張のこと。リアリズム(英:Realism)、レアリスム(仏:Réalisme)。
出典:写実主義 – Wikipedia
現実を空想によらず、ありのままに捉えようとする美術上、文学上の主張であると書かれています。
つまり、アマルナ美術は写実主義ですから、現実をありのままに捉えた美術作品という事になります。
そして、アメンホテプ4世の像は、アマルナ美術な訳ですから、現実をありのままに捉えた像と言えます。
つまり、アメンホテプ4世は、本当に指が異常に長く、顎が尖り、脂肪の付き方が不自然なマルファン症候群であったと言えます。
アメンホテプ4世は古代エジプトのファラオですから、天皇家へと繋がります。
そして、天皇家は近親相姦を繰り返していますから、古代エジプトも同様に近親相姦が行われていたと言えます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、マルファン症候群というのは、天皇家(ユダヤ人)などのイルミナティ(悪魔崇拝者)が近親相姦を繰り返した事で生まれている症状であると言えます。
Wikipediaでは、この事を知られたくないが為に、工作員がWikipediaを書き換えたのでしょう。
しかし、アメンホテプ4世の所しか書き換えていなかった為、矛盾が生じてしまい、むしろ隠蔽工作がバレる結果となりました。
近親相姦や古代エジプトと天皇家が繋がる事を知られたくないのか、もしくはマルファン症候群について知られたくないのか良く分かりませんが、いずれにしても、マルファン症候群は近親相姦の果てに生まれる奇形である事に間違いなさそうです。
マルファン症候群については、以前にも記事にさせて頂きました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、顎が尖っている事で代表的なのが「ハプスブルク家」です。
で、そのハプスブルク家を模したのが、「エヴァンゲリオン」です。
下記ツイートをご覧ください。
エヴァンゲリオンも大本教へと繋がります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この様に見ていくと、奇形を隠す所か、むしろアピールしている様にも見えます。
イルミナティ(=悪魔崇拝者)の連中が、この様に堂々とアピールしているのも、私たち庶民が洗脳されていてバレないだろうという考えがあっての事と思われます。
しかし、RAPTブログがこの世の中に誕生し、RAPT理論が登場した事によって、イルミナティ(=悪魔崇拝者)が隠してきた秘密が、次々と露わになりました。
この世の中の情報は、イルミナティ(=悪魔崇拝者)による洗脳が施されたものばかりが蔓延しています。
RAPT理論を知らない状態で、イルミナティ(=悪魔崇拝者)の洗脳が施されたものに触れてしまう事はと、それこそ無防備の状態で敵の攻撃を受けている様なものですから、大変危険です。
イルミナティ(=悪魔崇拝者)の洗脳に気付く為には、RAPT理論にて真実を知らなければ、気付く事は出来ません。
私も、RAPTブログに出会う前までは、イルミナティ(=悪魔崇拝者)に洗脳された中で生きてきました。
それこそ、籠の中の鳥です。
しかし、RAPTブログに出会った事で、RAPT理論を知り、RAPT理論を学ぶ事で真実を知る事となりました。
その結果、イルミナティ(=悪魔崇拝者)による洗脳が一部解けました。
そして、更にRAPT理論を学んでいく内に、私は神様の存在をも確信するに至りました。
その事は、下記リンクの記事で詳しくお話させて頂いております。
そして、今現在は、RAPTブログ有料記事の御言葉に従順に従う事で、このコロナ禍の状況の中でも、毎日充実した日々を過ごしております。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
宜しければ、こちらの記事もご覧ください。
一人でも多くの方が、イルミナティ(=悪魔崇拝者)によって洗脳されている事実に気付いて頂き、「RAPTブログ」、「RAPT理論+α」にて、真実を知って頂くきっかけとなれば幸いです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME