こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、人生という道における二つの選択肢について、書いていきたいと思います。
人生と一言に言っても、人それぞれで歩んできた人生が異なります。
住んでいる場所、地域、国、仕事の内容、家族構成、家庭環境、性格、考え方など、どれを取っても全く同じという人はいません。
当然の事ではありますが、人には人それぞれの人生があります。
ですから、他人の人生にとやかく言うつもりもありませんし、とやかく言えるものでもありません。
しかし、全く同じ人生を歩む人というのは存在しませんが、全人類が真に幸福な人生を歩む事の出来る方法というのは、たった一つです。
それが、神様の御言葉にどこまでも従順に従うという道です。
人生を「数」で考えた時、全世界中の人々の人生、つまり約70億人分の人生の「数」がこの地上世界では存在しています。
仮に、この約70億人もの人が神様の御言葉にどこまでも従順に従ったとしたら、約70億人の全員が幸福な人生を歩んで行く事が出来るのです。
ですから、人それぞれで状況が様々かと思いますが、例えどの様な状況下であったとしても、神様の御言葉にどこまでも従順に従いさえすれば、どこまでも幸福な人生を歩んでいく事が出来ます。
しかし、その道に行かせまいと妨害する者達がいるのです。
それが、サタンです。
サタンは、神様と人間が愛を成す事に嫉妬し、憎んでいます。
ですから、神様と、神様を愛する義人に対しては、どこまも激しく嫉妬し、どこまでも激しく憎んでいます。
どれ程かと言うと、神様と義人を見たくもない程に激しく嫉妬し、憎んでいます。
ですから、神様を愛する義人が神様を愛するという道へ行く事を、ことごとく妨害しては、信仰を剥奪しようと、24時間常に虎視眈々と狙っているのです。
ブログを作成し、日々更新する様になってからというもの、少しずつ自分自身の霊感が強くなって来ているのを感じています。
その為か、サタンが傍にいるんじゃないかと思われる様な感覚を、時に感じたりもしています。
元々霊感能力が乏しかった為、はっきりと確信する事は出来ませんが、霊感能力が向上しているという事は、私の霊が成長しているという証拠なのかもしれません。
サタンの気配を感じた様な時は、すぐにお祈りして対抗する様にしています。
神様の御心の道を行こうとすると、サタンが寄り付いて来るというのを肌身に感じています。
私は今、人生という道において、二つの岐路に立たされています。
神様の御心の道を進み、祝福と繁栄の道を行くのか、神様の御心ではない道を進み、サタンとなる道を行くのかどうかをです。
当然の事ながら、神様の御心の道を行くという答えは出ています。
御心の道を行く決意を揺らがそうと、サタンが不安や心配、悩みの考えを膨らまそうとして来ている事も感じています。
御言葉にどこまでも従順に従っていくと、最終的には神様の御心を成す為に、捨てなければならない事が発生します。
私は今、その捨てなければならない状況の中で、この記事を書かさせて頂いております。
もし、私が捨てなかったとしたら、私はサタンになるとの霊感も受けました。
その霊感というのが、車のウインカーが光り、道を逸れていった先には、エプスタイン島で女装し、赤い靴を履いているビル・クリントンがいました。
ビル・クリントンはイルミナティですから、人間サタンです。
つまり、ビル・クリントンの様な人間サタンになる事を意味しています。
人間サタン=サタンです。
何故その様になるのかと言いますと、神様の御心の道から外れるという事は、聖書で最も重要な掟である「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」という第一の掟を守っていないという事になります。
つまり、第一の掟を守らないという事は、神様への反逆行為に該当します。
よって、御心の道が分かっていながら、御心の道に行かないという事は「罪」に該当します。
「罪」はサタンが成す業です。
ですから、神様の御心の道から外れる事は、サタンになる事を意味しているのです。
しかし、捨てたらどこまでも光輝くという霊感も受けました。
その霊感というのが、御心の道を真っ直ぐ行ったならば、車の強烈なLEDライトの様に、どこまでも白く光輝く光に照らされました。
神様は祝福をどこまでも豊かに与えたい御方です。
しかし、神様が私たち義人に祝福を与える為には、私たち義人が祝福を受ける為の条件を満たさなければなりません。
御心の道を示して下さっているという事は、その先に神様が大きな祝福を用意して待っていて下さっているのです。
そして、御心の通りに成さなければ、その祝福が与えられる事もありません。
その為、祝福をどこまでも豊かに与えたいという神様の心情を更に痛めてしまう事になります。
神様は祝福を与えた時に、「あなたに与えて良かった」と、心情がスッキリとされます。
ですから、祝福を受ける為にも、御心の道へと歩んで行き、神様の心情がスッキリとされる様にしなければならないのです。
神様も、私たち人間と同じく感情をお持ちでいらっしゃいます。
ですから、神様の心情をも深く悟って、私たち義人は御心の道へと歩んで行かなければなりません。
また、御心の道に行く事で、私たち義人はどこまでも光輝き、この地上で神様の栄光を表す事にもなるのです。
私たち義人が毎日コツコツと義の条件を立てているのも、全ては神様の御心を成す為です。
ですから、考える余地はありません。
そして、私が捨てる事と言うのが、「妻」です。
また、今思い返しますと、妻の手の皮膚が炎症を起こして荒れたり、牛乳が飲めなくなったりしていたのも、神様からの不思議な印であったものと思われます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
手の皮膚については、にがりを使用していたものの、痒みに我慢出来なかった為、皮膚科を受診し、ステロイドを処方され、使用した所、皮膚の炎症が一時的に治っただけで根治はせず、すぐに再発しておりました。
今現在は、馬油を塗布して以前よりは改善したものの、完治には至っていません。
また、牛乳については、飲めなくなっただけでなく、牛乳が入っているお菓子やパンも食べられなくなっていきました。
更に野菜のネギ類も、今までは食べられていたのに、熱をしっかりと通さなければ食べられなくなりました。
その他にも、妻は追突事故を起こされたり、スーパーの駐車場で当て逃げ事故を起こされたりもしていました。
どちらの事故も、バンパーやナンバープレートが傷付く程度で、大した事故ではありません。
また、私が神様の裁きにあって以来、妻と関係を持たなくなってからは、妻が職場から仕事を辞める様に追い込まれ為、会社を退職し、家事に専念する様にもなりました。
それも、このブログを書くための準備段階だったものと考えられます。
この様に、通常では考えられない不思議な印が起きている為、私は途中から神様の御力が働いているのではないかと思う様になりました。
この様な不思議な印によって、私が食べたい物を食べられなくなったり、様々な事故が起きたりする等、妻が足枷である事を教えて下さっていたのではないかと思います。
これらの事を総合した結果、妻を捨てるという結論に達する事になりました。
そして、先日は妻を捨てるという神様の試験を受けました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
私は、この試験以降で考えていた事があります。
単純に妻を捨てると言っても、どの様に捨てれば良いのかと考えていました。
妻を捨てる事の最終地点は「離婚」です。
自ら離婚を切り出す事は「罪」に該当すると考えていた為、どうすれば良いのか分からず、神様にお祈りしていました。
聖書には、「離婚」の事を「離縁」と書かれています。
以下の聖句をご覧ください。
しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
マタイによる福音書5章32節
その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。
コリントの信徒への手紙一7章 12節
ご覧の通り、離縁(離婚)してはならないと書かれています。
つまり、自分勝手に離縁(離婚)する者は、姦通の罪を犯させた事になると書かれています。
そして、私の妻は信仰を持っていません。
神様の存在を信じていない訳ではなく、私の様に信仰生活をする事は出来ないと、私も本人も自覚しています。
ですから、私は聖書の通りに考え、妻を捨てると言っても、自ら離婚してはならないと考えていました。
その様に考えていたのにも理由があります。
以下の聖句をご覧ください。
なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。
コリントの信徒への手紙一7章 14節~15節
しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。
ご覧の通り、「信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。」と書かれています。
ですから、私は自分から離婚を切り出すのではなく、妻の方から離れていく形でなければならないと考えていました。
そして、信仰生活をしている中で起きる不思議な印から、妻を捨てる事が神様の御心であると悟ったものの、上記の理由から、どの様にすれば良いのかお祈りしていました。
その事についてお祈りした所、本日の明け方、私に分かる様に霊感を与えて下さいました。
そして、その霊感を受けた時に、何か指輪の様な物が左手から落ちる感覚がありました。
私は、普段指輪等はしませんので、すごく不思議な感覚でした。
その時に、妻と離婚しなさいという事を悟りました。
そして、その霊感を受けた時間が、私がいつも会社に出勤する時間でした。
その事に気付いた時に、思わず焦りの気持ちが出て来てしまったのですが、全く準備していなかった為、どんなに急いでも会社には遅刻する事になります。
なので、心を落ち着かせて、いつもの通りに出勤する事を意識して、出勤しました。
そして、今日は燃えるゴミと生ゴミを出す日でもありました。
ゴミ出しは、妻がいつも私にお願いしていた家事ですが、時間的に出せなかったのも理由の一つではありますが、神様の御心の通りに考え、あえてゴミ出しせずに出勤しました。
いつもより約15分程遅れて出勤した為、約15分程の遅刻になります。
私の勤務している会社では、遅刻等の不始末を犯した場合は、始末書を提出しなければなりません。
その始末書を提出する訳ですが、「嘘」を書く訳には参りませんので、本当の事をありのままに書きました。
不始末の内容・・・定時より約15分の遅刻。
不始末の原因・・・神様から霊感を受ける為にお祈りをしていた為。
再発防止策・・・神様を最優先しなければならない為、再発を防止する事は出来ません。
と、以上の様に書いて会社に提出しました。
もう退職の意向は伝えてありますので、特にどうこう言われるという事はありません。
この事も、神様の御心(ご計画)の一部であると、私は考えております。
会社を捨てる事はもう決定しておりますので、本日会社から帰宅後に妻へ離婚を切り出す話をしたいと思います。
思えば、RAPT理論を軽んじた幼馴染の一人が離婚した際に、いつもは私がお酒を飲みに誘っていたのに、当時は幼馴染の方からお酒を飲みに誘われた事が一度だけありました。
(信仰を持つ前の話です。信仰を持つ以前はお酒を飲んでおりました。なお、お酒を飲む事は「罪」に該当します。)
その際のお酒の席において、その幼馴染が離婚したという話を切り出してきました。
幼馴染が4人いる中で、何故か私が一番最初に離婚の話を聞いた形になりました。
そして、私が今住んでいる場所というのが、その幼馴染が離婚する前に住んでいた所に近く、車で一分程の距離の場所なのです。
また、私は車を買い替えているのですが、その時に神様から与えて下さった車というのが、その幼馴染が乗っている車種(スバル・レガシィ)でもあるのです。
ですから、これらの事は決して偶然ではなく、神様がお導き下さっていた事に間違いありません。
つまり、幼馴染の離婚から、私が離婚する事は最初から既定路線であったという事が、この記事を書いている今、はっきりと分かりました。
そして、妻に離婚を切り出す事を通して、私の弱点である「情」を捨てさせる為の練達でもある様に感じております。
また、私が心頑なにして妻と離婚をしなかった場合、私はサタンになってしまいます。
神様の御心と反対の道を行く事は、サタンの道を行く事になります。
その為、私が人間的に考えて行動し、離婚をしなかった場合には、妻も共に不幸になってしまいます。
ですから、妻が不幸にならない為にも、私は離婚をしなければなりません。
そして、神様の仰る通りに行動をする事は、神様の御言葉に従う事でもありますので、罪に該当しないという事も分かりました。
しかし、神様の御心がはっきりと確信出来るまでは、安易に行動すべきではありません。
ですから、確信を持つまでは、確信出来る答えが得られる様に、祈り求めていかなければなりません。
明け方のお祈りの中で受けた霊感や、実に様々な不思議な印、幼馴染の離婚、住む場所に車、これら全ての事から、妻と離婚する事が神様の御心なのだと確信した次第です。
また、本日受けた霊感として、下記リンクの記事に掲載させて頂きました、アニメ「よみがえる空 -RESCUE WINGS-」のワンシーンで、ロープウェイのゴンドラ毎救出するシーンの映像が流れました。
ゴンドラには複数の人が乗っています。
ゴンドラ毎救出するという事は、つまり、たくさんの人を救う事を暗示しています。
そのしばらく後に、妻を捨てる事を暗示する霊感を受け、左手から何かが落ちる感覚を得ました。
その霊感を受けた時間が、会社の出勤時間なのです。
会社(仕事)も捨てていますので、会社(仕事)と同様に妻を捨てなさいという事をも暗示しています。
つまり、本日受けた霊感は「妻を捨てて、たくさんの人を救う働きをしなさい」という意味になります。
ですから、もう迷う事はありません。
私は妻の事が好きですし、妻を愛してもいます。
ですが、私は神様の御心の通りに妻を捨てます。
人間的に見るとひどいと思われるかもしれませんが、御心に従わなかった場合、私はサタンになってしまいます。
サタンになるという事は、神様から裁かれる事になりますので、私自身の人生が不幸のどん底に陥ります。
そして、私と共にいる妻もその影響を受ける事なります。
つまり、御心の通りに従わない場合には、私も妻も地獄の様な人生を歩む事になってしまいます。
ですから、私が妻と離婚する事は、妻の為でもある事になります。
この事は言い訳でも何でもなく、また自己を正当化する為に書いている訳ではありません。
御言葉の通りに考えていった結果、神様の御心の通りにする事が、お互いにとって最も最善であるからに他なりません。
そして、離婚した後の妻は、神様が最後までも面倒を見て下さるという事も信じなければなりません。
でなければ、離婚した後の妻を気にする事になり、神様の御心を成す際に足枷となってしまいます。
そうならない様に、離婚した後の妻の面倒を、神様が見て下さるのです。
この事を信じなければなりません。
また、後の兄弟姉妹の皆様方も信仰生活をしていく中で、神様からの試験を受け、二つの道を選択する状況に置かれる事になります。
私の人生を通して具体的に証する事で、後の兄弟姉妹の皆様方の信仰の礎となれば幸いです。
私たち人間にとって、最も幸福に生きられる道は、神様の御言葉にどこまでも従順に従う道です。
ですから、人生を生きていく中で神様の「御言葉」に従う道に行くのか、世の中の「常識」の通りに生きる道を行くのかの、二つに一つです。
神様の御言葉に従う道を行く事は、祝福と繁栄の道です。
世の中の常識通りに生きる道を行く事は、すなわちサタンになる事を選ぶ事となり、その道は滅びの道です。
どちらを選ぶべきかは、あえて言うまでもありません。
例え、どんなに辛い選択に感じたとしても、神様に祈り求めて、選択した後の事も全て神様を信じ、神様に全てを委ねていく事で、神様に従う道を選択し、幸福な人生を歩んでいく事が出来るのです。
私もその様に考え、今回の二つに一つの道を選択し、神様に従い通す道へと歩んでいく所存です。
この先の事は具体的にどうなるのかは分かりませんが、神様の御心の通りに全てを成していける者となれます様に、引き続き努力し続けて参ります。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME