こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、グリム童話について書いていきたいと思います。
グリム童話と聞いて、ピンと来る方もいらっしゃれば、来ない方もいらっしゃるかと思います。
私は後者でした。
聞いた事があるなぁといった程度だったのですが、童話のいくつかのタイトルを見て、「グリム童話だったんだ。」と、驚きました。
代表的なタイトルをいくつか挙げますと、「狼と七匹の子山羊」、「ラプンツェル」、「ヘンゼルとグレーテル」、「灰かぶり(シンデレラ)」、「赤ずきん」、「ブレーメンの音楽隊」、「いばら姫(眠りの森の美女)」、「白雪姫」、「星の銀貨」などが挙げられます。
どれか一つくらいは、聞いた事のあるタイトルではないでしょうか?
子供向けの童話として出版されていたり、中にはディズニー映画になっているものもあります。
これらの童話を集めたものが、「グリム童話集」と言います。
グリム童話集を編纂したのが、「グリム兄弟」です。
兄「ヤーコブ・グリム」が童話を収集し、弟「ヴィルヘルム・グリム」が改訂及び改筆をしていた様です。
童話を収集とありますが、グリム童話は創作したものではないと、Wikipediaには書かれています。
『グリム童話集』(独: Grimms Märchen)は、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が編纂したドイツのメルヒェン(昔話)集である。メルヒェンとは「昔話」を意味するドイツ語で、グリム兄弟はメルヒェンを収集したのであり、創作した(創作童話)のではない。
出典:グリム童話 – Wikipedia
ドイツ語では、グリム童話を「グリム・メルヒェン」と言い、「メルヒェン」は「昔話」を意味すると書かれています。
つまり、グリム童話は昔話を集めたものであり、創作された昔話ではないという事になります。
先程申し上げました通り、改訂はされています。
その理由が以下の通りです。
『グリム童話集』とそれまでのメルヒェン集との大きな違いは、後者がそれぞれの物語を大きく脚色して長い作品に仕立てていたのに対し、グリムのそれでは一つ一つが短く、比較的口承のままのかたちを保っていたことにあった。しかしそのために、文章が粗野である、話の内容や表現が子ども向きでない、あまりに飾り気がないといった批判を受け、以降の版ではこれらの点について改善が図られるようになった。
出典:グリム童話 – Wikipedia
グリム童話は、口承のままに文章に起こしていた為、文章が粗野であり、話の内容や表現が子供向きではなく、飾り気がない等の批判を受けた為、改訂及び改筆されたと書かれています。
この事から、今現代で作品にされているグリム童話は原作ではなく、改訂されたものという事になります。
つまり、より子供向けの内容に改訂されていると言う事になります。
では、どの様な内容が改訂されたのかと言いますと、具体的には以下の通りです。
具体的には、風景描写や心理描写、会話文が増やされ、また過度に残酷な描写や性的な部分が削除され、いくつかの収録作品は削除された。
(中略)
特にヴィルヘルムは物語から、妊娠などの性的な事柄をほのめかす記述を神経質なまでに排除している。また近親相姦に関わる記述も削除や修正がなされている。
出典:グリム童話 – Wikipedia
このほか、「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」など、子を虐待する実母が出てくる話が、購買者である母親への配慮から後の版で継母に変えられているものが相当数存在する。
しかし、これらの書き換えに比べると、ヴィルヘルムは刑罰の場面などの残虐な描写については意外なほど寛容で、例えば「灰かぶり(シンデレラ)」の最後で継姉たちの目を鳩に突かせて盲目にするなど、初版にはない復讐の場面が入れられたり、話によっては後の版のほうが却って残虐性が増しているようなものもある。
これらの改定内容を見て、お気付きの方が多いかと思いますが、イルミナティ(=悪魔崇拝者)の特徴がいくつも見受けられます。
残酷、性的、近親相姦、虐待、残虐、復讐などは、正にイルミナティの特徴と言えます。
イルミナティは、サタン(悪魔)から力を受ける為に「悪魔崇拝儀式」を行います。
その儀式は、小児性愛、幼児虐待、乱交、近親相姦、生贄、麻薬など、多岐に渡ります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
以上の事から、グリム童話は、悪魔崇拝者が行っている儀式や日常を童話化したものとも考えられます。
悪魔崇拝者は、幼少期に虐待を受けては、サイコパスや多重人格者に仕立て上げられます。
多重人格者に仕立て上げられるのも、イルミナティの洗脳工作員として活動するからに他なりません。
なぜなら、イルミナティは、私たち庶民を一生騙し続ける行為をしなければならないからです。
もし、まともな神経で一生騙し続ける行為をした場合には、良心の呵責が生じる為、精神異常に陥り工作員としての工作活動に支障が生じます。
しかしながら、多重人格者に仕立て上げる事で、悪事を行う時は別の人格で行い、平素は主人格で行う事によって、良心の呵責が生じない様にしているのです。
その様にする事で、私たち庶民に嘘を付いて騙す行為を、平然と何の良心の呵責も無く行い続ける事が出来るのです。
正に、悪魔的な所業と言えます。
イルミナティの洗脳工作員として有名な人物が、「中田敦彦」です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
中田敦彦もまた、イルミナティの洗脳工作員として、幼少時に虐待を受けている多重人格者であると考えられます。
幼少時に虐待を受ける訳ですから、精神に異常を来たすであろう事は言うまでもありません。
実際に、政治家や有名人、芸能人は、精神異常者ばかりです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
森山中の「黒沢かずこ」も3人の人格がいる多重人格者です。
オードリーの「若林正恭」は、徳仁天皇にそっくりの上級国民で、幼少期の「奇行」についての証言があります。
更に、若林は相方の春日に腹を立てては、車で轢こうとした事実がある様です。
政治家でサイコパスと言えば、「河野太郎」が筆頭かと思われます。
河野太郎は、人口削減の「ゴールに向けて頑張っていきたい」との方針を示した大量殺戮犯です。
また、集団ストーカーを笑い事として話す「山本太郎」もサイコパスと言えます。
また、「ホームレスの命はどうでもいい」と発言していたメンタリストDaiGoもサイコパスと言えます。
この様に、私たち庶民では考えられないような行動や思想を持っている事からも、彼らが精神異常者である事がご理解頂けるかと思います。
そんな彼らが、イルミナティ(=悪魔崇拝者)であり、この日本のあらゆる分野に工作員として配置されては、日本を牛耳っているのです。
そして、この日本を牛耳っているのが、李家です。
李家は、イルミナティ13血流の内の一つです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、今現在引き起こされているコロナパンデミックにも、李家が関わっています。
コロナパンデミックは、大本教の出口王仁三郎がサタンから霊感を受けて計画したものを、創価学会が実行部隊として動いています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、創価学会は、「創価」に李家のアナグラムが仕掛けられています。
下記ツイートをご覧ください。
アナグラムは、イルミナティ(=悪魔崇拝者)が使う文字遊びになります。
例:サンタクロースは、「サタンクロス」のアナグラム(詳細は下記リンクをご覧ください。)
私自身も、アナグラムと知らずに使用してしまっておりました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
今もなおユーザー名を変えていないのは、私自身がイルミナティに洗脳されていたという証拠を残し、私の様な者でもイルミナティの洗脳から抜け出せたという事を知って頂く事で、皆様方に施されているイルミナティの洗脳を解くきっかけとなればと、考えさせて頂いております。
私たち庶民は、祖父母より遥か以前の代からイルミナティによって洗脳されて生きてきました。
ですから、私たち庶民は、漏れなく全員イルミナティからの洗脳を受けて成長し、今もなお生活しています。
この様に言われて、「私は洗脳なんてされていない。」と、心に思った方は、残念ながら洗脳されている証拠と言えます。。
洗脳というのは、洗脳されている事に気付いていない事が洗脳なのです。
そして、私たち庶民が洗脳されている事が悪い事なのかと言えば、必ずしもそう言う訳ではありません。
先程も申し上げました通り、祖父母より遥か以前からイルミナティの洗脳は行われています。
つまり、私たちの祖父母も両親も、漏れなく全員洗脳されているのです。
勿論、私の両親も同様です。
その事は、私と父とのコロナワクチンの接種を巡ってのやり取りをご覧になって頂ければ、ご理解頂けるかと思います。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
私たちが生まれて成人するまでは、基本的には親や学校から様々な事を教わるかと思います。
教える側である親も洗脳されていれば、学校の教師も洗脳されている事になります。
洗脳されている親や教師から教わっている以上、私たちは洗脳を回避する事は出来ません。
ですから、私たち庶民は漏れなく全員が、イルミナティの洗脳工作を受けている事になります。
幼少の頃、親に連れられて「神社仏閣」に行った経験はありませんか?
驚かれるかもしれませんが、その時点で、もう既に洗脳されているのです。
親が神社仏閣に子供を連れて行くのも、親も幼少の頃にその様に連れられていったからとも言えます。
そして、幼少の頃から神社仏閣に行く習慣を植え付けられた私たち庶民は、大人になっても神社仏閣に行き、もし子供が生まれたとしたならば、親と同様に子供を神社仏閣に連れていこうとされるのではないでしょうか。
この様に、生まれた時から洗脳されているのが、今を生きている私たちなのです。
多くの方が「神社仏閣に行く事のどこが洗脳なのか?」と、疑問に思われるかもしれません。
神社と寺を始めとした仏閣について、私たちは神仏習合と親などから教わります。
つまり、神社に祀られている神と、仏閣に納められている仏像は、同じ神であるとして融合させ、一つの信仰体系とする思想が神仏習合です。
ですから、日本人は神社にも行くし、仏閣にも足を運ぶといった習慣になっています。
この様に、2つを1つにする等、全てをごちゃ混ぜにして1つにするという思想は、サタン(悪魔)の思想そのものなのです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
つまり、「神仏習合」という考え方そのものが、イルミナティによる洗脳工作の手口という事になります。
ですから、神仏習合=イルミナティの洗脳工作=悪魔崇拝へと繋がる事を意味します。
つまり、神社仏閣には、神様がいらっしゃるのではなく、神社仏閣にいるのはサタン(悪魔)という事になります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ここまでをご覧になって頂き、神社仏閣にいるのはサタン(悪魔)であるという真実を、素直に受け入れられない方は、残念ながら洗脳がかなり深い証拠と言えます。
逆に、「そうだったんだ。」と、真実を素直に受け入れられる方は、洗脳から抜け出せる見込みがあります。
また、この記事をご覧になって頂いている方の中には、親がクリスチャンの方がいらっしゃるかもしれません。
親がクリスチャンの方は、恐らく神社仏閣に足を運ばないかと思いますが、残念ながら親の通っている教会も、イルミナティの破壊工作にあっている教会に過ぎません。
つまり、見た目はキリスト教の教会ですが、中身はイルミナティと同じく、悪魔崇拝の教理へと作り変えられてしまっています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
では、「どうすれば良いのか?」と、疑問に思われるかと思います。
皆様方は、「神」という存在について、これまでの人生の中で少なくとも1回くらいは耳にしたり、目にしたりした事があるのではないでしょうか?
神道、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ギリシャ神話、北欧神話、また神話を基にした映画や漫画、アニメ、ゲームなどで、見たり聞いたりした事があるかと思います。
世界規模で見ますと、実に多くの種類の「神」が存在している事になります。
何故これ程までに多くの「神」が存在しているのかと言えば、聖書に書かれている「神」の他は、全てサタン(悪魔)であるからに他なりません。
聖書には、以下の様に書かれています。
律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
マルコによる福音書 12章 32節
実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
ローマの信徒への手紙 03章 30節
すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
エフェソの信徒への手紙 04章 06節
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
テモテへの手紙一 02章 05節
あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
ヤコブの手紙 02章 19節
ご覧の通り、はっきりと「神は唯一である」と書かれています。
つまり、聖書の「神」の他は、全て「神」ではなく、「神」にとって代わろうとした「サタン(悪魔)」であるという事です。
ですから、特に「神道」は、宗教の名称に「神」が入っている事からも、神様をイメージしがちですが、その実態は「神」ではなく、サタン(悪魔)なのです。
この事は、ただ日常生活を送っているだけでは知る事が出来ません。
何故なら、私たち庶民は生まれながらに洗脳されており、神社仏閣がサタン(悪魔)だと疑う事すらしないからです。
気付くとしたら、聖書をしっかりと読んでいるクリスチャンの方が気付かれます。
しかしながら、先程も申し上げました通り、この世のキリスト教と呼ばれる教会は全てイルミナティによって破壊されてしまっております。
ですが、全世界で唯一、破壊されなかったキリスト教が残されていました。
それが、「RAPTブログ」です。
RAPTブログの執筆者であるRAPTさんは、通われていた教会がイルミナティの工作員によって破壊工作にあい、教会が乗っ取られてしまう事態に直面されました。
正しい教理を守る為、お一人で信仰を守られていらっしゃったRAPTさんは、正しいキリスト教を守り、伝道されようと血の滲む様な努力をされた結果、聖書の神様と共に、サタン(悪魔)及びイルミナティ(悪魔崇拝者)の秘密をことごとく暴く「RAPTブログ」を立ち上げられました。
そして、RAPTブログによって、サタン(悪魔)及びイルミナティ(悪魔崇拝者)の秘密を暴く理論である「RAPT理論」がこの世に誕生し、イルミナティによって隠されてきた真実が次々と明らかにされていきました。
その結果、私もRAPTブログに出会う事が出来、RAPT理論を学んでいく中で、自分自身が洗脳されているという事実に気付く事が出来ました。
そして、イルミナティという全世界中で悪の限りを尽くしている組織の存在を確信するのと同時に、私は神様の存在をも確信するに至りました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、RAPTブログがこの世に存在していなかったとしたら、私は洗脳されていた事に気付く事も無く、既に死んでいたものと思われます。
洗脳が解け、RAPT理論を学んでいたからこそ、私はコロナが嘘であり、イルミナティが全世界中で引き起こしている事を知る事が出来ていました。
しかしながら、洗脳が解けていなかったとしたら、コロナが本当に存在していると信じ、予防効果が得られると信じては、猛毒であるコロナワクチンを接種していたものと思われます。
コロナワクチンの接種は「死」を意味します。
ですから、私はRAPTブログによって命を救われた事になります。
つまり、「神様」と「RAPTさん」は、私にとって命の恩人です。
そして、命を救って頂いただけでなく、有料記事の御言葉を通して、このコロナ禍であっても充実した毎日を過ごさせて頂いてもいるのです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
命を救って頂いただけでなく、私の人生をより幸せな人生になる様にと、導いて下さってもいるのです。
そして、神様の御言葉にどこまでも従順に従って生きる事が、人間が本来生きるべき本当の生き方なのです。
この事を、私はRAPTブログ有料記事の御言葉を通して、学ばさせて頂きました。
ですから、誰でもRAPTブログ有料記事の御言葉を学ぶ事で、人間が本来生きるべき本当の生き方を生きる事が出来る様になります。
生まれながらに洗脳され、知らぬ間にサタン(悪魔)を拝んでしまっていた不幸な人生から脱却し、本当の神様を拝んで生きる生き方こそが、人間が本来生きるべき生き方なのです。
聖書にも以下の様に書かれています。(国名を日本に置き換えてご覧ください。)
ーーーーーーーーーーーーーーー使徒言行録 17章 22節~30節
パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。
道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。
それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。
また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。
すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。
実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』、『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。
わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。
さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。
ーーーーーーーーーーーーーーーここまで
「アテネ」を「日本」に置き換える事で、まるで、私たち日本人に向かって話をされている様な聖句になります。
「あなたがたが拝むいろいろなもの」とは、神社仏閣の事を指し示す事が出来ます。
「人間の技や考えで造った金、銀、石などの像」というのは、仏像を始めとする偶像崇拝の事を指し示しています。
そして、最後の聖句である「さて、神はこのような無知な時代を、大目にみてくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。」というのは、以下の様に解説する事が出来ます。
まず、「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが」というのは、私たち庶民がイルミナティによって洗脳されている事を神様はご存知でいらっしゃり、コロナパンデミックを通して、世の中にイルミナティという組織が存在している事を明るみにされ、世の中を支配していたのが、イルミナティというサタン(悪魔)を拝んでいる者達である事をも、私たちに教えて下さっています。
つまり、イルミナティの洗脳によって「無知」であった状態から抜け出せる様にと、コロナパンデミックという目に見える形で教えて下さっているのです。
更に、コロナパンデミックによって苦しんだ私たち庶民が、苦しみから逃れようとして、神様に立ち返る様にと、お導き下さっているのです。
そして、「今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。」というのは、神様に立ち返る方の中で、RAPTブログ有料記事の御言葉に出会い、御言葉を受け入れる方に関しては、これまで行っていた神社仏閣などの、悪魔崇拝につながる行為を止めて、ただ神様をだけを拝む生き方をする様にと諭されているのです。
つまり、イルミナティによって洗脳されてきた「常識」という「嘘」を捨て去り、「御言葉」という人間が真に幸せに生きる為の「常識」を学び、神様の御言葉の通りに従って生きる様にと仰って下さっているのです。
今までの常識であった知らぬ間にサタン(悪魔)を拝む人生と、本当の神様を拝む人生と、どちらが幸せな人生を生きられるかは、言うまでもありません。
そして、人間は神様の御言葉にどこまでも従順に従って生きる事で、幸せな人生を生きられます。
幸せな人生を生きられる道は、世界で唯一「RAPTブログ有料記事の御言葉」だけです。
この記事をご覧になって頂いている皆様方の洗脳が解かれ、一人でも多くの方が本当の神様の存在に気付いて下さり、神様の存在を確信して頂けるきっかけとなりましたら幸いです。
RAPTブログ有料記事はこちら。
グリム童話に再度話を戻しますが、グリム童話の改訂されている点についてをご紹介致します。
「ラプンツェル」のあらすじと改訂箇所が以下の通りです。
グリム兄弟が童話集から性的な要素を省くプロセスが明確である例としてよくあげられる。
初版では主人公が夜ごと王子を部屋に招き入れて逢瀬を重ね、結果として妊娠。それがばれてしまったため放逐されたプロセスを詳細に書いているが、後の版では逢瀬シーンが最小限に、さらに性行為の暗示は全てカットされ、放逐の理由も外部の人間である王子を招き入れ、恋仲にまでなっていることをうっかり言ってしまったためとされ、後に自分が生んだ子供と暮らしている描写が挿入されることにより妊娠が発覚、という版に改変された。
出典:ラプンツェル – Wikipedia
「ラプンツェル」のあらすじがこちら。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
あるところに農夫とおかみさんの夫婦がいた。長年子供がいなかった2人だが、ある時やっと子供を授かる。妊娠したおかみさんは隣に住む魔法使いの庭の畑のラプンツェルを食べたくてたまらなくなる。食が細ってやつれたおかみさんに「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう」と懇願された農夫は、魔法使いの敷地に忍び込むとラプンツェルをひとつ摘み取る。それをサラダにして食べたおかみさんは、今度はラプンツェルを三倍欲しいとねだり、農夫は再び魔法使いの庭からラプンツェルを摘み取りにかかるが、魔法使いに見つかってしまう。農夫から事情を聞いた魔法使いは、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せと約束させる。
やがておかみさんが生んだ女の子は即座に連れて行かれ、ラプンツェルと名付けられて、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。塔の中で美しい少女に成長したラプンツェルは、魔法使いが「ラプンツェル、ラプンツェル、おまえの髪を下ろしておくれ!」と言うと、金を紡いだような見事な長い髪を窓から垂らし、それをはしご代わりに塔へ出入りさせていた。そんなある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔の中のラプンツェルを発見。昼間は魔法使いが来るため、夜に同じ方法を使って塔に登る。はじめて男性との性交渉を知ったラプンツェルは驚くが、やがて愛し合い、夜ごと王子を部屋に招き入れて性交を行う。その結果ラプンツェルは妊娠する(初版以降は、友達のように話しかける王子に驚くラプンツェルだが、愛し合うようになると改変される)。
ある日、ラプンツェルは魔法使いに「ねえおばあさん、最近洋服がきついの」と口にし、怒った魔法使いはラプンツェルの髪を掴んでばっさりと切り落とし、荒野に放逐する(初版以降は、ラプンツェルが王子を招き入れて恋仲になったことをうっかり口にし、怒った魔法使いに放逐されると改変される)。一方、何も知らない王子がラプンツェルを訪ねに来ると、魔法使いは切り取ったラプンツェルの髪を下ろして塔に入れてやる。恐ろしい顔をした魔法使いに「あの子はもういないよ」と聞かされた王子は、絶望のあまり塔から身を投げ、命は助かるが茨が両目に突き刺さって失明する。
7年後、盲目のまま木の実やベリーを食べて森をさまよっていた王子は、ラプンツェルが追放された荒野へたどり着き、男女の双子の母となっていたラプンツェルとめぐり会う。うれし泣きするラプンツェルの涙が王子の両目に落ち、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、皆で幸せに暮らす。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
ラプンツェルは、ディズニー映画「塔の上のラプンツェル」にもなっていますが、その原作はグリム童話という事になります。
グリム童話での「ラプンツェル」は性的描写が多く、とても子供向けの童話ではありません。
こうした性的な描写を童話して出版していたのも、性の乱れを助長する為に、意図的に出版されていたものと思われます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、弟のヴィルヘルム・グリムは、フリーメイソンである「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」と繋がっています。
つまり、グリム兄弟もイルミナティ(=悪魔崇拝者)という事になります。
ですから、グリム童話はイルミナティの洗脳装置であると考えられます。
また、ラプンツェルの吹き替えを担当していたのが「しょこたん」こと「中川翔子」です。
下記ツイートをご覧ください。
中川翔子は、イルミナティサインであるコルナサインをして、大量殺戮犯「河野太郎」と仲良くツーショット写真を撮っています。
下記ツイートをご覧ください。
河野太郎は、ワクチンを打つと不妊になるという話はデマだと主張していた人物です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そんな大量殺戮犯である河野太郎と、ワクチンの話をしていたという事は、中川翔子も大量殺戮に加担している人物と言えます。
ルナサイン、河野太郎と仲良くツーショット写真を撮っている事からも、中川翔子は紛れもなくイルミナティと言えます。
グリム童話に話を戻しますが、その他に性的な描写が見受けられる作品が、「かえるの王さま」です。
「かえるの王さま」のあらすじがこちら。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載
ある国の王女が、森の泉に金の鞠を落としてしまう。そこへカエルが「自分を王女様のお友達にしてくれて、隣に座って同じ皿から食事を取って、あなたのベッドで寝かせてくれるのなら、拾ってきてあげよう」と申し出る。王女は条件をのむが鞠を取り戻せた途端、カエルを置き去りにして走って城へ帰ってしまう。
翌日王女が家族と夕食を取っていると、カエルが城に現れて王女に約束を守るように要求する。 王は王女から事情を訊き、約束を守るように命じる。王女が嫌々ながらもカエルと一緒に夕食をとった後、カエルは王女のベッドでの同衾(性行為)を要求する。王女は恐怖と嫌悪から泣きながら拒むが、王の命令によって寝室へ行くこととなる。
王女は寝室の隅にカエルを置いて一人で寝てしまおうとするが、カエルは「自分をベッドに上げてください、さもないと王に言いつける」と抗議する。王女は腹を立て、罵りながらカエルを壁に叩きつけようとする。するとカエルの魔法が解け、立派な王子の姿に戻る。これまでの無礼を詫びた王の求婚を受け、間もなく二人は仲良くなり、婚約をする。
しばらくして、王子の国から忠実な家来のハインリヒが馬車で迎えにやってくる。ハインリヒは王子がカエルになってしまった折、悲しみに胸が張り裂けそうだったので胸に3本の鉄の帯を巻き付けていたが、無事人に戻ることのできた王子と花嫁と共に祖国に戻る道中、鉄帯は喜びによって1本ずつ大きな音をたてて弾けて外れていく。
(中略)
また、カエルを壁に叩きつけるのではなく、カエルにキスをすることで魔法が解けるというバージョンも見られる。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
カエルと人間が性行為を要求する描写も、もちろん子供向けではありませんが、人間が人間以外の動物と性行為を行う事は、聖書にて禁じられています。
聖書には以下の様に書かれています。
動物と交わって身を汚してはならない。女性も動物に近づいて交わってはならない。これは、秩序を乱す行為である。
レビ記 18章 23節
ご覧の通り、神様への反逆行為を要求する事を描写されている事からも、グリム童話はイルミナティの洗脳装置であると言えるのではないでしょうか。
その他にも悪魔的要素が見受けられますので、続けてご紹介させて頂きます。
日本では「シンデレラ」で有名ですが、「灰かぶり姫(シンデレラ)」もグリム童話が原作になっています。
「灰かぶり姫」のあらすじと改訂が以下の通りです。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
- シンデレラは、継母とその連れ子である姉たちに日々いじめられていた(父親は作中に一度も登場しない)。
- あるとき、城で舞踏会が開かれ、姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがなかった。
- 舞踏会に行きたがるシンデレラを、不可思議な力(魔法使い、仙女、ネズミ、母親の形見の木、白鳩など)が助け、準備を整えるが、魔法は午前零時(=日付けが変わった瞬間)に解けるのでそれまでに帰ってくるようにと警告される。
- シンデレラは、城で王子に見初められる。
- 零時の鐘の音に焦ったシンデレラは階段に靴を落としてしまう。
- 王子は、靴を手がかりにシンデレラを捜す。
- 姉2人も含め、シンデレラの落とした靴は、シンデレラ以外の誰にも合わなかった。
- シンデレラは王子に見出され、妃として迎えられる。
(以下より改訂箇所)
- 魔法使いが登場しない(当然カボチャの馬車も登場せず、代わりに白鳩が主人公を助ける)。
- 美しいドレスと靴を持ってくるのは、母親の墓のそばに生えたハシバミの木にくる白い小鳥。
- ガラスの靴ではなく、1晩目は銀、2晩目は金の靴である。
- シンデレラが靴を階段に残したのは偶然脱げたのではなく、王子があらかじめピッチを塗って靴が絡め取られたから。
- 王子が靴を手がかりにシンデレラを捜す際、連れ子の姉たちは靴に合わせるためにナイフで足(長女が爪先、次女は踵)を切り落とす。しかしストッキングに血が滲んで見抜かれる。
- 物語の終わり、シンデレラの結婚式で姉2人はへつらって両脇に座るが、シンデレラの両肩に止まった白鳩に両目ともくり貫かれ失明する。
- シンデレラの結婚式の日、姉たちは足を切り落とされて松葉杖の生活になり、主人は首を吊って自殺してしまう。シンデレラは彼女達が今までの報いを受けた事に満足し、うれしさに満面の笑みを浮かべた。(世にも恐ろしいグリム童話より)
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
靴のサイズに合わせる為に、足をナイフで切り落としたり、鳩に両目をくり抜かれて失明し、その様子を満面の笑みで喜んでいたのが、グリム童話の「灰かぶり姫(シンデレラ)」です。
この様な残虐なシーンを盛り込んでいる事からも、とても子供向けとは言えない童話になっています。
同じ様に残虐シーンがあるものとして「白雪姫」があります。
「白雪姫」のあらすじがこちら。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載
ある国に、「白雪姫」と称される容貌に優れた王女がいた。しかし彼女の継母(グリム童話初版本では実母)である王妃は、自分こそが世界で一番美しいと信じていた。彼女が秘蔵する魔法の鏡は、「世界で一番美しいのはだれか」との問いにいつも「それは王妃様です」と答え、王妃は満足な日々を送っていた。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女は」と訊ねたところ、「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。怒りに燃える王妃は猟師を呼び出すと、「白雪姫を殺し、証拠として彼女の肺臓と肝臓(※作品によっては心臓となっている)を取って帰ってこい」と命じる。しかし猟師は白雪姫を不憫がり、殺さずに森の中に置き去りにする。そして王妃へは証拠の品として、イノシシの肝臓を持ち帰る。王妃はその肝臓を白雪姫のものだと信じ、大喜びで塩茹にして食べる。
森に残された白雪姫は、7人の小人(sieben Zwerge)たちと出会い、生活を共にするようになる。一方、白雪姫を始末して上機嫌の王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と尋ねたところ「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。白雪姫がまだ生きている事を知った王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って腰紐を白雪姫に売りつける。そして腰紐を締めてあげる振りをして彼女を締め上げ、息を絶えさせる。
やがて帰ってきた7人の小人は、事切れている白雪姫に驚き、腰紐を切って息を吹き返させる。一方、王妃が再び世界一の美女を魔法の鏡に尋ねたことにより、白雪姫が生きている事が露見する。王妃は毒を仕込んだ櫛を作り、再度物売りに扮して白雪姫を訪ねる。白雪姫は頭に櫛を突き刺され倒れるが、小人たちに助けられる。
今度こそ白雪姫を始末したと上機嫌の王妃だが、魔法の鏡の答えで白雪姫の生還を悟る。王妃は、毒を仕込んだリンゴを造り、善良なリンゴ売りに扮して白雪姫を訪ねる。白雪姫は疑いもなくリンゴを齧り、息絶える。
やがて帰ってきた小人たちは白雪姫が本当に死んでしまったものとして悲しみに暮れ、遺体をガラスの棺に入れる。そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。
白雪姫の棺をかついでいた家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。蘇生した白雪姫に王子は喜び、自分の国に連れ帰って妻として迎える。
白雪姫と王子の結婚披露宴の席。王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる。
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実母による数々の殺害行為と虐待行為、心臓を要求する行為、毒リンゴを作って食べさせる行為、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされては、死ぬまで踊らされる行為など、どれも残虐な描写が見受けられます。
また、リンゴも悪魔崇拝を象徴しているものと思われます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この様な残虐行為の数々は、拷問用具「アイアンメイデン」を作らさせたとされている「バートリ・エルジェーベト」の残虐さに通ずるものがあります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
なお、「白雪姫」もディズニーにて映画化されています。
ディズニー映画「白雪姫」の原作は、とても残虐な描写であるグリム童話という事になります。
次に、「ブレーメンの音楽隊」という童話があります。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
かつて働き者だったロバは年を取ってしまい、仕事が出来なくなってしまったので、飼い主から虐待されるようになった。これはかなわんと脱走し、ブレーメンに行って音楽隊に入ろうと考える。その旅の途中で同じような境遇のイヌ、ネコ、ニワトリに次々に出会い、彼らはロバの提案に賛成し、ブレーメンへと足を進めた。
ブレーメンへの道のりは遠く、日も暮れてしまったので動物たちは森の中で休憩をする事にした。すると、明かりが灯る家に気づいたので、その家に近づいてみると、中では泥棒たちがごちそうを食べながら金貨を分けている。ごちそうを食べたい動物たちは、泥棒を追い出すために一計を案じた。窓の所でロバの上にイヌが乗り、イヌの上にネコが乗り、ネコの上にニワトリが乗り、一斉に大声で鳴いたのである。泥棒たちはその声に驚き、窓に映った動物たちの影を見て、お化けが出たと叫んで逃げ出して行った。動物たちは家の中に入ってごちそうをたらふく食べる事ができ、腹一杯になると明かりを落として眠りについた。
森に逃げた泥棒たちは、落ち着きを取り戻すと家に帰ろうとした。そして一人が偵察のために真っ暗な家の中に恐る恐る踏み込む。動物たちは家に入ってくる泥棒に襲い掛かった。ネコは引っかき、イヌが噛みつき、ロバが蹴とばし、ニワトリは突っつく。闇の中で散々な目にあって逃げ帰った泥棒は、本当にお化けに襲われたと思って仲間に報告したので、泥棒たちは家を取り戻す事を諦めて退散してしまった。
動物たちはその家がすっかり気に入り、音楽を奏でながら仲良く暮らした。
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この話は、一見すると何の変哲もない様に見えますが、動物が人間を追い出す様子が描かれています。
つまり、人間よりも動物の方が上の立場になっています。
これも聖書に反する内容ですから、神様への反逆行為と言えます。
聖書には、以下の様に書かれています。
神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう。」神は人を自分のかたちに創造された。
創世記 01章 26節~28節
神のかたちにこれを創造し、男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて、これを従わせよ。海の魚、空の鳥、地を這うあらゆる生き物を治めよ。」
神様は、私たち人間を創造され、「海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう。」と仰られています。
つまり、人間が万物を主管出来る様に創造されているのです。
ですから。、ブレーメンの音楽隊の内容は、聖書に反する内容になっておりますので、神様への反逆を意図した童話と言えます。
ですから、「ブレーメンの音楽隊」は、悪魔崇拝者の童話と言えます。
最後に、子供への虐待行為が描写された「ヘンゼルとグレーテル」があります。
「ヘンゼルとグレーテル」のあらすじと改訂がこちら。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
ある森のそばに、貧しい木こりの夫婦とその子であるヘンゼルとグレーテルの兄妹が暮らしていた。その日のパンに事欠くほど貧しかった一家は、あるときからまったくパンが手に入らなくなり、どうしようもなくなった。そんな夜、お母さんは木こりに子供を森の中に捨ててくるように提案する。お父さんはためらうが、お母さんに押し切られて承知してしまう。
両親の会話を漏れ聞き、妹のグレーテルは泣き始めるが、兄のヘンゼルは自分がなんとかするからと妹をなだめ、ひとり外に出て月の光を受けて光る白い石をポケットいっぱいに集めた。
翌日、両親に連れられて兄妹は森の中へ入っていくが、帰りの道しるべとしてヘンゼルは道々白い石を落としていった。森の真ん中で両親はあとで迎えに来ると言い残して去って行き、そのまま夜となった。泣き出すグレーテルの手を引いて、白い石を辿りながら夜通し森を歩き、朝になってふたりは家にたどり着いた。
お父さんは子供たちの帰還を喜ぶが、お母さんは表面では喜んだものの心中では怒っていた。パンが底をつきかけた頃、お母さんはきこりにふたりが家に戻って来られないほどの森の奥まで連れて行こうと持ちかけ、お父さんは一度やってしまったことだからとやむなく承諾した。両親の会話を聞いていたヘンゼルはまた小石を拾いに行こうとするが、戸口が閉められていて拾うことができなかった。
翌朝、両親に連れられて兄妹は森に入った。ヘンゼルは小石の代わりに弁当として与えられたパン(クリスプ・ブレッドなどのハードブレッド)をポケットの中で粉々に砕き、道しるべとして道々落としていった。ふたりは生まれてから来たこともないほど森の奥に連れて行かれた。お母さんたちは夜になったら迎えに来ると言い残して去って行ったが、昼が過ぎ、夜になっても誰も現れなかった。
月が昇り、ヘンゼルは目印となるはずのパンのかけらを探したが、パンのかけらは森の何千もの鳥がついばんでしまったため、見つけることができなかった。ヘンゼルとグレーテルは野いちごで飢えをしのぎながら3日間森の中をさまよった。
3日目の昼頃、森の中で屋根がケーキ、壁がパン、窓が砂糖で作られた小さな家を見つけた。ふたりが夢中でその家を食べていると、中から老婆が現れた。老婆は驚くふたりの手を取って家の中に誘い、食事やお菓子、ベッドを提供した。しかし、この老婆の正体は子供をおびき寄せ、殺して食べる悪い魔女だった。
翌朝、ふたりが目覚める前にベッドに現れた魔女は、ヘンゼルを掴むと狭い家畜小屋に押し込んだ。次いでグレーテルを大声で起こし、おまえの兄さんを太らせてから食うから、そのための食事を作れと命じた。グレーテルは泣きながらも魔女の言うことを聞くしかなかった。それから毎日のようにヘンゼルは上等の食事を与えられた。目の悪い魔女はヘンゼルの指を触って太り具合を確かめようとしたが、ヘンゼルは指の代わりに食事の残りの骨を差し出したため、魔女はヘンゼルが一向に太らないのを不思議に思い、ヘンゼルを食べるのを先延ばしにしていた。
しかし、4週間も経つと魔女はついに我慢ができなくなり、ヘンゼルが太っていようといまいと、明日殺して煮て食うから大鍋の準備をしろとグレーテルに命じる。翌朝、グレーテルに大鍋を火にかけ湯を沸かすように言いつけ、魔女はパンを焼くかまどを準備しはじめた。グレーテルは兄を煮るための鍋を沸かすに至った自分の運命を嘆き、神に苦しみからの解放を祈った。
そのとき、魔女がグレーテルを呼び、目の悪い自分の代わりにパン釜に入ってパンの焼け具合を確かめろと言いつけた。内心、魔女は中に入ったグレーテルを閉じ込めて、焼いて食べるつもりだった。ところが、神がグレーテルに魔女の意図を教えたため、グレーテルは釜に入るやり方が分からないふりをして、魔女に手本を見せるように促した。魔女が釜に入った途端、グレーテルは魔女を押し込み外からかんぬきを掛けた。釜の中から魔女のうめき声がし始めたところでグレーテルは台所から逃げ出したので、魔女はそのまま焼け死んだ。
グレーテルはヘンゼルを助け出し、ふたりは喜び合った。魔女の家には多くの財宝があり、ポケットにいっぱいの宝石や真珠を詰めたふたりは家路についた。家ではお母さんが病で亡くなってしまい、お父さんは子供達を捨てたことをずっと悔やんでいた。帰ってきたふたりの姿を見てお父さんは喜び、子供たちが持ち帰った財宝で金持ちになった。
(以下より改訂箇所)
- ヘンゼルが小石を集めるシーンを省略する。
- 魔女がかまどに押し込まれない。
- グレーテルが、魔女の家で魔法を身につける。
- 父親が不在。もしくは、物語の最初で死別する。
- 物語の最後で母親が雷に打たれて死ぬ。
- 改心した両親が帰ってきた2人を見て喜び助け合って暮らす。
- 二人を捨ててくるとき、食べた直後に血まみれになり死んでしまう毒のパンを渡され、魔女の家にたどり着く。魔女の家にたくさんの財宝、食料をヘンゼルが見つけ、翌日、魔女をわざと釜に入れて、火を付け焼き殺し、魔女の家に住んでいた子供に毒のパンを食べさせ殺し、全部の財宝、食料を持ち、家を後にする。家族の元に帰ってきた二人は、事情を話し、父親と和解する。そしてちっとも愛してくれなかった母親を井戸に落とさせ殺した。(世にも恐ろしいグリム童話より)
また
- 最後にかまどの中で魔女が死ぬシーンで、継母(実母)も一緒に死ぬ。もしくは、魔女と継母(実母)が同一人物。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
「お菓子の家」は、「ヘンゼルとグレーテル」のグリム童話が由来の様です。
実母が子供を捨てる行為は、イルミナティの虐待や養子縁組に通じている様にも見受けられます。
また、作中に登場する魔女は、人を食べようとする描写が見受けられます。
人肉食も悪魔崇拝へと通じます、(詳細は下記リンクをご覧ください。)
初版の内容として、「毒入りパン」というのは、悪魔崇拝の一環である「サバト」とも考えられます。
また、「母親を井戸に落とさせ殺した」という記述も、とても残虐な描写と言えます。
この様に、グリム童話は性的描写、残酷、残虐な描写が見受けられますので、とてもではないですが、子供向けの童話とは言えません。
そして、そんなグリム童話を映画化しているディズニーは、イルミナティです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
つまり、イルミナティであるディズニーが映画の原作として取り入れている事からも、グリム童話はイルミナティによる人間を神様への反逆行為(罪)へと誘導する為の洗脳装置と言えます。
映画だけでなく、絵本などでグリム童話が原作になっているものがあるかと思いますが、グリム童話に関わっている全ての作品を避ける事が知恵と言えます。
イルミナティの洗脳装置は、日常のあらゆる所に仕組まれています。
そして、イルミナティが関わっている物には、基本的に悪魔的要素が組み込まれています。
イルミナティの洗脳から抜け出す為にも、RAPTブログにて真実を知り、賢く知恵を持って対処していかなければなりません。
この記事を通して、皆様方がイルミナティの洗脳から解けるきっかけとなりましたら幸いです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME