こんにちは。
HAJIMEです。
今回は、トレーラー(貨物自動車)について書いていきたいと思います。
トレーラーは日本だけでなく、世界各国で使用されている貨物自動車の一種です。
私たちの生活に必要な日用品など、様々な物資を日夜運んでくれている物流手段の一つでもあります。
トレーラーは、駆動部と貨物部が分離出来るのが特徴でもあります。
トレーラーの駆動部は、トレーラーヘッドとも呼ばれ、ヘッド部だけで走行しているのをたまに見かけたりもします。
トレーラーヘッドの動力には、主にディーゼルエンジンが採用されています。
ディーゼルエンジンの開発者が、ドイツの「ルドルフ・ディーゼル」という人物です。
ルドルフ・ディーゼルは、1893年にディーゼルエンジン発明の基盤となる論文を発表し、その後に特許を取得しています。
1893年「既知の蒸気機関と内燃機関を置換する合理的熱機関の理論と構築」(Theorie und Konstruktion eines rationellen Wärmemotors zum Ersatz der Dampfmaschine und der heute bekannten Verbrennungsmotoren) と題した論文を発表し、ディーゼルエンジン発明の基盤を築いた。1893年2月23日、特許を取得。
出典:ルドルフ・ディーゼル – Wikipedia
ディーゼル・エンジンの特徴としては、ガソリンエンジンに比べ熱効率が良く、低回転で大きなトルクを発生させる事が出来ます。
また、ガソリンに比べて安価な軽油を燃料としている事もメリットの一つと言えます。
低回転で大きなトルクを発生させる事が出来るからこそ、トラックやトレーラー等の貨物自動車や貨物列車の気動車や船舶、潜水艦など、大きな力を必要とする車両等において最適な動力とされています。
大型で低速であるほどディーゼルエンジンは長所が際立ちますが、小型で高速となるとディーゼルエンジンの長所が活かせず、短所が目立つ形となります。
その為、小型で高速である普通自動車などには、ディーゼルエンジンよりもガソリンエンジンの方が軍配が上がる形となります。
昨今では、ディーゼルエンジンの技術も向上し、普通自動車にも採用されている傾向が見受けられます。
ディーゼルエンジンに関して、更なる詳細は下記リンクをご覧ください。
ディーゼルエンジンを開発したルドルフ・ディーゼルは、不審な死を遂げています。
1913年9月29日の夕刻、ディーゼルはロンドンでの会議に出席するため、アントウェルペンから郵便蒸気船ドレスデン号に乗船した。船上で夕食をとった後、翌朝6時15分に起こしてくれという言葉を残して、午後10時ごろ自室に戻った。しかし、翌朝には彼の部屋は無人で、ディーゼルの姿はどこにもなかった。その部屋を調べてみると、ベッドを使った形跡がなく寝巻も畳んであったが、腕時計はベッドの左に外して置かれていた。彼の帽子とオーバーはきちんと畳まれた状態で後甲板の手摺の下に置かれているのが発見された。10日後、オランダの船 Coertsen の乗組員が北海のノルウェーに近い洋上に浮かんでいる死体を発見。その死体は腐敗がひどく、人相もわからず、船に引き上げることもできなかった。その代わりに船員はピルケース、財布、IDカード、ポケットナイフ、眼鏡ケースなどを死体から回収している。同年10月13日、それらの品をルドルフの息子が父のものだと確認した。
ディーゼルの死については様々な推理がなされている。伝記を書いた Grosserは自殺の可能性が高いとしている。商売敵や軍による殺害とする陰謀論もある。しかし、いずれも証拠に乏しく推測の域を出ない。
ディーゼルの失踪直後、妻のマルタはディーゼルからその航海に出る直前に渡された鞄を開けてみた。ディーゼルはその鞄を渡すとき、翌週まで開けないように指示していたのである。中には20万マルクの現金と預金口座が空になっていることを示す書類が入っていた。
出典:ルドルフ・ディーゼル – Wikipedia
船に乗り食事をした後に、失踪したとされ、ディーゼルの伝記には自殺の可能性が高いと書かれています。
この謎を解くヒントとして、ディーゼルはとある賞を受賞しています。
この事は、ディーゼルのWikipediaには書かれていません。
恐らくですが、意図的に隠されているものと思われます。
何故なら、自殺の可能性という線が限りなく薄くなるからです。
その賞というのが、「エリオット・クレッソン・メダル」という賞になります。
エリオット・クレッソン・メダル(Elliott Cresson Medal)は、アメリカ合衆国の自然科学および発明の賞。
ペンシルベニア州フィラデルフィアのフランクリン協会から授与されていた。アメリカの慈善活動家エリオット・クレッソンにちなんで名付けられた。1998年ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)に統合された。
出典:エリオット・クレッソン・メダル – Wikipedia
フランクリン協会というのは、ベンジャミン・フランクリンに因んで名づけられた協会(研究所)です。
フランクリン研究所は、科学博物館であり、フィラデルフィア、ペンシルベニア州の科学教育と研究の中心です。アメリカの科学者で政治家のベンジャミン・フランクリンにちなんで名付けられ、ベンジャミン・フランクリン国立記念館があります。1824年に設立されたフランクリン研究所は、米国で最も古い科学教育と開発の中心地の1つです。
出典:フランクリン研究所 – ウィキペディア (wikipedia.org)
過去の記事にて書かさせて頂いておりますが、ベンジャミン・フランクリンはフリーメイソンです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
エリオット・クレッソン・メダルは、フリーメイソンであるベンジャミン・フランクリンに因んでいる訳ですから、フリーメイソンと関わっている事を示す賞とも言えます。
そして、ルドルフ・ディーゼルは、1901年にエリオット・クレッソン・メダルを受賞しています。
つまり、ルドルフ・ディーゼルもフリーメイソンと関りのある人物、あるいは取り込まれた人物とも考えられます。
老衰ではなく、不審な死を遂げている事から、フリーメイソン(イルミナティ)に一時的に関わったあるいは取り込まれた後に、特許や利権の絡みで揉めたのかは分かりませんが、イルミナティの意向に反する事を行ったのでしょう。
その為、イルミナティから命を狙われている事を察したディーゼルは、妻に現金が入った鞄を渡したものと思われます。
ですから、自殺というよりは、イルミナティの利権が絡んだ暗殺であると考えられます。
その証拠に、この様なイルミナティカードが存在します。
実際にディーゼルエンジンは、大型船舶や潜水艦などのほとんどに採用されている動力機関です。
ほぼディーゼルエンジンの独壇場と言っても良い程です。
そう考えますと、ディーゼルエンジンに絡む利権の大きさは計り知れません。
イルミナティは、富(金)で世界を支配しようとしている者達の集まりでもあります。
ですから、利権の絡む所には基本的にイルミナティが関わっていると考えるのが自然です。
これらの事から、ルドルフ・ディーゼルはイルミナティによって暗殺された可能性が非常に高いと言えます。
現代の自動車業界を見ても、トヨタを始めとしてイルミナティが牛耳っている事は火を見るよりも明らかです。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
実際にトヨタは、水素自動車ミライをパクッて、さも自社で開発したかの様に見せかけては、高額な値段で販売し、庶民から金を巻き上げようとしています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、トヨタは日本一のブラック企業でもあります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
更に、日本一のブラック企業であるだけでなく、日本一の悪魔的企業でもあります。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、当ブログにおきましてもトヨタに関する記事を書かさせて頂いております。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この様に、トヨタはどこまでも悪事を働いている極悪企業です。
トヨタの様に世界規模の会社というのは、少なからずイルミナティが関わっている事の裏返しでもあります。
イルミナティという組織が現実に存在している事実を、トヨタという企業を通して知って頂けましたら幸いです。
ディーゼルエンジンに話を戻しますが、トレーラーなどの大型貨物自動車に搭載されているディーゼルエンジンは、目に見えて身体に有毒そうな黒煙を排出していた時代がありました。
これはかなり酷い例ですが、私が高校生の頃、自転車通学時に、大型トラックが横を通過する度に息を止めて凌いでいたのを思い出します。
今現在は、この黒煙を浄化する技術が開発され、多くのディーゼル車に採用されています。
その技術を「尿素SCRシステム」と言います。
尿素SCRシステム(にょうそSCRシステム)は、排気ガス浄化技術の1つで、ディーゼルエンジンの排気中の窒素酸化物(NOx)を浄化する技術である。SCRはSelective Catalytic Reductionの略であり、日本語では「選択(的)触媒還元」を意味する。尿素以外の還元剤を使用する方法もあるが、尿素水を使用する方式が主流である。
尿素SCRは、火力発電所などの排気ガス処理に利用されていたもので、自動車への実用化例はなかったが、日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)が自動車用の尿素SCRシステム「FLENDS」(フレンズ、Final Low Emission New Diesel Sytem)を開発し、2004年に世界初の実用化に成功した。翌2005年には自動車技術会技術開発賞を受賞している。
出典:尿素SCRシステム – Wikipedia
尿素SCRシステムを自動車用に実用化したのが、当時の「日産ディーゼル工業(現在:UDトラックス)」です。
2004年に世界で初めて実用化に成功したと書かれています。
日産と言えば、ルノーが出資していました。
1999年、ルノーは日産自動車との資本提携時に日産ディーゼルへ出資して株主名簿記載順位第2位となり、ルノー指揮下でリストラを進行した。
2003年3月、日産ディーゼル車架装のおよそ6割を担っていた富士重工業伊勢崎製作所がバス車体製造事業から撤退(同年にスバルカスタマイズ工房として独立、2011年より桐生工業伊勢崎工場)。それにともない、バスボディの調達先を西日本車体工業へ集約した。
2005年3月、経営再建が終了してルノー所有株式が放出され、再び日産自動車傘下になる。
出典:UDトラックス – Wikipedia
1999年~2005年3月まで、日産ディーゼルはルノーの傘下にありました。
ルノーと言えば、ロゴが黄色です。
下記ツイートをご覧ください。
尿素SCRシステムを出した2004年はルノー傘下にあった事になりますから、李家が尿素SCRシステムの利権を握っていたものと思われます。
そして、2005年にルノーは日産ディーゼルの株式を放出し、日産ディーゼルは再び日産自動車の参加に戻っています。
しかしながら、日産自動車の筆頭株主がルノーのままですから、胴元はルノー(李家)という事になります。
また、ルノーは2018年にGoogleとも提携しています。
2018年9月18日 – Googleとパートナーシップを結び、2021年から車両にカスタマイズしたAndroid オペレーティングシステムを搭載することを発表した。新しいシステムではダッシュボードで車両診断に加えてGoogle マップやGoogle アシスタント、Google Playなどを利用でき、iOSデバイスとも互換性がある。
出典:ルノー – Wikipedia
Googleは、人類の敵である創価学会とズブズブの創価企業です。
Google創業者「ラリー・ペイジ」は、創価信者でした。
下記ツイートをご覧ください。
創業者が創価信者である為か、Googleは池田大作の死を隠し、検索しても表に出て来ない様に細工を施していました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
更に、Googleは事実上のワクチン会社でもありました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
- 【創価企業Googleはワクチン会社だった】収集したユーザーのプライバシー情報を製薬会社に提供し、ワクチン製造に直接的に関与 | RAPT理論のさらなる進化形 (rapt-plusalpha.com)
ワクチンの危険性は、RAPT理論+αの記事を中心に、ネット上で広く拡散されています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、アメリカの最高裁判所も「コロナワクチンはワクチンではなく、安全でもないため、全力で接種を回避しなければならない。」との判決を下しています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この様な危険なワクチンを、日本で推進し始めたのが公明党です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
下記ツイートもご覧ください。
そして、世界中に毒ワクチンをばら撒いているのが「ビル・ゲイツ」です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
世界中にワクチンという毒をばら撒いているビル・ゲイツから、感謝状を貰っているのが「公明党」です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
つまり、ビル・ゲイツ=公明党=創価学会へと繋がります。
コロナパンデミックは大本教の出口王仁三郎が計画したものを、創価学会が実行部隊として計画を遂行しています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、こちらの記事でも、創価学会とコロナについて書かさせて頂いております。
以上より、コロナパンデミックの騒動そのものは、創価学会がメディアを使って存分に煽り立て、コロナワクチンについては、ビル・ゲイツが各製薬会社に金をばら撒いては、世界中にばら撒いているという事になります。
この様な悪事を働いているビル・ゲイツですが、アメリカの軍事法廷にて有罪判決が下され、10月5日に死刑執行が確定しております。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ビル・ゲイツの死刑判決が下されたという事は、ワクチン接種を推進している筆頭が失脚した事を意味します。
ですから、ビル・ゲイツの大金で動いていたイルミナティの下っ端たちは、ビル・ゲイツに従う必要が無くなる事をも意味します。
その為か、北欧4ヵ国のデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドでは、コロナ茶番に付き合うのを止め、コロナ以前の日常に戻っています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
これらの事実からも、ビル・ゲイツがコロナパンデミックに及ぼしている影響力がかなり強かった事を示している事がご理解頂けるかと思います。
そして、フィリピンの大統領ドゥテルテも、ワクチンに対する対応を180度転換しています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ドゥテルテも、ビル・ゲイツの言う事を聞かなくても良くなったからこそ、コロナ茶番収束に向けて動き出しているものと思われます。
この流れは世界各国へと広まっていくものと思われますし、ここ日本でも同様の流れになる可能性が十分に考えられます。
その証拠に、李家の北野武がコロナを「流行り風邪」との発言をしています。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
北野武についての詳細は、下記リンクをご覧ください。
以上より、ここ日本においても、コロナ茶番を完全に終わらせる可能性が十分に考えられますので、早まってワクチンを接種してしまう様な事が無い様に、十分にご注意下さい。
例え、どの様な状況下に陥ったとしましても、ワクチンの接種は全力で回避しなければなりません。
ワクチンの接種=死を意味します。
ここ日本では、強制をされなかったとしても周囲からの同調圧力が見受けられます。
日本人の特徴として、周りの目を気にしてしまい、本当は接種したくないけど仕方なくワクチンを接種してしまったという方の話もちらほら耳にします。
先程も申し上げましたが、ワクチンの接種=死を意味します。
同調圧力に屈して命を失うか、同調圧力を跳ね除けて職や同僚、友人を失って命を得るかの選択になります。
正に、命を秤にかけた天秤です。
コロナワクチンの毒性を軽く考えているからこそ、同調圧力に屈して接種してしまうものと思いますが、逆に圧力をかけてくる人間というのは、ワクチン接種済みの人間が大半かと思われます。
同調圧力に屈して、接種済みの人間との一時的な人間関係を保てたとしても、3年後にはワクチンの効果が出て死に至り、自他ともに命を失ってしまう事になります。
ですから、同調圧力に屈して一時的に圧力を回避出来たとしても、長い目で見たら何の意味もありません。
ワクチンの危険性を十分にご理解頂き、どの様な状況下に置かれたとしても、ワクチンの接種は全力で回避しなければなりません。
自分自身の命より、職や同僚、友人が大事なのでしょうか?
また、ワクチンの接種を推進したり、接種する様に圧力をかけてくる人物は、ワクチンを利用した殺人犯と言っても過言ではありません。
ワクチンの接種が人の命を絶つ危険な代物だという事をご理解頂ければ、ワクチンを接種しようとも思いませんし、他人に接種を推進したり、接種する様に圧力をかける事もないはずです。
どうかご自身の意思をしっかりと持って、賢く知恵を持ってワクチンの接種を全力で回避し、ご自身の命を守る様に努めて下さい。
私は、勤めている会社の社長に、退職覚悟でワクチンの接種を止めようと試みましたが、あえなく失敗に終わってしまいました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
また、10年以上付き合いのある取引先の方も、お会いしたその日に接種を予約しており、全力でワクチンの接種しない様にお伝えしましたが、上記リンク記事の会社の社長同様にあえなく失敗に終わっております。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
この記事をご覧になって頂いている一人でも多くの方が、ワクチンの危険性についてご理解頂き、ワクチンの接種を回避、または免れるきっかけとなりましたら幸いです。
一人でも多くの方がワクチンの接種をする事なく、コロナという茶番を乗り切って下さいます事を心から願っています。
最後に、ディーゼルエンジンに話を戻しますが、ディーゼルエンジンの排ガスを浄化する尿素SCRシステムでは、文字通り「尿素」が使われています。
尿素を生み出した人物として、「フリードリヒ・ヴェーラー」という人物がいます。
フリードリヒ・ヴェーラーが尿素を生み出したとされる経緯がこちら。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
尿素は、人間の手によって初めて無機化合物のみから合成された有機化合物として、有機化学の歴史上非常に重要な化合物である。 フリードリヒ・ヴェーラーは1828年にその合成に成功した。彼は、シアン酸アンモニウムの水溶液を加熱して尿素が生成することを確認した。この合成法はヴェーラー合成と呼ばれている。
その当時の化学では、有機化合物は生物にしか作り出すことができないという考え(生気論)が正当とされてきたが、ヴェーラーの実験結果はそれをくつがえすもののひとつとなった(ただし、尿素は炭酸のアミドに相当し、炭酸は通常有機化合物に含まれない。このため尿素を真に有機化合物と呼んでよいかは議論がある)。
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
ご覧の様に、フリードリヒ・ヴェーラーは、無機物から有機化合物である尿素を生み出したとされています。
この事が事実であれば、「生気論」を覆す事になるとも書かれています。
しかし、フリードリヒ・ヴェーラー自身は、生気論を否定しない記述も書かれています。
シュタールの説に対しては、「1828年のフリードリヒ・ヴェーラーによる尿素の合成をはじめとして化学技術の発展により多くの有機物が人工的に生体外で合成できるようになった」ということを生気論の否定と関連づける説明文が初学者向けの教科書などでしばしば見られる。だが、実際に歴史を詳しく調べると、ヴェーラー自身は、自身の尿素合成は無機物からの合成ではないという一部の人の主張を認め、生気論の考えを否定しようとはしなかったという。
出典:生気論 – Wikipedia
しかも、尿素合成は無機物からの合成ではないと、フリードリヒ・ヴェーラー自身が認めています。
ですから、フリードリヒ・ヴェーラーによる無機物から有機化合物を生み出したとする説は「嘘」という事になります。
そして、フリードリヒ・ヴェーラーは、とある賞を受賞しています。
その賞というのが、「コプリ・メダル」です。
コプリ・メダル(英: Copley Medal)は 科学業績に対して贈られる最も歴史の古い賞である。イギリス王立協会によって1731年に創立され、毎年贈られている。
裕福な地主で1691年に王立協会のメンバーになったゴッドフリー・コプリ卿の基金をもとに設立された。数学または物理科学の研究者と生命科学の研究者から一年ごとに交互に選出している。受賞者は協会のフェローあるいは外国人会員に選出される。
出典:コプリ・メダル – Wikipedia
イギリス王立協会のよって創立され、最も歴史の古い賞と言われています。
かなり多いですが、コプリ・メダルの受賞者一覧がこちらです。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下より転載(出典はこちら)
1731年~1749年
- 1731年:スティーヴン・グレイ
- 1732年:スティーヴン・グレイ(2回目)
- 1734年:ジョン・デサグリエ
- 1736年:ジョン・デサグリエ(2回目)
- 1737年:John Belchier
- 1738年:James Valoue
- 1739年:スティーヴン・ヘールズ
- 1740年:Alexander Stuart
- 1741年:ジョン・デサグリエ(3回目)
- 1742年:クリストファー・ミドルトン
- 1743年:アブラハム・トランブレー
- 1744年:Henry Baker
- 1745年:ウィリアム・ワトソン
- 1746年:Benjamin Robins
- 1747年:Gowin Knight
- 1748年:ジェームズ・ブラッドリー
- 1749年:ジョン・ハリソン
1750年~1799年
- 1750年:ジョージ・エドワーズ
- 1751年:John Canton
- 1752年:ジョン・プリングル
- 1753年:ベンジャミン・フランクリン
- 1754年:ウィリアム・ルイス
- 1755年:John Huxham
- 1756年: 受賞者なし
- 1757年:チャールズ・キャヴェンディッシュ(Charles Cavendish)
- 1758年:ジョン・ドロンド
- 1759年:ジョン・スミートン
- 1760年:ベンジャミン・ウィルソン(Benjamin Wilson)
- 1761年: 受賞者なし
- 1762年: 受賞者なし
- 1763年: 受賞者なし
- 1764年:John Canton
- 1765年: 受賞者なし
- 1766年:ウィリアム・ブラウンリッジ(William Brownrigg)、 Edward Delaval、 ヘンリー・キャヴェンディッシュ
- 1767年:ジョン・エリス
- 1768年:Peter Woulfe
- 1769年:ウィリアム・ヒュースン
- 1770年:ウィリアム・ダグラス・ハミルトン
- 1771年:Matthew Raper
- 1772年:ジョゼフ・プリーストリー
- 1773年:ジョン・ウォルシュ(John Walsh)
- 1774年: 受賞者なし
- 1775年:ネヴィル・マスケリン
- 1776年:ジェームズ・クック
- 1777年:ジョン・マッジ
- 1778年:チャールズ・ハットン(Charles Hutton)
- 1779年: 受賞者なし
- 1780年:Samuel Vince
- 1781年:ウィリアム・ハーシェル
- 1782年:リチャード・カーワン
- 1783年:ジョン・グッドリック、Thomas Hutchins
- 1784年:エドワード・ウェアリング
- 1785年:ウィリアム・ロイ(William Roy)
- 1786年: 受賞者なし
- 1787年:ジョン・ハンター
- 1788年:Charles Blagden
- 1789年:ウィリアム・M・モーガン(William Morgan)
- 1790年: 受賞者なし
- 1791年:James Rennell; Jean-Andre Deluc
- 1792年:ベンジャミン・トンプソン
- 1793年: 受賞者なし
- 1794年:アレッサンドロ・ボルタ
- 1795年:Jesse Ramsden
- 1796年:ジョージ・アトウッド
- 1797年: 受賞者なし
- 1798年:George Shuckburgh、チャールズ・ハチェット
- 1799年:ジョン・ヘリンズ(John Hellins)
1800年~1849年
- 1800年:エドワード・ハワード
- 1801年:アストリー・クーパー
- 1802年:ウイリアム・ウォラストン
- 1803年:リチャード・チェネヴィックス
- 1804年:スミソン・テナント
- 1805年:ハンフリー・デービー
- 1806年:トーマス・アンドルー・ナイト
- 1807年:エヴァラード・ホーム
- 1808年:ウィリアム・ヘンリー
- 1809年:エドワード・トルートン(Edward Troughton)
- 1810年: 受賞者なし
- 1811年:ベンジャミン・ブロディー(Benjamin Brodie)
- 1812年: 受賞者なし
- 1813年:ウィリアム・トマス・ブランド
- 1814年:ジェームズ・アイヴォリー (James Ivory)
- 1815年:ディヴィッド・ブリュースター
- 1816年: 受賞者なし
- 1817年:ヘンリー・ケーター
- 1818年:Robert Seppings
- 1819年: 受賞者なし
- 1820年:ハンス・クリスティアン・エルステッド
- 1821年:エドワード・サビーン、ジョン・ハーシェル
- 1822年:ウィリアム・バックランド
- 1823年:ジョン・ポンド
- 1824年:ジョン・ブリンクリー
- 1825年:フランソワ・ジャン・ドミニク・アラゴー、ピーター・バーロー
- 1826年:ジェームズ・サウス
- 1827年:ウィリアム・プラウト、 ヘンリー・フォスター
- 1828年: 受賞者なし
- 1829年: 受賞者なし
- 1830年: 受賞者なし
- 1831年:ジョージ・ビドル・エアリー
- 1832年:マイケル・ファラデー、シメオン・ドニ・ポアソン
- 1833年: 受賞者なし
- 1834年:ジョヴァンニ・プラーナ
- 1835年:ウィリアム・スノー・ハリス(William Snow Harris)
- 1836年:イェンス・ベルセリウス、Francis Kiernan
- 1837年:アントワーヌ・セザール・ベクレル、ジョン・フレデリック・ダニエル
- 1838年:カール・フリードリヒ・ガウス、マイケル・ファラデー(2回目)
- 1839年:ロバート・ブラウン
- 1840年:ユストゥス・フォン・リービッヒ、Jacques Charles Francois Sturm
- 1841年:ゲオルク・オーム
- 1842年:ジェームズ・マッカラー
- 1843年:ジャン=バティスト・デュマ
- 1844年:カルロ・マテウッチ
- 1845年:テオドール・シュワン
- 1846年:ユルバン・ルヴェリエ
- 1847年:ジョン・ハーシェル(2回目)
- 1848年:ジョン・クーチ・アダムズ
- 1849年:ロデリック・マーチソン
1850年~1899年
- 1850年:ペーター・ハンゼン
- 1851年:リチャード・オーウェン
- 1852年:アレクサンダー・フォン・フンボルト
- 1853年:ハインリッヒ・ウィルヘルム・ドーヴェ
- 1854年:ヨハネス・ペーター・ミュラー
- 1855年:レオン・フーコー
- 1856年:アンリ・ミルン=エドワール
- 1857年:ミッシェル・シュブルール
- 1858年:チャールズ・ライエル
- 1859年:ヴィルヘルム・ヴェーバー
- 1860年:ロベルト・ブンゼン
- 1861年:ルイ・アガッシ
- 1862年:トーマス・グレアム
- 1863年:アダム・セジウィック
- 1864年:チャールズ・ダーウィン
- 1865年:ミシェル・シャール(Michel Chasles)
- 1866年:Julius Plucker
- 1867年:カール・エルンスト・フォン・ベーア
- 1868年:チャールズ・ホイートストン
- 1869年:アンリ・ヴィクトル・ルニョー
- 1870年:ジェームズ・プレスコット・ジュール
- 1871年:ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー
- 1872年:フリードリヒ・ヴェーラー
- 1873年:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ
- 1874年:ルイ・パスツール
- 1875年:アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン
- 1876年:クロード・ベルナール
- 1877年:ジェームズ・デーナ
- 1878年:ジャン・バティスト・ブサンゴー
- 1879年:ルドルフ・クラウジウス
- 1880年:ジェームス・ジョセフ・シルベスター
- 1881年:アドルフ・ヴュルツ
- 1882年:アーサー・ケイリー
- 1883年:ウィリアム・トムソン
- 1884年:カール・ルートヴィヒ
- 1885年:フリードリヒ・ケクレ
- 1886年:フランツ・エルンスト・ノイマン
- 1887年:ジョセフ・ダルトン・フッカー
- 1888年:トマス・ヘンリー・ハクスリー
- 1889年:George Salmon
- 1890年:サイモン・ニューカム
- 1891年:スタニズラオ・カニッツァーロ
- 1892年:ルドルフ・ウィルヒョー
- 1893年:ジョージ・ガブリエル・ストークス
- 1894年:エドワード・フランクランド
- 1895年:カール・ワイエルシュトラス
- 1896年:Karl Gegenbaur
- 1897年:アルベルト・フォン・ケリカー
- 1898年:ウィリアム・ハギンズ
- 1899年:ジョン・ウィリアム・ストラット
1900年~1949年
- 1900年:マルセラン・ベルテロ
- 1901年:ウィラード・ギブズ
- 1902年:ジョゼフ・リスター
- 1903年:エドアルト・ジュース
- 1904年:ウィリアム・クルックス
- 1905年:ドミトリ・メンデレーエフ
- 1906年:イリヤ・メチニコフ
- 1907年:アルバート・マイケルソン
- 1908年:アルフレッド・ラッセル・ウォレス
- 1909年:ジョージ・ウィリアム・ヒル
- 1910年:フランシス・ゴルトン
- 1911年:ジョージ・ハワード・ダーウィン
- 1912年:フェリックス・クライン
- 1913年:レイ・ランケスター
- 1914年:ジョゼフ・ジョン・トムソン
- 1915年:イワン・パブロフ
- 1916年:ジェイムズ・デュワー
- 1917年:エミール・ルー(Pierre Paul Émile Roux)
- 1918年:ヘンドリック・ローレンツ
- 1919年:William Bayliss
- 1920年:Horace Brown
- 1921年:ジョゼフ・ラーモア
- 1922年:アーネスト・ラザフォード
- 1923年:Horace Lamb
- 1924年:Edward Albert Sharpey-Schafer
- 1925年:アルベルト・アインシュタイン
- 1926年:フレデリック・ホプキンズ
- 1927年:チャールズ・シェリントン
- 1928年:チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ
- 1929年:マックス・プランク
- 1930年:ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ
- 1931年:アーサー・シュスター
- 1932年:ジョージ・ヘール
- 1933年:セオバルド・スミス
- 1934年:ジョン・ホールデン(John Haldane)
- 1935年:チャールズ・ウィルソン
- 1936年:アーサー・エヴァンズ
- 1937年:ヘンリー・ハレット・デール
- 1938年:ニールス・ボーア
- 1939年:トーマス・ハント・モーガン
- 1940年:ポール・ランジュバン
- 1941年:トーマス・ルイス(Thomas Lewis)
- 1942年:ロバート・ロビンソン
- 1943年:ジョゼフ・バークロフト(Joseph Barcroft)
- 1944年:ジェフリー・テーラー
- 1945年:オズワルド・アベリー
- 1946年:エドガー・エイドリアン
- 1947年:ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ
- 1948年:アーチボルド・ヒル
- 1949年:ゲオルク・ド・ヘヴェシー
1950年~1999年
- 1950年:ジェームズ・チャドウィック
- 1951年:デーヴィッド・ケイリン
- 1952年:ポール・ディラック
- 1953年:Albert Kluyver
- 1954年:エドマンド・テイラー・ホイッテーカー
- 1955年:ロナルド・フィッシャー
- 1956年:パトリック・ブラケット
- 1957年:ハワード・フローリー
- 1958年:ジョン・エデンサー・リトルウッド
- 1959年:フランク・マクファーレン・バーネット
- 1960年:ハロルド・ジェフリーズ
- 1961年:ハンス・クレブス
- 1962年:シリル・ヒンシェルウッド
- 1963年:Paul Fildes
- 1964年:シドニー・チャップマン
- 1965年:アラン・ロイド・ホジキン
- 1966年:ローレンス・ブラッグ
- 1967年:ベルンハルト・カッツ
- 1968年:タデウシュ・ライヒスタイン
- 1969年:ピーター・メダワー
- 1970年:アレクサンダー・トッド
- 1971年:Norman Pirie
- 1972年:ネヴィル・モット
- 1973年:アンドリュー・ハクスリー
- 1974年:ウィリアム・ホッジ
- 1975年:フランシス・クリック
- 1976年:ドロシー・ホジキン
- 1977年:フレデリック・サンガー
- 1978年:ロバート・バーンズ・ウッドワード
- 1979年:マックス・ペルーツ
- 1980年:デレック・バートン
- 1981年:ピーター・ミッチェル
- 1982年:ジョン・コーンフォース
- 1983年:ロドニー・ロバート・ポーター
- 1984年:スブラマニアン・チャンドラセカール
- 1985年:アーロン・クルーグ
- 1986年:ルドルフ・パイエルス
- 1987年:ロバート・ヒル
- 1988年:マイケル・アティヤ
- 1989年:セーサル・ミルスタイン
- 1990年:アブドゥッサラーム
- 1991年:シドニー・ブレナー
- 1992年:ジョージ・ポーター
- 1993年:ジェームズ・ワトソン
- 1994年:チャールズ・フランク(Frederick Charles Frank)
- 1995年:Frank Fenner
- 1996年:アラン・コットレル(Alan Cottrell)
- 1997年:ヒュー・ハクスレー(Hugh Huxley)
- 1998年:James Lighthill
- 1999年:ジョン・メイナード・スミス
2000年~
- 2000年:Alan Battersby
- 2001年:ジャック・ミラー
- 2002年:ジョン・ポープル
- 2003年:ジョン・ガードン
- 2004年:ハロルド・クロトー
- 2005年:ポール・ナース
- 2006年:スティーヴン・ホーキング
- 2007年:ロバート・メイ
- 2008年:ロジャー・ペンローズ
- 2009年:マーティン・エヴァンズ
- 2010年:David Cox、トマス・リンダール
- 2011年:Dan McKenzie
- 2012年:ジョン・E・ウォーカー
- 2013年:アンドレ・ガイム
- 2014年:アレック・ジェフリーズ
- 2015年:ピーター・ヒッグス
- 2016年:リチャード・ヘンダーソン
- 2017年:アンドリュー・ワイルズ
- 2018年:ジェフリー・ゴードン
- 2019年:ジョン・グッドイナフ
- 2020年:Alan Fersht
- 2021年:ジョスリン・ベル・バーネル
ーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで
著名な受賞者の代表例としましては
- アルベルト・アインシュタイン
- ベンジャミン・フランクリン
- ジェームズ・クック
- ユストゥス・フォン・リービッヒ
- アレクサンダー・フォン・フンボルト
- チャールズ・ダーウィン
- スティーブン・ホーキング(ALS患者)
- ピーター・ヒッグス
彼らは全員フリーメイソンです。
つまり、イルミナティ(悪魔崇拝者)です。
そして、フリードリヒ・ヴェーラーの無機物から有機化合物を合成したとする尿素の合成は、本人も嘘と認めています。
にも関わらず、最も古い科学の賞とされている「コプリ・メダル」を受賞しています。
つまり、コプリ・メダルという賞そのものは、ノーベル賞と同じく、私たち庶民を騙す為の嘘に権威付けする賞であるものと考えられます。
私たち庶民を騙すという事は、この世の中の真実を教えないという事をも意味しています。
そして、フリーメイソンの会員が多数受賞している事からも、神様の存在を否定する為の嘘が数多く組み込まれていると考えられます。
人間が猿から進化したとするチャールズ・ダーウィンの「進化論」が、正にその証拠です。
人間は神様にかたどって創られたと聖書に書かれています。
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
創世記 01章 27節
また、スティーブン・ホーキングのブラックホールについても、存在しない宇宙の捏造しているに過ぎません。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
これらの事から、「コプリ・メダル」もノーベル賞と同じく、私たち庶民を騙す為の嘘を強力に後押しするただの権威付けする為の賞と言えます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
そして、コプリ・メダルを贈呈しているのが「イギリス王立協会」です。
王立学会(おうりつがっかい、Royal Society)は、1660年にロンドンで作られた民間の科学に関する団体である「自然についての知識を改善するためのロンドン王立学会」(The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge)のことである。他の日本語訳として王立協会(おうりつきょうかい)、王認学会(おうにんがっかい)がある。結成以来現在まで続いており、最古の学会である。ロイヤルという名前は1662年にチャールズ2世の勅許を得て法人格を得たためつけられたが、国王または女王はあくまで守護者(パトロン)と言う位置づけで、フランスの王立パリ科学アカデミーと違って国庫の補助はなく、1850年に政府の補助金を得るまで会員の会費によって運営されていた。
(中略)
万有引力の法則の発見や光学の研究で近代科学に多大な影響を与えたアイザック・ニュートンは、その業績が認められ後に会長になった。
出典:王立学会 – Wikipedia
この王立協会の会長に、万有引力の法則で有名な「アイザック・ニュートン」が就任しています。
万有引力の法則は、天体を基にした理論ですので、宇宙が存在しない以上、万有引力の法則もただのインチキデタラメな理論と言えます。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
以上より、嘘つきが会長に就任する王立協会は、ただの嘘付きの集まりという事が言えます。
その他にも、王立協会に属する人物による嘘が多数存在します。
下記ツイートをご覧ください。
ご覧の通り、王立協会はフリーメイソン、イルミナティ(悪魔崇拝者)による嘘つき集団である事がご理解頂けるかと思います。
この様に、イルミナティは私たち庶民に嘘を教え、真実を意図的に隠蔽しているのは疑い様の無い事実です。
その様に真実を隠蔽しているのも、神様の存在を否定するからに他なりません。
イルミナティは、サタン(悪魔)を拝んでいる連中です。
サタン(悪魔)は、私たち庶民に神様の存在を隠し、サタン(悪魔)こそが神であるかの様に私たち庶民を洗脳しているのです。
その証拠が、日本で言う所の神社仏閣です。
神社仏閣に神様はいらっしゃいません。
神社仏閣にいるのはサタン(悪魔)です。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
ですから、神社仏閣にお参りしたり、仏像を拝む事は、サタン(悪魔)に対して行っている事になります。
また、仏像(偶像)を拝む行為は聖書で禁じられていますので、神様への反逆行為に該当します。
聖書にも以下の様に書かれています。
偶像を仰いではならない。神々の偶像を鋳造してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。
レビ記 19章 04節
イルミナティによって私たち庶民は、神社仏閣にこそ「神」が洗脳されてきましたが、それは私たち庶民に聖書に書かれている事に対して、意図的に反逆させる為に行ってきたのです。
イルミナティはサタン(悪魔)を拝む連中ですから、聖書で禁じている事を私たち庶民にさも正しい事であるかの様に教えては洗脳し、騙してきたのです。
私もRAPTブログに出会い、RAPT理論を学んでいく中で、イルミナティという存在を知り、私自身が洗脳されていた事をも知るに至りました。
そして、RAPTブログを引き続き閲覧していった結果、イルミナティという全世界中で悪の限りを尽くしている組織の存在を確信するのと時を同じくして、私は神様の存在を確信するに至りました。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
その後、私はRAPTブログ有料記事の御言葉を学び、御言葉に聞き従って生活し始めてから2年目になります。
RAPTブログ有料記事の御言葉に聞き従って生きて行く事で、このコロナ禍であっても充実した毎日を過ごさせて頂いております。(詳細は下記リンクをご覧ください。)
私たち人間が幸せに生きる為には、神様の御言葉に聞き従って生きる以外に道はありません。
神様の御言葉にどこまでも従順に聞き従ってこそ、人は幸せに生きられるのです。
今回の記事をご覧になって頂き、この世の中がイルミナティという全世界中で悪の限りを尽くしている組織の存在と、イルミナティがひた隠しにしてきた神様の存在に気付いて頂き、また神様の存在を確信して頂けるきっかけとなりましたら幸いです。
この事実を一人でも多くの方に知って頂き、一人でも多くの方が神様の存在を確信し、神様の御言葉にどこまでも従順に聞き従って、幸せな人生を生きて下さいます事を心から願っています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
HAJIME